出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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人工死産体験談<ケース15>

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13年前の1993年12月22日に、初めて授かった赤ちゃんを5ヶ月で人工死産しました。
プルーンベリー症候群でした。

胎内の赤ちゃんに異常があると診断を受け、翌日大学病院でその病名と症状を聞き、妊娠継続は勧めないという医師の言葉に呆然としたまま入院しました。
大学病院なので仕方のないことですが、珍しい症例ということなのか、何の前置きもなく、担当医師以外の医師がエコーを見に来るのが悲しかったです。

赤ちゃんが産まれてくるまで、3日かかりました。男の子でした。

泣いている私に、看護婦さんは「早く次の子を作りなさい、そうすれば忘れられるから。」と言いました。
・・・絶対に忘れるものかと思いました。

私は息子の顔を見ていません。看護婦さんに、お母さんは見ない方がいいと言われたその通りにしてしまいました。そのことをとても後悔しています。
何故あの時、顔を見てあげなかったのか、抱いてあげなかったのか。初めての子どもを死に追いやったこと、その上、顔も見てあげなかったことを思うと、今でも苦しくて苦しくて仕方がありません。

息子のために祈るとき、棺に一緒に入れてもらった小さなクマのぬいぐるみを思います。小さなそのぬいぐるみよりもっと小さかったと、夫が言っていたからです。本当は息子の顔を思い浮かべて祈りたい。

産科ですから、病室を一歩出ると、かわいい赤ちゃんがいやでも目に入りました。
代わりになるわけもないのに、奪って逃げたいと思いました。

3ヵ月後に夫の弟の彼女が妊娠し、結婚前の挨拶に連れてきました。妊娠している彼女が羨ましくて妬ましくて、優しくすることが出来なかった。13年経っても、あの頃の心持ちをまざまざと思い出すことが出来ます。

ありがたいことに、その後、2人の娘に恵まれました。
娘たちには、2人にお兄ちゃんがいることを話しています。

生命というものが、ただそこにあるだけでも奇跡だということを知って欲しいし、私が死んでも、「正汰」という小さな小さな男の子がいたことを知っている人がいて欲しいから。

けれど、息子のことを考える度に、本当は他の道があったのじゃないか、私は罪を犯したんだ、と思います。
それは一生思うと思います。

ずっと誰かに聞いて欲しかったけれど、こんなヘビーな話、親しい友人にも出来ませんでした。
ありがとうございます。


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