出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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もうすぐ出産です

★この記事をお読みになる前に

当ブログをご訪問くださる皆様の中には、愛しいベビーとのお別れを経験なさった方が多くいらっしゃいます。もし、まだ他人の妊娠にまつわる話を目にするのは辛いな・・・と思われる場合は、どうぞこのままこのページをお閉じください。そしていつか大丈夫と思える時が来たら、その時に、お読みいただけたら幸いです。

またこの記事には、読む方にとっては不愉快な表現も含まれているかもしれません。今まではごく親しい方にMixi日記の中で、その思いを呟いていたりしたのですが、今後、このブログを続けていくにあたって、やはり今回の妊娠について告白することは私自身にとって避けて通れないものであり、書き残すことにしました。


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昨日の6月5日(月)に、やっと・・・というべきか、もう・・・というべきか妊娠35週に入りました。
そしてお腹の中のベビーは、もうすぐやってくる「その時」に備えて最後の支度をしているようです。

今回の妊娠は、まさに「授かりもの」でした。

お空には娘、樹里
地上には、ワンパク盛りの3人の息子たち

そして夫は催奇形性を指摘される薬を服用中で、私はもう2度と妊娠することはないだろうと思っていました。と、いうより諦めていました。

そんな中、長男が今年4月から小学生になることを見据え、今後、仕事や家庭のこと自分自身のことをどうしていくか考えていた矢先に、本当に突然にやってきてくれた「いのち」が、今の私にとって5人目の我が子となるこの子でした。

娘を人工死産というかたちで失ってしばらくは、もう2度と私は子どもを授かることができないのではないかと悲しみのどん底にいました。
女として母親として失格だとも思っていました。こんな私に神様が可愛い赤ちゃんを授けてくれるはずがない。そう思っていました。

本当に辛くて苦しくてたまらなかった。
だけど、幸せになってはいけないのだとも思っていました。
娘を諦めた罰ならば・・・受け容れるしかないのだと。それが償うということなのかもしれない、と。私は自分を責め続けることで娘から生きる許しを請うていたのかもしれません。

ですが神様と娘は慈悲深く、その後、私たちに3人の男の子を授けてくれました。息子たちを身篭る度に、その不思議な偶然に、私はこれは決して偶然ではなく何か大きな意思が働いているような・・・そこには何か大きな意味が込められているような・・・そんな不思議を経験してきました。

そして今回も、またそうでした。

ですが今回の妊娠が判明した時、夫も近くに住む実母も猛反対しました。その訳は、やはり夫の薬【催奇形性】という響き。この不安な言葉に何よりも囚われてしまいました。
そして今の日本では子育て世代にとって、決していい環境ではないこと。育児にはお金もかかるし、また子ども3人でもかなり体力勝負なのに、更にもう1人増える。実母は私のことを心配しました。経済的・体力的・精神的に子ども4人は大変すぎると・・・。

私は二人の心配が痛いほどわかりました。
実際に誰よりも、私自身がそのことを心配していました。妊娠したことを知った瞬間は、とても嬉しくて誇らしくて「産みたい!」と強く願った私でしたが、少し冷静になってみると、段々、不安で恐ろしくなってきました。

ですが・・・反対されればされるほど半分、意地みたいになってきました。お腹の子を守るのは私しかいない。今度こそ、今度こそ、私はいのちを諦めたりしない。この子は、我が家の全ての状況を承知して私の許にやってきてくれたのだから。だからきっと、大丈夫。きっと、きっと守ってみせる。そう決心しました。

決心というよりも・・・
我が子を守りたいというよりも・・・

本当は・・・


もう2度と、自分が我が子を殺したという苦しみを味わいたくなかったからかもしれません。

産婦人科も3件回りました。
薬の影響も心配だし、まわりがそんなに反対するのなら、もう既にお子さんが3人いるのだから今回は諦めたら・・・と言う医師もいました。


もし仮にこの子が薬の影響を受けていたとしたら、妊娠初期に流産する可能性が大きい。もし流産しなくても、もしかしたら樹里の時みたいに妊娠中期で異常が発見されるかもしれない。
・・・それならば、この子の運命はこの子に任せよう。この子自身に委ねよう。私は強くない。本当は逃げだしたい。だけど、息子たちを授かってもなお、樹里への思いを断ち切れずサイトやブログ・コミュニティを立ち上げたり、実社会でも樹里と関係の深い場所で働いていた時に授かったこのいのち。これが授かりものでないとしたらいったいなんなのか。信じよう。信じていよう。

祈るような気持ちでこれまでの35週という期間を過ごしてきました。

いちばん流産しやすいと言われる妊娠初期も職場には隠し続け、悪阻にも耐えていつもと変わらず仕事を続けました。
仕事の内容は、とてもハードでかなり体力を消耗するものでした。

私は賭けていたのだと思います。
生命力の強い子なら、これぐらいのことで負けたりしない。だからどうか元気である証を私に知らせてほしい。どうか頑張って、無事にこの世に生まれておいで・・・と。

そして3月いっぱいで退職したのですが、特にトラブルもなく順調にお腹の中で大きくなっていってくれました。

そして4月、5月、6月・・・。
長男は小学1年生。次男は幼稚園年中。三男は家で1日中私と一緒に。
男の子3人はパワーが溢れ、毎日、毎日、超ハードな育児。それに伴い私のお腹もどんどんせり出し、体も重くなっていきました。

33週まで妊娠前と比べ体重は+5キロをキープしていました。
医師からも「頑張ってるね。」と誉められていたのに、昨日の検診では更に+2キロ。一気に増えました。

それもそのはず。
34週の先週、出血を認め受診したら子宮口が1~2センチ開いていて張りも頻繁にあり、切迫早産と診断され自宅安静を言い渡されました。
安静といっても家事・育児をサボるわけにいかず、なんだかんだと多少は動いていました。ただし幼稚園への送り迎えを車に変更して、夕方の子どもたちとの散歩や公園遊びをやめました。

そして以前からあった足の浮腫みがひどくなってきて、数日前からは手も浮腫むように・・・。
今までが順調だったから、ここらあたりで反動が来たのかな、と思ったり。私は今月で35歳になる。高齢出産の仲間入り。道理で無理がきかなくなってきたのかもしれませんね。
たぶん、体重が一気に増えたのは浮腫みも大いに関係アリだと思います。おかげで母子手帳には赤で『塩分制限・カロリー制限』のスタンプが。

切迫早産だと言われて、慌てて入院準備を始めました。(安静どころじゃありません。)
肌着を押入れから引っ張り出してきて洗濯したり、夏用のベビースリング、オートスイングラック、タミータブをネットショッピングやオークションで調達しました。
名前も画数とか全く考えずに何がいいかなと考え始め、決まらずに悶々としています。

そして夫は写真を楽しんでる私が以前から一眼レフのデジカメが欲しいと騒いでいるので「3万なら出してやるから、中古で買えば?」と。でも欲しいカメラは中古でも本体だけで最低でも6万はする。足りない分は自分で出すしかない。どうしようかと迷っていたけど、やっぱり欲しいからヤフーオークションやネットショップで探してます。

とにかく正期産に入ると言われる37週まであと2週間。
時々、前駆陣痛に見舞われますが出血は止まりました。なんとかあと2週間は頑張ってお腹にとどまってほしいなと思っています。

一度、あのような我が子とのお別れを経験していると、出産自体が怖いと思うこともあります。
無事にその産声を聞くまでは・・・
出産後、しばらくして「異常なし」といわれるまでは・・・
1ヶ月検診・3ヶ月検診・6ヶ月検診と無事に乗り越えるまでは・・・

もしかしたら安心なんてできないかもしれない。

だけど、きっと無事に生まれてきてくれると信じて、もうすぐ迎えるお産を待ちたいと思います。


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