出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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人工死産体験談 index

【管理人おかよの体験談】
子宮頚管ポリープからの細菌感染による前期破水
・妊娠21週でお空に還してしまった娘 樹里~1~
 
・妊娠21週でお空に還してしまった娘 樹里~2~


【お寄せいただいた人工死産体験談】

人工死産体験談<ケース1>
羊水過少前期破水

人工死産体験談<ケース2>
前期破水

人工死産体験談<ケース3>

細菌感染による前期破水

人工死産体験談<ケース4>
前期破水

人工死産体験談<ケース5>

胎児腫瘍

人工死産体験談<ケース6>
感染症・羊水過少前期破水(?)

人工死産体験談<ケース7>
全前脳胞症


人工死産体験談<ケース8>
前期破水

人工死産体験談<ケース9>
前期破水


人工死産体験談<ケース10>
18トリソミー

人工死産体験談<ケース11>
赤ちゃんの首の反り返り・その他奇形


人工死産体験談<ケース12>
全前脳胞症(海外)


人工死産体験談<ケース13>
前期破水

人工死産体験談<ケース14>
二卵性の赤ちゃん 溶血による水腫その他

人工死産体験談<ケース15>
プルーンベリー症候群

人工死産体験談<ケース16>
無脳症

人工死産体験談<ケース17>
子宮頚管無力症

人工死産体験談<ケース18>
羊水過少・多嚢胞腎(ポッター症候群)

人工死産体験談<ケース19>
前期破水

体験談20以降については、メインサイト【泣いて笑って】にてご紹介しております。
よろしければ こちら をご覧ください。

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ブログのご紹介「私の愛しい赤ちゃん」

私と同じ前期破水人工死産の選択を突きつけられたママが綴るブログです。
ずっと入院していたにもかかわらず、なぜこんなことになったのか・・・。自分自身と重なり、胸が押しつぶされそうになりました。
下に2006-12-15 11:26:00 にUPされた記事をご紹介します。
続きは「私の愛しい赤ちゃん」にてご覧ください。


妊娠5ヶ月、破水… 2006-12-15 11:26:00

「破水…」
信じられない現実…

早く朝が来て…
早く早く早く…

何も考えられない
冷静になんて待てるはずもない
医師は来ない
何もできない
母親でありながら…
何もできない…

………無力………

医師を呼んでも来ない
苛立つ

時間が経つのがこんなに遅く感じたのは生まれて初めてだ
電気を消すのも怖かった私は、消灯時間でありながら
付けたままにしてくださいと看護師に頼んだ

看護師は
「少し寝ましょう」と言った

寝れるはずがない…
もう話しかけないでとまで思った
破水してしまった私の体、そのおなかにいる赤ちゃん

助けて欲しい
もうそれだけしか思うことはない
寝なくたっていい
寝れるはずがない…

ようやく
ようやく
ようやく…
朝が来た
食事が運ばれてきた
人が入ってくるたび、医師が来たと思い、すがる目で見た
違う、まだ来ない…

ナースコールから看護師の声がした
「今からタンカーで迎えに行きますからトイレを済ませておいてください」と

言う通りにした
本当はトイレに行くのも身が引きちぎられるほど怖かった…
赤ちゃんはどうなるんだろう…
赤ちゃんは、私の赤ちゃんは苦しんでいるだろう…

タンカーを押して助産師二人が迎えに来た
診察室まで私を運ぶのだ

時計は九時を指していた…
破水してから九時間…
やっと診てもらえる…

診察室に着いた
「破水してますねえ~」

「ご主人に入ってもらって」と医師が助産師に言う
診察を終えたタンカーの上の私、私の手を握る助産師二人、
不安そうな主人、淡々と説明を続ける医師

「赤ちゃんは諦めることになるかもしれません」
本当に淡々とした説明
「あと2日様子を見ましょう、それでも破水が止まらなければ、子宮口を縛っている糸を外します」
と言った

後2日も何もせず、寝たまま…
おなかは張っているし、痛みも強くなっている…

赤ちゃんを諦めるなんて嫌だ
絶対に嫌だ

破水して九時間放置、診察しても様子を見るだけの診断
この病院に居ても駄目だ…
助けてはもらえない…
これ以上何を様子を診るというのか…
こんなにも放って置いて、
妊娠3ヵ月の終わりから、
ほとんどの間入院していて
この結果………

もう駄目だ…
この病院にいても救ってもらえない
赤ちゃんを救ってもらえない
殺される………


「赤ちゃんを諦めたくない大きな病院に転院させてください」
助産師に言った
助産師は私が初めて入院した時からよく見てくれる人だった
助産師の目も涙が浮いていた
「うん、、、大きい病院での処置を受けたほうがいいかもしれない…。破水してても止まって元気な赤ちゃん産んだ人見たことあるから、だからがんばって」
そう言った
すぐに紹介状を書いてもらった
救急車も呼んでもらった
もうひとりの助産師が一緒に同乗してくれた
主人は貴重品の入った荷物を持ち、タンカーで運ばれる私の傍らに居てくれた

診察をした医師とは別の医師が立って見送っていた
主人に掛けてくれた医師の言葉…
「週数が週数だから駄目かもね~」

不安感で押しつぶされそうで、
赤ちゃんを助けたい気持ちでいっぱいの私達夫婦に
この病院の医師が最後に掛けてくれた言葉…

「駄目かもね~」

なんてところに居たんだろう…
こんなところではじめての妊娠生活、はじめての赤ちゃん…
こんなところをなぜ信じてしまっていたんだろう…

自分を責めるだけ責めた
後悔でいっぱいだった
こんな病院選んでいなければ…
すごく思った
ものすごく…

救急車で揺れた
おなかがさらに張った
30分ほど走った

着いた…
ここなら助けてくれるんじゃないか…
私は期待した
現状もまだわからず、期待をしていた

処置室に運ばれた
主人は一旦元の病院へと車と荷物を取りに帰った
ひとりっきりになった…
怖い…
医師を含めたスタッフがたくさんやってきた
慌しい雰囲気…
一気に怖くなった………
囲まれた…
医師の指示が飛ぶ
超音波で赤ちゃんを見た
心音は聞かせてくれなかったが、
私は画面を食い入るように見た
「元気だ…」
いつも見ている正確な心音の画面だった
「よかった…助かる、助かる」

医師に泣きながら訴えた
「赤ちゃんを助けてください、諦めたくない、助けてください」
医師は「後でまた話をしましょう」と言うだけだった

右手の点滴が抜かれ、左手に新たに点滴をされる
採血もされた
検温もした
あっと言う間に次から次へと検査をされた

おなかがすごく張っていた
「先生、痛いです、おなかが張って痛い…」
「うん、痛いね…もう少し我慢してね…」
私はずっと泣いていた
涙がどんどん出てきた

ここで初めてNSTという検査をした
張りの感覚や強さを測るものだ

医師は私に
「ご主人は来られますか?」
と尋ねた
「荷物を取って戻ってきます」
と答えた
「それから話をしましょう」
と言って、検査が終わり、医師、スタッフは一旦出て行った
ひとりスタッフが問診をしてきた
とてもそれどころではない精神状態だったが、
振り絞って答えた

どうなるんだろう…
赤ちゃん、どうかどうか、元気に産まれて来てね…
私の赤ちゃん……
産みたい
産みたいよ…
赤ちゃんを産みたいよ…

諦めたくないよ…
私の赤ちゃん…

二時間ほどして主人が来てくれた
医師を呼んだ

それから、私達夫婦に
思ってもみない、苦渋の決断を迫る説明がなされた…

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人工死産体験談<ケース13>

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2005年3月17日(木)
その週は主人が出張で岐阜へ行っておりました。
その前の週、9日(水)妊娠19週1日の検診では特に何も問題なく、それまでもつわりもなく順調に過ごしてました。
このとき娘は幼稚園年長さんで、あと2日で卒園。卒園式には主人が有給を取っていたのもあり、入学式にも有給を入れてもらってたため、長期の出張でしたが、私の体調も良かったので、特に気にすることなく、仕事をしてもらってました。(元々出張が多い仕事です。)

娘と2人の時は、夕食も早めで、寝るのも早めです。その日も20時くらいに娘と一緒に寝てました。そんなに早く寝たものですから、深夜12時半くらいに目が覚めました。
元から軽い睡眠障害といいますか、あまり長時間寝られなくて、その日も雑誌などを読んで再び寝ようかと思い、ほんの少し寝返りのように体勢を変えたそのとき、軽い尿モレのような冷たい感触がありました。
「???尿モレしちゃった??」
確かに娘を妊娠中に,、もう少し週数が経った頃だったとは思いますが、尿モレをしたことはありました。
トイレへ行って確認したらお尻の方まで濡れてました。???尿モレにしては多い気がする。
明日病院へ行ってみようと思い、下着を取り替え寝室の方へ歩いた途端、さっきの尿モレの感触よりももっと多く流れるように出てきました。トイレに座ると、自分の意識とは全く違う感覚でジャバーっと出てきました。「破水???」そのとき初めてその言葉が頭に浮かびました。破水という言葉は知っていましたが、この時期に破水してしまう重大さを全く知りませんでした。

慌てて病院の電話番号を探しましたが、頭がパニックになっていてなかなか見つからず、母子手帳入れに入れていた診察券を取り出し、電話しました。

私「水のようなものが出てます。今もトイレに座ってます。」
看「赤ちゃん動いてますか?」
私「今はわかりません。。今もずっと水のようなものが出てます。。」
看「落ち着いて、今すぐ病院へ来てください」
私「主人が出張中で、子供が一人で寝てます。どうすればいいでしょうか?」
看「お子様も一緒でいいから、とにかく落ち着いて、タクシーで来てください。」

私は3年前に主人の転勤で東京から関西へ引っ越してきました。なのでタクシー会社をよく知りませんでした。
去年、幼稚園の運動会にタクシーで行ったことがあり、携帯にそのタクシー会社の電話番号を入れてました。そのことが頭にあったので、電話を切って、そこへ電話しましたが2時でタクシーは終了してるとのことでした。

いつも電話番号を調べるにはネットで検索してましたので、タウンページはもらってませんでした。そのときはネットに繋いでもいないし、PCが立ち上がるまで待つことができず、104で近くのタクシー会社の電話番号を聞きました。
すぐに104で聞いたタクシー会社に電話しましたが、呼び出し音は鳴りますが、繋がりません。
「ここも終わってるかも??」頭は更にパニックになり救急車に電話しました。事情を話したところ、来てくれるとのことで、娘を起こし、準備をしました。
すぐに主人に電話し、「破水したから今から救急車で病院に行く。帰ってきて欲しい。。」ことの重大さはその時点でもまだわかってませんでした。ただ、あまりにも大量に破水してたので、怖かった。心細かった。帰ってきて欲しかったのです。

いつも出張へ行くのは会社の車なので、その時間でもなんとかして帰ってこれるのでは??と思ってました。
が、そのときは一人での出張ではなく、2人で行っているため、主人が戻るには電車じゃないと無理でした。あまりにも不安で泣いていたため、娘がただならぬ状況だと思ったのか一緒に泣いてました。
「ママ大丈夫だから、大丈夫だから」と娘に言いながらも、不安で不安でしょうがありませんでした。
すぐに救急車のサイレンが聞こえてきたので、とりあえず病院へ行くからってことで、電話を切り救急車で運ばれました。
救急隊の人に「破水?週数は?」と聞かれ20週ですと答えました。首をかしげるようなそんな感じでした。
私は「こんな症例はありますか?」って聞いたところ、20週ではない。と答えが返ってきました。。

そのときも、病院へ行けば処置してもらえるだろう。まさか赤ちゃんを失うことになるとは思ってもいませんでした。

病院へ着き、しばらくしたら先生が来ました。個人病院でここら辺では、人気のある病院です。出てこられた先生は当直の先生で、初めて見る先生でした。
内診台に乗り、エコーは私には見えづらい位置でしたが、赤ちゃんの心臓が動いてるのが見えました。よかった。。生きてる。。。そう思ったのもつかの間。内診台から降り、診察室で先生から説明がありました。

先「破水です。。おそらく流産します。」
おそらく????どういうこと?と思い、
私「100%だめなんですか?」
先「100%・・です。羊水がほとんど出てしまってます。とりあえずこのまま入院してもらって、朝、院長先生にもう一度診察してもらい今後のことを決めましょう。。。」

私も主人も実家が近くにはありません。唯一同じ関西圏内に実の妹がいます。
妹も私と同じくらいに妊娠がわかり、出産予定日も近かったんです。
ですが、妹は繋留流産で心拍を確認する前に年末に流産したばかりでした。
主人は帰ってこれるかどうかわからないし、とにかく不安で、娘のこともあるので、3時頃妹に電話しました。
妹はインフルエンザで昨日まで寝込んでいたけど、今は熱が下がったから、すぐに病院に来てくれると言いました。

妹が来てくれると看護師さんに伝えると、病室に通されました。
病室はお産を終えた妊産婦さんと同じ部屋に、カーテンで仕切られた3分の1くらいの狭い場所でした。
「部屋が空いてなくてごめんね」と看護師さんが言いました。
娘が一緒だったので、泣くこともできず、とりあえず娘が安心して寝られるように気丈に振舞っていました。
睡眠中に無理矢理起こしたのもあり、狭いベッドでしたが、娘は寝てくれました。

私は、朝になって院長先生に診てもらえば、もしかしたら別の方法があり、赤ちゃんが助かるかも?と思ってました。
5時くらいに妹が来てくれて、真っ暗な部屋で声を殺して一緒に泣きました。
流産は全体の15%という決して少なくはない数字ですが、なぜ私たち姉妹がその15%に入ってしまうんだろう・・・神様は残酷です。。。

しばらくして看護師さんが来て隣の人に「赤ちゃん泣いてますよ。授乳に行けますか?」と言っていました。
様子から2人目以降の帝王切開だろうと思いました。
私は娘が逆子ちゃんだったため帝王切開で出産してます。私と同じ。。。私は赤ちゃんを産めない。。そんな感情になり、涙が止まらなくなりました。それでも、朝、院長先生に診てもらったら・・・と思いはありました。

8時頃主人から「今着いた。すぐに病院へ行くから、もう少し待ってて。」とメールがありました。
帰ってきてくれたんだ。。でも。。。

主人が病院へ到着し、8時半頃院長先生に診てもらうからと1Fの診察室に行きました。
途中、入院する時には通らなかった、新生児室の前を通らされました。直視はできないけど、何人かのカワイイ赤ちゃんがいました。それを見てまた涙が止まらなくなりました。

内診台に上がり、今度はさっきよりも見えづらい位置に画面がありました。それでも赤ちゃんの心臓が動いてることがわかりました。
先生は何も言いませんでした。。。その様子から、ああ。。やっぱりだめなんだって気持ちになりました。
診察室へ戻り、主人、妹、娘の前で先生が説明をはじめました。

先生は穏やかな口調で、
「破水です。赤ちゃんは今は生きてるんだけど。。。今の状況から考えて、万が一赤ちゃんがもったとしても、肺が成熟しておらず、自分で呼吸することはできないでしょう。赤ちゃんにとっても、ご夫婦にとっても悲しい結果になることは目に見えてます。」

「だから、どうすればいいか?ってことですが、今の妊娠している状態を無くさなければならない。週数が経っているので、お産をするように人工的に陣痛を起こさせ、赤ちゃんを出さなければいけない。ですが、貴方の場合は一人目を帝王切開で出産してるので、うちでは処置ができません。今から受け入れ先の病院を探し、紹介状を書きますので、転院してください。。」
そのとき説明された原因は、おそらく感染ではないかとのことでした。。

おそらく即入院だとのことで、一旦家に帰り入院の準備をしてました。
6ヶ月に入るのでそろそろ出産準備でもと思っていたところでしたので、何も用意しておらず、1から入院の準備をしました。
娘を産んでから6年が経ってますので、ほとんど新しくそろえるつもりでいました。妊婦用の物はパジャマ1枚くらいでした。

そのときも大きい病院へ行けば、まだ違う選択があるのでは。。。という思いでいっぱいでした。

近くにある総合病院は、救急の受付をしてくれないとのことで、隣の市の市民病院へ行くことになりました。
娘は幼稚園最後の日だったのもあり、病院で不安な私たちと一緒に待たせるのはつらいだろう、わたしの不安な顔を見せることはできない。と思い、主人に幼稚園へ連れてってもらいました。

主人を待つ間にネットで【前期破水】と検索してみました。そこでおかよさんのHPを拝見しました。
そのときは時間もなかったので、トップページだけを見ただけでした。
助かる方法はないだろうか?
助かった症例はないだろうか?
そんな気持ちで検索してました。

主人が帰ってきたと同時に市民病院へ行きました。そこへは去年娘が腸炎になり、救急で一度きたことがありました。

受付をし、産婦人科の待合室で待ちました。紹介してもらい、救急なはずなのに少し待ちました。
妊婦検診と同じように、血圧と体重を測り、診察室の前で妊婦さんたちと一緒に待ちました。

もしかしたら別の選択が・・・・と思い待ちました。私の名前が呼ばれ、診察室に入りました。
先「どういう状況でこちらにいらしたかわかりますか?」
私「破水してしまったので。。赤ちゃんが。。」
言葉にならず泣いてしまいました。やはりどうにもならないんだろう。。。

「とりあえず内診しますので、外でお待ちください。」
内診室にはすぐに呼ばれ、あの体勢で10分くらい待たされました。
入り口は違うものの、中は薄い壁がしきりになってるだけで、向こう側(先生側)は繋がって通路になっているため、他の人と先生の会話も聞こえてきました。
「これが赤ちゃんです。予定日を決めましょうね。。。」そんな会話が聞こえてたと思います。

辛い、なんで?なんでこんなことに??
この病院ではエコーの画面はほとんど見えませんでした。

診察室に戻り、「まだ赤ちゃんは元気に動いてるけど、羊水がほとんどない状態なので、今回は悲しいけど。。」

やっぱりここでも同じことを言われました。あと4週遅かったらとも言われました。4週遅かったら、入院して羊水を足して週数をもたせることも可能だったと。。
「私の週数では絶対に無理ですか?」と聞いてみました。
「あなたには1人お子さんがいらっしゃるし、このまま臨月まで入院することは不可能だと思います。入院したとして、100%赤ちゃんが助かる見込みはありません。万が一もったとしても、肺に障害を持って産まれてくるでしょう。。」

私の行った2つの病院では、奇跡と人工中絶の選択肢はありませんでした。後でおかよさんのHPを見て、選択肢があったことを知りました。

流産します」と言われたものの、中絶同意書を渡された時、なんで?自分の意思じゃないのに、こんなものを書かされなきゃいけないんだろうと思いました。
費用についても聞きました。
看護師さんは「普通のお産と同じですから、同じくらいかかります。でも保険で一時金が戻ってきますので。」
普通のお産と同じ??
することは同じかもしれません。でも死産証明書を出し、一時金の手続きをしなくてはいけない。そう思うと同時に涙があふれてしょうがありませんでした。
「個室はお金がかかるので大部屋でいいよね?」と言われ、「大部屋は妊産婦さんと同じですか?」と聞いたところ「同じ部屋にはなりません」と言われたので、大部屋でお願いしました。

その後血液検査があり、入院してもらうと言われたのですが、ちょうど3連休になってしまうので、どっちにしても、処置は週明けになってしまうだろうとのことでした。
翌日は娘の卒園式。もしかしたらもう二度と子供を産めないかもしれない。これが我が子の最後の卒園式なのかも。。見とどけたい。出たい。そんな思いもあり、処置ができないなら連休明けに入院はできないか?と聞いたところ、血液検査の結果すぐにすぐ入院しなくても大丈夫だと思う。卒園式に出ても大丈夫と言われました。
万が一出血や腹痛があった場合は緊急に入院してもらいますと言われ、その日は一旦家に帰ることになりました。

まだ胎動もあり、その後は破水もなく、普通に過ごしてました。怖い気持ちもあったけど、卒園式に出られる。と思い頑張りました。

決断はしたものの、ゆれる気持ちはありました。何度もネットで検索してみました。
おかよさんと同じように命の選択をした人もいらっしゃいました。
このことを病院に言ってみようか?とも思いましたが、現実問題、出張の多い主人にあと4ヶ月も娘の面倒をみてもらうこと、長い入院生活での金銭的な問題。万が一産まれてきても、障害があり、その後の金銭的な問題はもちろん、私たち夫婦が死んだあと、娘に負担がかかるんではないだろうか?
主人と何度も話し合いました。奇跡を信じることはできないよね?金銭的な問題はなんとか頑張って乗り越えたとしても、やはり娘に負担を負わせることはできないという結論になりました。

私たちは結婚12年目でした。24歳で結婚したものの、子供が欲しいという気持ちは全くなく、自分も仕事をしてたので、娘を生んだのも結婚5年目でした。周りからは不妊だろうと思われてましたが、作ることをしなかったのです。
一番仲良しの友人が妊娠したことがきっかけで、そろそろ欲しいねということになり、欲しいと思った1回で娘を授かりました。
妊娠8ヶ月まで一時間かけて通勤してました。つわりも全くなく、気になるのは体重増加くらいでした。
付き合いで少しだけですがビールを飲んだことも、パチンコ好きな友達とパチンコ屋さんへ行ったり、タバコも完全にはやめることができませんでした。。

里帰り出産のため約6時間かけて新幹線と電車で帰省しました。
35週後半の妊婦検診でお腹が張ってるから即入院と言われ、そのときはお腹の張りに気づくこともなく、2月の出産予定で、お正月を実家で過ごしていたため、食べ過ぎでお腹が苦しいんだと思ってたくらいでした。
張り止めの点滴でなんとか37週までもたせるとのことで、逆子で帝王切開ということもあり、早産にならないぎりぎりの37週1日で問題なく産まれてきました。
その間も娘が無事に産まれてこないなんて心配は頭の中にひとつもありませんでした。ただ入院生活と点滴がつらかったでけです。

今思うと無事に産まれてきてくれた娘のことが尊くかけがえのない命なのだと改めて思います。

その頃の私は身近な人で、早期流産を経験した人はいましたが、後期の流産の話は聞いたことがなく、妊娠すれば、安定期に入れば無事に出産できるものだと思い込んでました。

関西に引っ越してきて、知り合った人に、臨月で死産を経験した話を聞いたことがありました。
主人の会社の方でも安定期に入って、2度も流産された方の話も聞きました。
今回の妊娠では、娘を出産した頃とは違い、無事に産まれてくるまでは何があるかわからない。という気持ちが頭にありました。
そんなこともあり妊娠5ヶ月に入るまで、必要最小限の人にしか話しませんでした。ですが、自分の身にこんな悲しい現実が起こるなんて夢にも思ってませんでした。

5ヶ月後半の妊婦検診3月9日、おそらく男の子だろうと性別までわかってました。
何も変わったこともなく、赤ちゃんの成長も順調で、娘と同じ小学校に行く予定のママさんや、同じマンションでコープの共同購入をしているママさんにも2人目ができたことを言いました。
厳密には同じ幼稚園のママさんには初期から報告してたので、その方が安定期を過ぎてるのもあり、他の方に言ってたのですが。。
私も安定期入ったし言っても大丈夫だと思ってましたので、特に気にせず認めました。

あと4ヶ月もすれば、4人家族になる。
私と妹の年齢差が7つなのもあり、歳が離れてしまった兄弟になるので、2人目も女の子が欲しいと思ってました。

お正月の初詣で、5体満足元気な赤ちゃんが生まれますように。5ヶ月の戌の日にも同じことをお祈りしました。性別なんてどちらでもよかったんです。。。

安定期に入ってたのもあり、娘を出産した時に何も問題なく産まれてきてくれたのもあり、正直こんな現実に向き合うことになるとは思いもしませんでした。
主人をはじめ、妹、友人も心配してなかったと思います。ただ、娘を帝王切開で産むときに麻酔が効かず、とても痛かったことだけが不安で怖かったくらいです。

一人目をあまりにも順調に出産したため、2人目を考えてはいたものの、出張の多い主人の仕事と、近くに頼れる身内がいないことなどもあり、一人で2人を子育てすることは大変だと思う気持ちが強くすぐにすぐは考えてませんでした。
ですが、年齢的にもそろそろ2人目を・・・娘も6歳になり、小学校に入ることだし、赤ちゃんがいても一人でできることも多いし、主人が出張でいなくても、自分ひとりでも2人を子育てできると思いました。

結婚して12年、知り合ってからとなると20年近くになります。
あまりに長く一緒にいると、素直に優しい気持ちや、嬉しい気持ちに照れが出てしまい、お互いなんとなくそういった言葉を出せなくなってました。
愛情が薄れたとかそういうことではなく、ただ照れくさかったんです。
いつも優しくて誠実で私にはもったいない主人だとも思ってました。(むかつく時もありますが。。)

主人に2人目妊娠の報告をした時に、1人目の時ほど感動してたような気がしませんでした。
破水した時に電話して、帰ってきて欲しいと言った時も、電話で聞こえる声はいたって冷静に聞こえました。
個人病院で先生の説明を受けたときも、市民病院へ行ったときも冷静に見えました。
主人は平気なのかな???そう思ったりしてました。でもそれは違ってました。
主人が帰ってきた時には、わたしの妹がずっとそばにいてくれたため、主人は感情を出すことができなかったのです。

妹が帰り、娘がお昼寝したときに、主人が悔しいと言って泣きました。
4人家族になれると思ってた。楽しみだった。私と同じ気持ちでした。
だけど、今もし私に何かあったら、自分も娘ももっと悲しい。と。。。

その言葉を聞いた時、赤ちゃんは諦めなきゃいけないと思った。。。
と同時に、なんでこんな優しいパパのところに産まれてきてくれないんだろう?
わたしに罪があるのなら、わたしだけに罰を与えて欲しい。私と結婚してなければ、こんな悲しい思いをしなくてよかったんじゃないんだろうか?なんで?なんで?なんで?そんな気持ちでいっぱいになりました。

娘が起きているときには悲しい顔はしてられません。涙は見せられません。私は元気なふりをしていました。それでもやっぱり普段とは様子が違うことがわかってたようです。
いつになく、元気いっぱいで、それまでは赤ちゃんのことを話してたのに、それからは一度も赤ちゃんのことを言いませんでした。お腹に触ってきたりもしてましたが、一切しなくなりました。
病院で説明を一緒に聞いていたので、なんとなくはわかってたと思います。ただ、私が病院から帰ってきたことで、ママは病気じゃないと安心してたんだと思います。

主人が娘と2人の時に「病院で先生の話聞いてた?」って聞いたそうですが、「忘れた」と言ってたらしいです。
なのに、急に私のそばにきて、「ママ、もうお水出てない?」って聞いてきました。私は「うん」と答えました。
娘は「赤ちゃん生まれてきても一人で呼吸できない・・」と言ってきました。この子はちゃんとわかってる。。「赤ちゃん病気なんだって」としかそのときは言えませんでした。
明日は卒園式、体調が急変せず、なんとか午前中だけでももって欲しいという気持ちでいっぱいでした。。

翌日不安な気持ちでいっぱいでしたが、卒園式に行きました。
幼稚園で仲良くしてたお母さんに話しました。
子供同士も仲が良く、卒園して小学校は別々になるのですが、スイミングスクールに一緒に通ってましたので、何よりその方自身と私が仲良くなってましたので。。
涙が止まりませんでした。幸い卒園式だったので、泣いてても??とは思われなかったと思います。卒園式が無事に終わり、全て見届けることができました。

通常なら担任の先生に、お礼の一言を言うのでしょうが、娘が赤ちゃんができたことを先生に話していたので、きっと個人的に話をしたら、「無事にご出産を・・」と言われてしまうと思ったので、そそくさと誰にも顔を合わさないように帰宅しました。

次の日も次の日も、体調は変わらず、破水もほとんどなく(全部出てたんでしょうね)出血もなく胎動も感じ、普通に過ごしてました。
もしかしたら、連休明けに病院に行ったら「奇跡ですよ!!」って言われるんじゃないかと思ったり・・・。でも現実は変わりませんでした。。

3月21日、入院の前日に実家の母が来てくれました。
娘のこともあり、主人には私のそばにいて欲しかったので、母に娘のことをお願いするつもりでいました。
ですが、入院当日は先述した友人のところで預かってもらうことにしました。

入院当日に外来に一度来てくださいとのことだったので、外来の受付に行きました。
中で待っててくださいと言われ、内診をするのかと思ったら、処置のことがわかったのか、外で待っててもらっていいですよと言われました。外で待ってると、入院病棟の看護師さんが迎えにきました。産婦人科の入院病棟につき、すぐにTVのカードの説明を受けました。こんな時にTVなんて・・・。

目の前に分娩室の文字が目に入りました。その文字を見て怖くなりました。悲しくなりました。
これが現実なんだ。やっぱり赤ちゃんは無理なんだ。。

病室のことを聞いてみました。
入院の話の時に大部屋で妊産婦さんと同室にはならないということだったのに、今は妊産婦さんとしか同じ部屋しか空いてないとのこと。どうしてもだと別料金がかかりますが個室に。。と言われました。市外なので一日11800円かかります。
でもどうしても、妊産婦さんと同室で過ごすことはできない。。幸せそうなお母さんと赤ちゃんを見ることは辛すぎる。そんな感情が一気にあふれ、今まで我慢していた感情を抑えることができず、声を上げて泣いてしまいました。

3日間家に帰っていたので、現実から逃避してたのかもしれません。家では娘がそばにいたので、今まで我慢してたのもあったのかもしれません。万が一の奇跡も起こらない現実がきてしまった。。そう思うと感情を抑えることができませんでした。

それから個室に案内されてからも、泣き止むことができませんでした。
看護師長さんが部屋に来てくれて「我慢することはない、泣いていいのよ。」「泣いて泣いて涙が無くなるまで泣きなさい。」「お母さんの辛い気持ちは赤ちゃんが一番わかってくれてるから。」
その言葉を聞いて、更に涙が止まらなくなりました。
赤ちゃんはわかってくれてる???まだ生きてるのに赤ちゃんを産む=殺すことをわかってくれてる??どうして生んであげられないんだろう。。なんで?

しばらくして、現実を受け止めなきゃいけない。。悲しい辛い現実だけど、もう決断したんだ。頑張って赤ちゃんを産んであげないといけないと思うように。。。現実を受け止めると同時に、今後の処置が怖くなりました。ネットで検索したことが、これから私の身に起こるんだ。怖い・・怖い・・怖い・・でもがんばらなきゃ・・・。

私の気持ちが落ち着くまで時間がかかると思われたのか、それから何時間も誰も病室には来ませんでした。
うちの母は私が意外にしっかりしてるから安心したと言いました。私は長女なのもあり、親には甘えられない性格です。今まで弱いところも見せたことはなかったからだろう。。未だにそのことがこの人にはわからないんだと思った。
気分を紛らわせようと思ったのか、母は楽しい話をしようとしてきました。今はそんな気分ではない。何も言わずそばにいてくれればそれでよかっただけでした。

しばらくしてやっと駐車場に車がとめられたと主人が病室へ来ました。個室にしてもらった理由を話しました。心配しなくていいからと言ってくれ、少し安心しました。

その後看護師長さんが来ました。
問診と、これからの処置の説明がありました。
ラミナリアで子宮口を開き、その後翌日から陣痛促進剤(座薬)を3時間おきに入れていくと言われました。
夕方に処置室でラミナリアを3本入れますと言われました。これで指1本程度子宮口が開くとのことでした。
内診台に乗ると怖くて怖くてしょうがありませんでした。足はガクガクで、赤ちゃんが死んじゃうという思いとで涙が止まりませんでした。

翌日7時くらいにラミナリアが外され、7時半から座薬が入れられました。
1回目は特に症状は変わらなかった。
2回目少しお腹が痛くなる程度でした。
3回目だんだんとお腹が痛くなってきましたが、まだ我慢できました。
4回目今日はこれが最後だと言われました。
今日有効な陣痛が起きなければ、明日また朝から座薬を入れるとのこと。

その日は母に娘を見てもらっていましたが、前日に母がマンションのオートロックの解除と非常ボタンを間違えて押してしまい、あまりにも凄い非常音が部屋中、マンション中に鳴り響き、娘がとても怖がっていて、どうしても母と二人では不安で母といることを嫌がりました。
娘は母とは、産まれてから5回会ったかどうかくらいなので、おばあちゃんという存在に慣れていませんでした。母に娘を任せることは無理だったので、妹に病院へきてもらい、主人には帰ってもらいました。

4回目の座薬を入れてしばらくしたら、ものすごい痛みになってきました。
3分ほどの感覚で、休憩はあるもののものすごく痛かった。
娘の時は帝王切開でしたので、陣痛は経験したことがありません。これが陣痛???と思いつつ痛みを我慢しました。
それでもやっぱり痛くて、ナースコールして助産師さんに診てもらいましたが、
「子宮口が反対をむいてるからまだです」と言われました。我慢ができないくらいになり、トイレにもいきたくなり、またナースコール。
とてもきつい看護師さんで、「さっき助産婦さんに診てもらったけどまだなものはまだ」と言われました。
この痛みは明日まで続くのか???耐え切れない・・・。
トイレにいきたいが、痛みがきつくて立つことができません。
看護師さんにめんどくさそうに、尿管を通すか?と聞かれましたが、頑張ってトイレに行くと言ってトイレに座りました。
なんとかできましたが、またベッドに戻ると激痛が我慢できない。
そばにいた妹ももう一度ナースコールする??と言ってきましたが、でも我慢するしかないって言われたし。。我慢する。。

3回目くらいの座薬の後、破水と出血がありました。破水はあの時のようにかなりたくさん出ました。
あれから一度も破水しなかったのに、こんなにまだ羊水がたまってたの?内診せずに入院したけど、これでよかったの??
そんな思いと痛みに耐えながら、もうどうしても我慢できないと思い、ナースコールをしました。
来たのはさっきのきつい看護師さんでした。。。
「まだなものはまだ!我慢して!」我慢してって・・・痛みを我慢した後の私には喜びがないんだよ?なんでこんなキツイ言い方するんだろう・・と更に悲しくなりました。

一緒に別の看護師さんがきていて、ナプキンをチェックしていました。
何か出ていたのかもしれません。すぐに助産師さんがきて、内診。。
「このまま分娩室へいきますからね」ベッドのまま分娩室へ移動しました。
痛みと、これで赤ちゃんとさよならするんだ。という思いで涙が止まりませんでした。
移動中赤ちゃんの頭らしい感触がぴたっとしたのがわかりました。ベッドから分娩台に移動して、すぐに出てくる感覚がわかった。
初めての普通分娩、呼吸法も全くわからない。助産師さんが誘導してくれるのかと思っていましたが、とくに何も言われず、ただ、はっはっはっと息をしていました。
いきむこともなくすぐに赤ちゃんが出てきました。ごめんなさい。。。ごめんなさい。。と小さな声で言ってました。

なんとなく「男の子だね」という声が聞こえました。「次は胎盤が出てくるかどうかだな・・・」と先生の声。
しばらくして、胎盤が出てきました。先生が「もう痛い思いは終わったよ。」「胎盤も全部出てきました。」「胎盤から今回の破水の原因がわかるかもしれませんので・・。」「あー・・原因がわかりましたよ。へその緒が端っこについていたからです。」
と。。。
その時はそれだけを聞き、理解したつもりでいましたが、陣痛の痛みが無くなったことの安堵感と、赤ちゃんがいなくなってしまったことの寂しさで気持ちがいっぱいいっぱいでした。

病室に戻ると妹が待っていました。
戻ってくるのがあまりにも早かったのでまさか分娩が終わったとは思わなかったと言ってました。
しばらくして、主人と娘、母が来てくれました。2日会ってないだけなのに、娘が愛しくてしょうがなかった。娘の前では元気でないといけないと思い、笑顔で接しました。ですが、点滴をつけた私の姿は、娘にとっては心配でしょうがなかったようでした。目がうるうるして今にも泣きそうな表情でした。
私は、「もう大丈夫だよ。ママは元気だから。」「あと少しだけ入院しなきゃいけないから、それまで寂しいけど少し我慢してね」と笑顔で話し、娘の手をずっと握ってました。。

その後のことを説明されるのかと思っていたものの、誰も病室へこなくて、主人がナースステーションへ聞きにいきました。
その日は「説明する者がいない」「明日もいないから明後日になる」とのこと。
赤ちゃんはどうなってるの?もちろん生きていることはないにしろ、どこに置かれてるの?2日も平気なの???病院に対する不信感でいっぱいでした。。。

翌日の朝、検温の時、母乳止めの薬をもらいました。看護師さんに「赤ちゃんはどこにいるんですか?」と聞いたら、「多分分娩室に・・・」と言われました。若い看護師さんでした。
多分???泣けてきました。それ以上何も聞くことはできませんでした。私には赤ちゃんに会う勇気がなかったので、それ以上何も言えなかったのです。。

主人が来てそのことを伝えました。
看護師長さんを見かけたとのことだったので、「聞いてくる」とナースステーションへ行きました。
「多分分娩室に・・・」「説明する者がいない・・」このことを言ったところ、私の指導不足だと言って謝ってくれたとのことでした。看護師長さんは分娩当日はお休みだったらしいです。

赤ちゃんを見ることはできるかどうかについては、お母さんは見ない方がいいと言われたそうです。私はすごく迷ってました。主人は会うと決めてました。私はずっと記憶に残ってしまうことが怖かった。
赤ちゃんがお腹の中にいたこと、6ヶ月という短い間だったけど、私のお腹の中で生きていたこと、楽しみだった4人家族。全て一生忘れるつもりはない。
けど赤ちゃんに会ってしまうと、ずっとずっと悲しみが続くのではないか?そんな不安ばかりで会うことができませんでした。。。

そして火葬のこと。
ネットではお骨が残ったと書いてありました。
だけど病院側からの説明では、「小さすぎてお骨は残らない。」「業者にお願いする方が多いです。もちろん自分達で火葬することもできます」とのことでした。

私は退院することができないので、全て主人一人に任せることになる。
お骨が残らないのなら・・・主人一人に全て任せることは辛いと思い、業者にお願いすることにしました。
今思うとやっぱり自分達でお空に返してあげたかった。自分達で火葬してあげてたら、お骨の少しでも残ってたのではないだろうか??
あの子は確かに私のお腹にいて、ついこの前まで元気に動いてた。なのにあの子は何も残さず逝ってしまった。。。

死産証明書のところに男の子と書かれてました。
やっぱり男の子だったんだ。私が女の子を望んでたから、あの子は逝ってしまったの?性別なんてほんとにどうでもよかったのに。あなたを抱きたかったよ。

21週2日 3月23日 PM6時33分
身長26cm 体重366g

今回人工死産することになり、男の子と女の子の名前を考えていました。
入院当日に男の子だったらどうしても、主人の名前の一文字を付けたくなりました。
こんなに優しいパパの子供なんだよ。パパみたいに優しい子でいて欲しい。そんな気持ちで男の子だったらSと付けたいと主人に言いました。主人も納得してくれました。

本当は死産証明書に名前を書くものだと思っていたんです。
ですが名前も何も残らないんですね。。この世には生きていなかったにしても、かけがえのない私たちの息子なのに。
お骨も何も残らなかったけど、私たちの大切な家族なのに。
名前がないのはかわいそうなので、私たちだけでも名前で呼びたいと思いSと名づけました。

Sはとても親孝行な息子だと思います。
お姉ちゃんの卒園式を無事に見とどけることができました。3連休の間、私の体に何も問題なく、家族4人で過ごせました。
怖がりで痛がりの私の陣痛を少しでも短時間で済むように、翌日が予定だったのに、早くに出てきてくれました。
この時期は胎盤がとてもしっかりとくっついてるらしく、胎盤が出てこない、出てきても残ってる場合も多いらしいです。なのに胎盤も全て出てきました。

分娩後はあの陣痛の痛みがうそのように体が楽でした。
普通分娩の経験がないので、違いはわかりませんが、何もなかったかのように思えるくらい体は楽でした。でももうSはお腹にはいない・・・・。全て終わってしまった。もう抱くこともできない。夢見てた4人の生活。娘が赤ちゃんを見たときにどんな顔をするんだろう?全てが楽しみでした。

分娩後に先生が言った「へその緒が端にくっついてた」そのことが気になり、説明を受けたいと頼みました。
通常なら胎盤の真中にへその緒ができるそうです。ですが私の場合は端にできていて、端にできた場合赤ちゃんが動いたりするときに
圧がかかりその結果胎盤部分がやぶけてしまって破水したということでした。(多分このような説明だったと思います。)

実際にはこの状態でも正常に生まれてくる子もいるとのこと。真中についていたとしても、死産してしまうケースもあるとのこと。
「よくあることなんですか?」と聞いたところ、私の場合は滅多にないケースで、本当に不幸なカードを引いてしまったとしか言いようがないと言われました。
ただ、今回の妊娠はこの時期に破水してなかったとしても、週数が経っていたとしても、何らかの問題がでてきた可能性があります。とも言われました。
医学的には赤ちゃんに障害があったとか、私に病気があったとか、無理してしまったとか、夫婦間に問題があったわけではないので、お二人が望むのであれば、次回の妊娠は正常に出産できると思います。と言われました。

その言葉を聞いて、また妊娠は望めるんだ。とほっとした気持ちと、話を理解しようとは思いましたが、なぜ滅多に起こらないことに私がなってしまったんだろう???と思わずにはいられませんでした。。

命の尊さ、人が生まれて成長していくことの奇跡。身にしみてわかりました。
体の痛みは人生の中で言えば一瞬のことで、日に日に回復していくと思います。でも、我が子を失った悲しみ、苦しみは本当に時間が解決してくれるのでしょうか?毎日毎日涙を流さない日はありません。

娘がいつも一緒で、泣いてるわけにはいかないので、今までと何も変わらないように過ごしてます。
何も変わらない・・・Sはいないのに。。それがよけいに辛くなる時もあります。
夜中に目が覚めて泣き、朝も目が覚めて泣き、一人になると涙が止まりません。声を出して泣くことはできませんが、ふっとした時に涙があふれてきます。それでも娘がいてくれることで、平穏を装っていられるのも事実です。

4月8日が娘の入学式でした。本当なら何を着ていこうか?とか入学準備をバタバタとしていたと思います。小学生になる娘の成長を感慨深く思っていたと思います。なのに、気持ちがどんよりしています。

ネットで流産を検索していろんなサイトを拝見しました。全妊娠の15%とは思えないくらいの体験を知りビックリしました。
妊娠すれば、安定期になれば・・・。今までの私の無知差に気が付きました。
主人が仕事に行くようになり、会社の方でうちと同じように2人目を亡くされた方がいたそうです。こんなことでもない限り、あえて人に言うことでもなかったから、と言われたそうです。
街を幸せそうに歩いてる方でも、同じような悲しみを持ってる方もいるのかもしれません。
ネットで同じような思いをされてる方もいらっしゃることを知り、自分だけじゃないんだという気持ちになりました。
でもその裏側で何も問題なく、2人、3人、産んでる方もいます。なんで私が??なんで??と思ってしまいます。

今は外に出ることが怖くてしょうがありません。妊娠を知ってた人に会うのが怖いのです。コープの共同購入もやめることにしました。スイミングスクールも別のところに変えようと思い退会しました。一緒に行ってたお友達にはまだ言ってません。
入院中に娘がお世話になったことは本当に感謝しているのですが、その人は3人お子さんがいて、3人目は去年生まれたばかりの男の子です。私には今までのように付き合っていく自信がないのです。
普通に振舞ってしまう自分がわかるので、その後どんな気持ちになってしまうのかがわかるので、今は誰とも会いたくないと思ってます。

今はこの悲しみから立ち直ることができるのかどうかわかりません。
もう一度赤ちゃんを抱きたいという気持ちはありますが、また同じ思いをしてしまったらと思うと怖くてしょうがありません。

おかよさんのHPを拝見し、今でもあの時の選択が正しかったかどうかがわからないと書かれてましたね。。。私も同じです。
私の場合は選択肢はありませんでしたが、ネットでそういう選択があったということを知ってました。医師に強く訴えれば、選択肢はあったのかもしれません。今回の選択が、決断が、正しかったのかどうかは一生かかっても答えは見つからないのかもしれません。

おかよさんの妹さんのお子さんの記録も読ませていただきました。
元気に成長されたお子さんのことを知り、奇跡を信じてみようかと思う気持ちもありました。でももし信じていた奇跡が、最悪のケースになってしまった時、私たち家族はどうなっていたのでしょうか。。考えても考えてもやっぱり答えは出てきません。

今は現実を受け止め、あの子が教えてくれた、命の尊さ、生きているという奇跡を感謝して、精一杯生きることしか、私にはできません。
毎日凹んでしまうことはありますが、それでも生きている、それだけで幸せなことなのかもしれません。
今まで生きてきた中で、辛い、苦しいことはありました。そのことがとてもちっぽけに思ってしまうくらい、我が子の死はとても辛い経験です。同じ経験をされた方じゃないとわからない辛さだと思ってます。
私の身近には同じような経験をした人がいません。心配してくれる友人はいるのですが、やっぱり心配かけたくないと思う気持ちがあって、何もなかったように接してしまってます。

でも本当はまだとっても苦しく辛い想いでいっぱいです。主人が家にいるときはもちろん娘がおりますので、元気に過ごしているのだと主人も思ってると思います。
心配はかけたくない。。でも本当は辛いことをわかって欲しい。誰にも言えない気持ちを、同じような経験をされているおかよさんに聞いていただきたかったのです。長々と申しわけありませんでした。

まだまだ心の回復は時間がかかりそうですが、1日1日を流れに身を任せ過ごしていきたいと思ってます。またよかったら聞いていただけると嬉しいです。



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