出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

メインサイト http://www15.ocn.ne.jp/~nikomama/

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告
∧top | under∨

ブログのご紹介『蒼い空のしたで』

蒼空(そら)ちゃんのママが綴るブログ
『蒼い空のしたで』をご紹介します。



蒼空ちゃんは、ママのおなかの中にいる時に、脳に病気が見つかりました。
ママはアメリカ在住。
まわりに話を聞いてくれる人もいない中、悩み抜き、そして蒼空ちゃんをお空に還されました。

タイトルに込められた想い。



ママは、青い空を蒼空ちゃんを想いながら見上げます。
そしてその蒼い空の下で、ママは未来を見つめ始めました。

新しい命を授かりたい、と。


そんなsoramamaさんが綴るブログです。

*soramamaさんが蒼空ちゃんと新しい命の為に編まれたベビーシューズとミトン。可愛くて可愛くて胸がキュンと鳴ります・・・。


スポンサーサイト
別窓 | リンク先のご紹介 | コメント:1 | トラックバック:0
∧top | under∨

人工死産体験談<ケース14>

128sou_600.jpg



私たち夫婦は33歳で、結婚7年目でやっと体外受精による二卵性の赤ちゃんを授かりました。
2~3年、不妊治療のタイミング療法を続けてた折に、先生から「治験の体外受精をしてみないか」と言われ、体外受精を考えていなかった私たちでしたが、神様がチャンスを下さったんだなあ、と受ける事にしました。
あれよあれよという間に日々は過ぎていき、卵巣刺激症候群の腹水に耐えながらも、見事妊娠する事が出来ました。
最初は一人でしたが後になって双子が判明し、私は戸惑いもありましたが、主人は大喜びでした。
個人の助産院で出産したかったのですが、双子の為、市立の総合病院へ行く事になりました。
双子の大きさに差があるものの、心拍もあるし大丈夫でしょうという事で、多胎出産予定表に3/9で記入されました。
その日の内に母子手帳も二冊もらいに行きました。今思えば、幸せというかただ(嬉しい)だけだったのはこの日まででした。

翌々週の8月17日(11週)で、片方の赤ちゃんが亡くなってました。最初、若い先生が診て下さってましたが、ベテランの先生に代わり、亡くなってる事が告げられました。聞いた途端、主人の顔が浮かびがっがりするやろなあ、と泣いてしまいました。
その先生は「これは自然淘汰で、神様がそうされた事だから仕方がない」と、色々言って下さるのがかえって涙が止まりませんでした。まだこの週数なら、もう一人の赤ちゃんに影響はなく、私の体に吸収されるはずで一応、流産止めの漢方を処方されました。

翌々週の8月31日、亡くなった赤ちゃんは吸収されず、胎盤は別々だけど血管の一部が入り込んでるために溶血というアンモニアなどの毒素が赤ちゃんに影響し、貧血状態で浮腫になっている、との事。
もう少し先の週数なら、私に強心剤を投与して、赤ちゃんに送る事ができるけど、今は何もできない。
漢方と血液の流れを良くする薬、流産を引き起こす「りんご病」の検査をする。
赤ちゃんの肝臓と腎臓に負担がかかる、1週間後に成長してなければ難しい、障害が残るかも、等…
もう、どうしていいのかわからないまま仕事へ。
翌日の9月1日、義妹が2人目を出産。

翌週の9月7日、主人と一緒に診察。現在14週で、むくみはわからなくなっていて、成長は止まっているが、現在は内臓の修復をしている時期。良くはなっているが、先生は大丈夫とは言わない。(今は)心拍もあるけど胎盤の完成する16週までは安心できない、との事。
この日、ドプラで主人は初めて赤ちゃんの心音を聞く。驚いてた。
私たちは信じよう、大丈夫、と前向きに考えることにしました。

翌週9月14日、大丈夫と思って過ごした一週間、今までになく軽い気持ちで診察へ。ドプラで心拍確認、ほっとした。
診察、先生が何も言わない。   ?   ?  「困ったな…」と一言。 え?と聞き返すと、成長が止まって皮膚が出来る前に内臓が先に育ったか、水腫によって皮膚がぶよぶよになったために破けたかで内臓が全部でている。
私は何も言えなかった。絶句、何を言われてるのかわからなかった。ほんとに。
すぐに主人へ電話、こっちへ向かってくれる。会社にも電話、何を言ったのかな…父へ電話したら私も父も泣いた。
肺は肋骨に守られて大丈夫だけど、他は出てしまっている、8、9ヶ月くらいなら早産させて殖皮できるけど今は何もできない。この病院では高度な技術がないから、高度な医療センターにセカンドオピニオンで聞いてみるか。明日と来週予約とっておくから、2人でよく考えておいで、と言われ私たちは車の中で話す。
主人は諦めようという。私ももうだめかも、と思っている。でも出来る限りしたいから、センターへ電話する。
臍帯ヘルニアかもしれない、お腹の中である程度の週数まで育てたら何とかなるかも、今すぐ来なさいとの事。
超音波で初めて五本指、横顔を見た。嬉しかった。先生は、この子自分の体見たらびっくりするやろけど元気やな、しんどないで、と言われる。心臓動いてる、と私が言うと黙ってしまい、他の先生と小声で相談。
「もう今回諦め、臓器だけやったらうちは何とか出来るけど、心臓も出てしまってるからどうにもならん。かわいそうやな、元気な赤ちゃんが生まれるんやったら痛うてもええけど、陣痛こさせて出産せなあかん、…天国から地獄やな、ここ来た事先生に黙っときや」、と言われた。会計で待ってる間、2人とも泣いてなかった。
もう認めなあかん、もう受け入れなあかん、診察の時に思ってたかな。病院を出て、決めた事を心配してくれてる人たちに電話する。出産したばかりで、里帰り中の義妹の声をきいたら泣いてしまった。義妹も泣いたので、上の甥っ子が「どうしたん?笑」とティッシュを渡してるようだった。ほんとに長い一日でした。

翌日、元の病院へ主人と行く。先生に決めた事を静かに伝えた。間違った判断ではない、と言われる。
先生もぽつりぽつりと、自分たちも流産経験が何度もあること。諦めかけてたけど、当時の不妊治療で子供を授かり、でも先生は不妊治療は嫌いだ、という。体作りをして、あの夫婦いいなと思ったら赤ちゃんは来てくれるから、と。
私たちはもっともだな、とほんとに気持ちが落ち着いた。母体の為にも9月19日に入院する事になった。

翌朝、涙が止まらない。土曜日で休日だったけど、仕事へ。

9月19日入院。朝、先生から処置について聞く。「何かある?」という問いに「赤ちゃんのお腹、元に戻ってたらいいなあ、て言うて
たんですけど…」と言うと先生が絶句してました。「赤ちゃんは見せてもらえるんですか?」に、「見せます、現実を受け止めてもらう為にも、」と。主人が「もう一人の子は?」と聞くと「一緒に出します、もう形はないけどね。多分ここやろなあ、という感じです。」
… お昼に早速プログランディン?という棒のようなものを一本、とても痛かった。生理痛のような痛み。夕方にも二回目。夜はあまり眠れなかった…

9月20日、朝に三回目と、陣痛促進剤を挿入。その時に赤ちゃん最後に見とくか?と見せてもらう。背骨の骨格が見えた。写真も下さいました。亡くなった赤ちゃんの写真も。小さい小さい卵みたいです。自然に涙が出た。
回診で先生が来られて、別の先生の「これは?(亡くなった赤ちゃん)」に一緒に出したらなかわいそうやからね、と。
お昼に二回目の座薬、二時に三回目。夕方に四回目、私は効きが悪いらしく投与量いっぱいの五回目でやっとすごく痛みが強くなり出血。分娩台へ。助産師さんが手を入れた途端に破水しました。その時に片足がでたらしく、先生がもう片方の足を出して本格的に始まりました。主人の手を力一杯握り、4回ほど吐いてしまい、痛い痛いと訴えてしまいました。
生まれてきた赤ちゃん、助産師さんがどこかへ持っていったのを、先生が探し回り私たちにすぐ見せて下さいました。
15センチ、135グラムの男の子でした。頭を持ち上げた時に、口がパクッと開いた。お腹からは小さい内臓が出てました。
形のない赤ちゃんもこの部分、と教えてくださいました。きれいにしてもらい、箱にガーゼで布団を作って頂き、よく見ると爪もあって助産師さんに足が長いね、と言われました。2人一緒にいました。
初めて涙がでた。私のお腹でここまで大きく育ってくれてたのかと思うと、愛おしかった。ほんとにかわいかった。

助産師さんも看護師さんも、主人に火葬について説明してくださって、私たちは自分で全部しようと思ってましたが、結局、翌朝に葬儀屋さんにお願いする事になりました。
病室に戻った時、看護師さんが自分の流産体験を話してくださって、「またおいで、皆待ってるからね」と…
皆さんやさしい。ほんとに。

翌朝、赤ちゃんに会わせてもらう。昨日とは違う気持ち。激しく泣いてしまった、箱に入ってるんじゃなくこの胸に抱きしめたかった。
葬儀屋さんが来たらしく、主人が手続きに行ってくれた。私はベッドで片付けながら泣いていたら、主人が赤ちゃんを連れて来てくれた。皆に見えない様、声を押し殺して抱きしめて泣いた。触ると冷たい、かわいい。離したくない。赤ちゃん、赤ちゃん。守れんでごめん。     

さよならの時がきました。

ずっと涙が止まらなかった。父が来て、そんな私を見て泣いてた。こんなに悲しい事はないです。何を見ても泣いてしまう。こんなに泣けるのかと思うくらいずっと泣いてました。
少し大きくなってたお腹に、もう赤ちゃんはいない。普通すぎる毎日に戻ってるのに赤ちゃんだけがいない。誰に何を言ってもらっても、この気持ちは自分で乗り越えなければいけない。

供養に行くのに、肌着の二枚セットを買う。手洗いして、おっぱいに一枚ずつあてて寝た。
ちょうどお彼岸という事もあって人が多く、たくさんの人にお線香をあげて頂いたので、よかったなあ、と泣いてしまったけど少し気持ちが落ち着いた。

今、漢方で体作りをしてます。ひどかった生理痛もなくなり、順調です。
いつかまた、赤ちゃん達が戻ってきてくれるのを信じて。漢方薬を飲む度、赤ちゃんに近づいてると感じてます。

長々と申し訳ありません。こうして書く事によって、自分の中で何だろう…?とにかく泣きながら思い出しながら書きました。 
皆は双子じゃなかったらなあ、と言いました。でも、助けようとして血管をくい込ませたんだと思う。
やさしい子たちなんですよ。私たち夫婦にも「本当のやさしさ」とは何かを教えてくれました。
主人は泣き虫になりました、泣き虫な私は少し強くなりました。
ほんとにありがとうね、ごめんね。
別窓 | お寄せいただいた人工死産体験談 | コメント:3 | トラックバック:0
∧top | under∨
| 出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。