出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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人工死産体験談<ケース7>

空7


【ケース7】 2005年8月23日  

基礎体温を一生懸命つけて2年間。微塵も妊娠しなかった。助産師だけど、結婚したらすぐ妊娠できるものと思ってました。
頑張っても変わらない毎日に変化をつけようと、また働き始めた2004年4月。基礎体温もやめました。そしたら5月、毎月来るものが来なくて・・・・何回も検査薬しました。何度しても陽性でした。
勤めだしたばかりなのに、院長に診察してもらいました。申し訳ない、、、でもうれしかった~~。うれしかったから仕事帰りにプーさんのノートを買い、初めての日記もつけ始めました。エコーにうつった小さな袋、それが私の妊娠の証でした。もしかしたらだめになるかもしれないから、、って夫に言ってもうれしくて仕方ないらしく、いろいろ身内に電話してたなあ・・・。
妊娠がわかっても私は助産師。患者さんには言わないけど、つわりの患者さんにも陣痛に耐えてる患者さんにも無事お産を終えた患者さんにも、自分のことのようにうれしくもあり親身になれました。「私も本当は妊娠してるんです」いつか言ってしまいそうでした・・
夜勤中に走り回るほどお産があったり、急を要して患者さんを抱えたり・・
マザークラスでは『しないでくださいね』って言うことばかりしてました。
(後になって思えば、こんな生活も悪かったのか…)
でも妊娠はすこぶる順調。仕事の合間に検診、そのときにもらったエコーはカラーコピーしてプーさんノートに貼って。。。。それでも楽しくて楽しくて・・私だけの楽しみでした。

2004年6月25日(9w)
予定日が決まりました。2005年1月25日。そして翌日、母子手帳をもらいにいきました。念願の母子手帳。仕事では見慣れた母子手帳。私のは光って見えました。

おなかの中でチビたんはどんどん大きくなりました。エコーではいつもきれいな体育すわり。だから見せてくれない。性別は「きっと女の子!!」と夫に豪語してました。とりあえず性別が分かるまでは『チビたん』でいこう!!

2004年8月31日(19w0d)
仰向けで寝てると、おなかがむむむっと違和感を感じました。「もしかして、これが胎動か~~??」うれし~~~~。夫が触っても動かない。でも私にはわかる優越感。このころからチビたんは時々合図を送ってくれてました。でも仕事も忙しくておなかが張ったりチビたんがトントンしても返してあげれなかった・・・

2004年9月14日(21w0d)
おりものも多いし、おなかがけっこう張ってて心配になり予定より3日早めに診察してもらいました。また仕事の合間に・・おなかからのエコーが長い気がしました。私から見える画面では院長はチビたんの頭ばかり見ようとしています。なんで???チビたんも大きくなってるし心音もしっかりしてるよ、と言われました。が、おりものも多いと言っていたので内診台へ・・。おりものは問題なけど、こちらでもなが~いエコー。怖くてエコーの画面を見てられなかった・・・・
涙が出そうだったけど、みんないるし、平静を装って内診室から出ました。院長の前に座ると、院長もいつもと変わらない表情で『ちょっと分かりにくいところがあるので、エコーの専門の先生に診てもらっておいで。明日の午後、休みにしていいから行っておいで』と・・
私も産科でずっと働いてる助産師。瞬間、「だめなんだ」と思いました。午後も普通に働きましたが、頭の中はごちゃごちゃでした。目の前にいる患者さんの赤ちゃんを見ることができませんでした。
その夜、夫には大きな病院に行くことだけ伝えました。夫は「一緒に行こうか」と言ってくれましたが、断りました。心配かけたくなかったからなるべく笑って「大丈夫だよ」と言って・・
本当は不安で不安で吐きそうなくらいでした。

2004年9月15日(21w1d)
午前中普通に仕事をし、午後、そのまま紹介状をもって大きな病院へ行きました。診てくれる先生はよく当直に来てくれる先生です。その先生ともう少し若い先生と2人でエコーしてくれました。「二人の目で見たほうが確かな診断ができるから」って・・・
おなかの上からも、下からも。。。。その時間、約1時間。絶望でした。
私の仕事も知ってるせいもあってか、先生たちは病名を英語で言ってました。でも分かるものもいくつかあって…。ほんとエコーされながら涙が出ました。
診断は脳が発達しない病気で20000~50000人に1人の珍しい病気。病気のため大脳が出来てないといわれました。生まれても呼吸も自分ではできないかもしれない病気でした。
帰りの電車から夫に泣きながら電話し、心配して駅まで迎えにきてくれ、職場へ電話し、院長に会いに行きました。
院長から妊娠を継続するかどうかを二人で決めてくださいと言われました。日本の母体保護法では22週以降の人工死産は認められていません。もし諦めるなら2日かかります。私たちに考える時間はこの夜しかありませんでした。正直、治らない、長く生きれない、退院も出来ないかもしれない病気の子供を受け入れられるか私には自信がありませんでした。それは夫も同じだったようで、夫の両親にも報告した結果、諦めることに決めました。
夜中、目が覚めて持ってる参考書を読んだり、ネットで病気を調べたら生まれてから見つかった同じ病気の子供を育ててる方がいらっしゃいました。でも1~2歳で亡くなられていました。
私がチビたんの命の終わりを決めてしまった。生きる権利を奪った母親だ。
涙が止まらない私のおなかの中をチビたんは動きまくっていました。

2004年9月16日(21w2d)
朝、院長に電話して中期中絶をお願いしました。昼前に入院したら、今日は休みのはずの助産師仲間がきてました。私の担当だって。
午後、子宮口を広げる処置。それまでは雑談をしてカラカラ笑ってた彼女はこのとき泣いてました。夕方また診察。子宮口を広げる処置。痛かったけど、チビたんのほうが苦しい
から我慢しました。
その夜、夫は病院に泊まってくれました。チビたんは収縮する子宮が狭いのか今までになく動きます。夫がはじめて私のおなかを通じてチビたんの動きを感じました。動きまくってるチビたんは私に何を伝えたかったんだろう・・・

2004年9月17日(21w3d)
朝、膣の中に陣痛を起こす薬を入れました。その前に特別にお願いして最後のエコーをビデオにとってもらいました。チビたんは動きまくっています。お願い、もう眠ってて~。そう思いながら痛いおなかをさすりました。
午後0時30分 2個目の薬を入れました。今度はかなりの陣痛が来ました。おなか痛いのと、チビたんを産みたくないのとで泣きながら車椅子で手術室へ行きました。
小さいチビたんなのにいきんでもいきんでも出なくて・・4回くらいいきんでやっとチビたんは外に出ました。
午後2時14分
380g、26cmの男の子でした。私より若い助産師さんにあとから聞いたのですがチビたんはもう息絶えてたそうです。小さなチビたんはパパ(夫)に先に会いました。夫は「かわいいよ~」と笑っていってくれました。私には涙を見せませんでいた。チビたんは亡くなってしまったけど、夫が「かわいい」と言ってくれたのがうれしかった。
私は病室に戻り、スタッフが作ってくれた産着を着て箱に入ったチビたんに会いました。
かわいくてかわいくて、、本当にこの小さな頭の中に病気があったのかと思うくらい。
一瞬、チビたんの顔が緩んだように見え、息してるのかと思ったけど、触ったらもう冷たかった・・・・
チビたんはそのまま葬儀屋さんに預けました。遠くで赤ちゃんの泣く声がします。早くうちに帰りたかった・・・・院長が「退院していいよ」と言ってくれました。

2004年9月18日
葬儀屋さんから電話あり。火葬は明日になりました。
この日、夫は私をペットショップに誘いました。ここでコーギーの子犬に出会います。
夫はすぐ買いました。私もびっくりする間もなく・・・・
チビたん(男の子だったからチビタロウ)のいなくなった次の日に出会ったコーギー(♀)
「太郎」の相棒は「花子」だから『ハナ』と名づけました。ハナはこれから私たち夫婦の子供になりました。ハナが我が家に暖かい空気を誘い込んでくれました。

2004年9月19日
9時。チビタロウをお空へ返しました。小さいチビタロウが入る火葬場はほんとに小さいところでした。私が大事にしてたワンコのぬいぐるみと神社でもらった安産お守りも入れてあげました。私が苦しめてしまったから。
お骨も残らないチビタロウですが、灰は供養塔に残ることになりました。

私はちゃんと8週間、産休がもらえることになりました。
そのうち、2回診察で病院に行きましたが、動悸がして待合室では待てなかった。過換気になる自分がわかりました。
こんなことで仕事復帰できるのか、助産師の仕事は好きだけど、もうやめたほうがいいんじゃないか、自分がちゃんと元気に産んであげられなかったのに人のお産で『おめでとうございます』を言ってあげられないんじゃないか。そんなことを考えながらでも考えたくなくて
新しく家族になったハナのお世話をしながらだらだらした日を過ごしました。
今思えばこの産休の間、1人ではほとんど出かけませんでした。買い物にも行かない、外出もしない。軽い引きこもり。でもこのまま仕事をやめると二度と戻れない気がして仕事だけはやめないと自分の中で決めてました。

2004年11月13日
仕事復帰しました。みんなが気を使っているのがありありと分かるんだけど、
私はそれ以上に笑顔に徹しました。「助産師なんかならなきゃよかった!!」

~職場復帰してから~
私の仕事は助産師。お産がある限りお産に立ち会わなくてはいけません。
分娩室がふさがってるときは私がチビタロウを産んだ手術室でも分娩ができます。チビタロウを産んで、家で引きこもってるときよりも仕事復帰したときのほうが一番苦しかった。
赤ちゃんを見せたときのお母さんの顔、立ち会ったご主人の涙、ロビーで待つご家族の笑い声、沐浴するお母さんの母の表情、ベビー室で寝てる男のベビーちゃん。
どこもかしこも私が得られなかった現状ばかりでトイレに行っては涙を拭いていました。
何よりもお産された患者さんよりもそのご主人を見るほうが辛かった。
私の夫は何にも言わないけど、まわりでは普通に妊娠→出産とたどる経過がたどれず、ほんとにあたりまえのことが普通じゃない道に進んでしまって…。
「夫も今ごろあんな表情をして我が子を抱くはずだったのに抱かせてあげられなかった。お父さんにしてあげられなかた。」と思うと胸が苦しくて仕方なかった。
一番仲のよい兄夫婦、従兄弟、みんな順調な妊娠経過をすごし普通に赤ちゃんが産まれて、子供と遊ぶご主人を見てはまた涙が出そうになるのをこらえなきゃいけない日々でした。今でもそれはかわりません。
あれからもうすぐ一年になります。職場では本当に何にもなかったかのように時が流れてあれからもう一年たつなんて誰も覚えてないと思います。
でも職場復帰してから何度か人工死産がありました。私と同じ時期に致命的な病気が見つかり諦めたようです。人工死産に立ち会うのも助産師の仕事。でも私は立ち会えず、人に任せてばかり、、、、患者さんの気持ちがすごく分かるのに、自分の気持ちのほうが先行してしまって患者さんの心の支えになってあげることができないでいます。
よく「私も流産したときはいっぱい泣いた・・・でも考えても仕方ないよ」と何度もなぐさめられました。でも逆に落ち込むばかり。私は流産じゃない。私の決断で赤ちゃんの命を絶ったのだから。
そしてハナのことも「どんなにかわいがってもしょせん犬だから」といわれま
した。この言葉で何度落ち込んだか。やっぱり私の気持ちは誰にもわからないと確信しました。

でもまた妊娠したら同じ事が起こるんじゃないか、そんな不安もあり妊娠に積極的にもなれず、、、、
でも私は今もチビタロウの命を私の決断で絶った病院で働いています。まだ産んだことはないけど胎動の感じはじめをマザークラスで説明したり、安静のため点滴入院してる患者さんからは「(ハナ)さんも、子供がいたらわかりますよ~」と言われながら・・・・それが私のチビタロウに対するお詫びかもしれないと思いながら・・
プーさんノートの日記はノートの5分の1くらいしか使わずに終わっています。母子手帳は健診の記録が3行。何もかもチビタロウの思い出として途中で終わっています。でもまだしまうことができずいつでも取り出せるところにおいています。
最近の私はひたすら働く毎日。職場ではめそめそしたりはなくなりました。ただあれから一年もたつとまわりはかわってきます。
私と同じころに結婚した友達は2人目を妊娠し、最近結婚した子が次々妊娠し、職場の同僚は来年の1月26日が予定日。私と一日違い。人の妊娠報告を聞くたびに素直に喜べない・・・みんなあたりまえに妊娠が経過しています。私が超えれなかった21週3日もすんなり越えて・・・
夫は表には何にも言わないし、チビタロウのことも話題には出しません。どう考えているのかわからない分、怖いです。私と同じようにまた妊娠することが怖いんじゃないか、とも思います。
チビタロウを産んでほとんどもとの生活とかわらず過ぎてますが一つ変わったことは友達に会いたいと思わなくなりました。連絡をもらってもなんとなく会いたくない。仕事してなかったら誰にも会ってなかったかもしれない。
いつまでこんな気持ちが続くのか、いつまで人工死産から逃げていられるか私にはぜんぜんわかりませんが、時間は間違いなく過ぎているので私は仕事して夫とハナを大事にして生きるしかありません。
私のまわりには流産した人はいても、人工死産した人はいなくて気持ちを話す相手もなく
ほんと、このおかよさんのHPがなかったら仕事復帰もしてなかったと思います。私は自分だけがこんな体験をして、あたりまえに元気な赤ちゃんを産むことができなくて、人からは「辛いことがあっても頑張らなきゃいけない」と言われつづけ、誰も私の気持ちなんてわかってくれないと思ってたし私が泣くと、みんなが困るから泣いちゃいけないと思ってたし。
でもおかよさんのHPで同じ思いの人と出会い、PCに向かってしっかり泣いて外では頑張れるようになりました。「私の気持ちをわかってくれる人がいる」それだけで楽になれました。そして助産師だからこんな体験を神様がさせたのかもしれない。そう思うようにもなりました。

うまくいえないんですが、おかよさんの体験を含め「泣いて笑って」で出会った皆さんに打ち明けることで私は少し前を向くことができて本当によかったと思っています。
チビタロウのこと、私は絶対忘れない。今でもおなかがグルグルするとチビタロウがいるんじゃないかと思っておなかに手を当てたりします。誰もいないんですけどね。
チビタロウを抱いてあげればよかった。今でも後悔してます。時々私とおなかの中のチビタロウ、夫の三人で過ごした病室では無事出産された患者さんが入院されます。そこの部屋へ行くと汗が出て胸が苦しくなります。
私は今では誰にも自分の妊娠してた話をしません。夫にも。今でも泣いてしまうから・・・
たぶんいつまでたってもかわらないんだと思います。
それでもいいっておかよさんが言ってくれたから、、、、
今回体験談を書くことで秘めてた思いをまた掘り返していっぱい泣きました。書くことで少し整理ができました。こんな機会を与えてもっらって感謝しています。
長くなってすみません。
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