出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

メインサイト http://www15.ocn.ne.jp/~nikomama/

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告
∧top | under∨

人工死産体験談<ケース8>

空8


【ケース8】  2005年8月24日    

死産で検索していたらたどり着きました。人工死産。その言葉は私も深く傷つきました。
私の体験談を聞いてもらいたくメールしました。文章力がないので読みづらいと思いますが
私が結婚したのは2004年2月20日です。そして初めて妊娠したのが2004年10月のことでした。新しくパートの仕事に就いたばかりだったので少し戸惑いもありましたが、嬉しかった。 初めての妊娠で分からないことだらけでした。でも順調に赤ちゃんは成長していました。

しかし2005年1月2日。実家に兄弟家族が集まり楽しく過ごしていました。私も5ヶ月に入り安定期だね、なんて話していました。その矢先、突然水のようなものがたくさん出てきました。「えっ?何?」急いでトイレに行きました。でも止まることなくどんどん出てきます。もしかして破水?!まさかこんな早い時期に?

私は前期破水という言葉があることすら知りませんでした。急いで病院に行くと
その時すでに出血が始まっていました。私はこの時初めて危険な状態なんだと分かりました。16週でした。先生から「破水してしまって羊水がすべてなくなりました・・・・継続は無理でしょう」 ・・・涙でいっぱいになり先生の話がよく聞こえなかった。「このままでは母体が危険です。人工的に陣痛を起こし赤ちゃんを出すことになります」先生の言っている意味がわからなかった。陣痛をおこして赤ちゃんをだす??なんで??

そして2005年1月6日。女の子を出産。赤ちゃんに会わせてもらえず分娩台の上で死産届けの書類を書かされ、旦那にすぐ市役所へ行くように指示していました。そして小さな小さな箱に詰められ旦那が火葬場へ行きました。

それから私は毎日毎日、家に引きこもり泣いていました。原因不明の破水と言われ原因を一生懸命考えていました。それでも少しずつ外へ出れるようになり、友達とも遊べるようになり、働きにもでました。そんな忙しい生活をしているうちに前向きに考えれるようになってきました。

そして・・・・

2005年5月妊娠。嬉しかった。それと同時に不安に襲われました。また同じことが起こるんじゃないか。でも赤ちゃんの生命力を信じよう!同じことはおこらない!そして不安を抱えながらも二度目の妊娠生活が始まりました。16週目が近づくごとに怖くてたまらなかった。でも16,17,18週と何事もなく迎えられました。

8月に入りもうすぐ6ヶ月!とても幸せでした。それなのに・・・
検診にいくと先生、看護師さんたちが慌しくなっている様子がわかりました。「子宮の出口あるよね?頸管って言うんだけど普通この時期4センチくらいが正常なの。それが半分以下になっちゃってるから、総合病院紹介するから念のため診てもらって。」
先生は落ち着いた様子で説明してくれました。何となく理解できました。そして総合病院に行き検診してもらった結果、頸管の長さが5ミリしかない、と。ここに来るまでに短くなってしまっていた。即入院。でもこの時私はまだ安心していた。入院していれば大丈夫だと。

次の日。頸管の長さ3ミリ。私は目の前が真っ暗になりました。涙でいっぱいでした。仕事を早退して駆けつけてくれた旦那が「絶対無事に生まれてくるから大丈夫だよ!」そう言ってくれました。翌日。子宮口が開いてきました。そして先生から手術の説明がありました。頸管を縛る手術。

破水の危険を伴うけど手術をするか聞かれました。やれることはやろう!そう旦那と話し合い翌週手術をすることになりました。
しかし翌日、胎胞がでてきてしまい、その日のうちに手術になりました。怖かった。破水するんじゃないか。・・・先生の「無事終わりましたよ、赤ちゃんも元気ですよ。」ホッとして涙がでました。これで赤ちゃん大丈夫だよね、よかった。
手術から5日後、縛った部分からさらに胎胞が出てきてしまいました。もう縛りなおすことはできない、このまま24週までもってくれれば助けられる。そう説明がありました。大丈夫!絶対大丈夫!!

二日後、破水・・・・20週。この時点で羊水は全部なかったのです。でも羊水が増えるかもしれない、その言葉を信じて一日一日を待ちました。早く24週になれ!
でも羊水がないまま赤ちゃんをお腹に置いておいて赤ちゃんは苦しいんじゃないか?身動きとれなくて可愛そう。そんな弱気な私をみて旦那が「赤ちゃんががんばってるのにお母さんが弱気でどうするよ!!」そう言われました。
そうだ!赤ちゃんはがんばってる、私ががんばらなきゃ。お願い、羊水増えて!!!毎日毎日祈りました。

21週目。羊水は増えてなかった。命の選択を迫られました。このまま継続しても肺が育たない、一生寝たきりの障害を持つ子が生まれる覚悟がなければ諦めたほうがいいと・・・。
そんなの決められない。ここまでがんばってきたのに。赤ちゃんもがんばってるのに。諦めるなんてできない。あと3週間だもん。産みたい。
でも正直覚悟なんてなかった。障害をもって生まれて幸せなのかもわからない。旦那と激しい言い合いになった。ずっとがんばれって励まし続けてくれていた旦那。側にいてくれた旦那。これからまだ長い人生、二人の人生大切にしたい。そう言われた。赤ちゃん見殺しにできない。決められなかった。この子はどうしたいんだろう・・・ごめんね、ごめんね。何度も謝った。

諦めます。先生に伝えた。でも私には諦めてよかったんだ、なんて思える日は一生来ない。自分達のために赤ちゃんを犠牲にした。それは一生背負い続けなければいけないんだって思いました。

2005年8月18日。400グラムの可愛い可愛い女の子。旦那が「宝塚にはいれるね」って言いいました。普通の赤ちゃんと同じように真っ白なお布団にくるまれて会わせてくれました。「本当可愛い子だね」看護師さんたちが言ってくれました。初めて会えたわが子。愛おしくてたまらない。会えてよかった。

それから退院し、お葬式、火葬をすませ自宅へ帰ってきました。
私には二人の天使がいます。なぜ二人もいるのかわからない。でも必ず意味があるのだと思います。
まだ寂しくて悲しくて会いたくて気持ちがごちゃごちゃだけど、必ず前に進めるからその日までゆっくり過ごそうと思います。

いつか必ず会える、そう信じて生きていきます。長い話、読んでくれてありがとうございました。
スポンサーサイト

別窓 | お寄せいただいた人工死産体験談 | コメント:0 | トラックバック:0
∧top | under∨
<<人工死産体験談<ケース9> | 出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】 | 人工死産体験談<ケース7>>>

この記事のコメント

∧top | under∨
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック

∧top | under∨
| 出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。