出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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人工死産体験談<ケース16>

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私は9年前、妊娠25週で第二子を人工死産しました。
無脳症でした。

本来ならもっと早い時期にエコーでわかったはずなのに、見逃されて25週という遅い時期の処置になりました。
発見は同じ時期に妊娠した友達ママと一緒に、通っていた個人病院に行ったときでした。

私だけ来週また来るように言われ、そのとき「頭の形が少し…」と言われたことを覚えています。

次の週にまた病院に行き、そこで紹介状を渡されました。紹介状の病院、県立のこども病院に夫と行って、診断を受けました。
「無脳症はそんなに珍しくない病気だ」と病院の先生は夫に向かって説明しました。そして私に、「どうしますか」と聞きました。「妊娠を終わらせることも、妊娠を続けることもできます。ただ、生まれてきても子供が生きられる可能性はありません」
そのほかにも、「無脳症は頭の上の部分ができていないので、出産時に開いた頭蓋骨で母体を傷つけることがあるため、発見された時点ですぐ死産させたほうが望ましい」と聞かされました。

私は「死産させます」と、自分で結論を出しました。

けれど、その病院では人工死産させることはできないのだと同じ日に言われました。

また個人病院に戻され、今度は大学病院を紹介してもらいました。どうして個人病院の医師は最初から大学病院を紹介してくれなかったのか、とか、どうして早く見つけてくれなかったのか、とか、心の中は悲しさと悔しさで一杯でした。
同時に感情をあらわにしない夫の態度にも不満を感じました。私は一緒に泣いてほしかったんです。
大学病院では、ラミナリアで子宮口を広げ、促進剤を使って出産しました。
その日まで胎動は感じていました。
陣痛は破水するまでものすごく辛かったです。その辛い時間に、大学病院だったので学生さんが見学に来ていて、よけいに苦しく感じました。それから破水して、途中で胎動を感じなくなり、ああ、終わったんだと思いました。不思議と破水してからは陣痛を感じなくなりました。ただ赤ちゃんは自然に出てくることはなく、医師が手を入れて取り出してくれました。

結果的に死産でした。
病院提携の葬儀社の棺に入った赤ちゃんを、私は見ることもなく空に送り出しました。
私が彼に初めて会ったとき、彼は真っ白い小さな小さな骨でした。

9年たって気持ちは落ち着いています。笑うこともできます。そして、死んでしまった彼のことを考えることも少なくなりました。
けれど、個人病院が怖いという気持ちと、夫に対する愛情が多少冷めてしまったことはもう変えようがありません。

長々とお読みいただきありがとうございました。
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