出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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人工死産体験談<ケース18>

空5


第三子を授かる数ヶ月前から・・・私は多大なストレスにより精神的に弱っていました。そんな時・・・赤ちゃんを授かったことを知り、「また兄弟が増えるのに、こんな母さんではいけない」と思うようになり、いつしかお腹の子供が私の頑張る源になっていました。次の子が生まれたらどんな風になるかな?、今度は妹かな弟かな?次の出産に向けて用意する物はないかな?など新しい家族が増えることを思い描きながら色々な事を考えていると、自然と精神的にも安らいでいました。しかし、回復していた私の精神状態を悪化させるショックな出来事が起こりました。

【18週3日】
家族全員で自宅から1時間ほどかかる病院へ向かいました。前回の健診は15週と5日目で、その時は全く異常もありませんでした。1ヶ月ごとの健診だったのですが、なぜか今回は早めに健診に行くことになりました。(もしかしたら、この時赤ちゃんがママとパパに異常を早く報せようとしていてくれたのかもしれません・・・。)
周辺の施設でパパが子供達を遊ばせてくれることになり、子供達にはまだ赤ちゃんがいることは教えていなかったので「ママはお腹が痛いから病院にいってくるね」と言い残し、一人で病院に行きました。
お医者さんや看護師さんといつものように楽しく会話をし、いつも通りの健診でした。
エコーの時、穏やかだった先生の顔が一変して曇り始めました。やけにいつもよりもエコーの時間が長いような気がするなと思っていると「旦那さんはすぐ来てくれることはできるかな?」と、パパを交えて説明をしたいと言われました。すぐに携帯に連絡し、パパが病院に来てくれることになったのですが、すごく心細くて、すぐにパパに来てほしい気持ちでいっぱいでした。パパを待っている間に、先生からもう一度赤ちゃんの様子をみたいのでエコーで再度確認してみようと言われたので、すぐに診察室に入りました。その時には、もう診察時間も終わり、患者さんは誰もいなくなっていました。先ほどと同様にとても時間をかけてエコーで赤ちゃんの様子をみてくれました。その間、心の中で「頑張って」と何度も赤ちゃんに語りかけていました。みんなが到着したので、家族全員で診察室に呼ばれ、エコー写真を見ながら先生から説明を受けました。

先生からは・・・羊水過少、そして『多嚢胞腎 』という診断をされました。
羊水がとても少なく、赤ちゃんの周りにほんの少しあるだけなんです。膀胱もエコーで確認することができません。羊水が少ないので肺も未発達になり、産まれても肺呼吸ができずすぐに亡くなってしまう可能性が高いです。現実的なことを考えると助かる確立は、ほぼ0%です・・・。このままお腹の中にいたとしても、残念ながら臨月まで生きていられるかわかりません。羊水が少ないと外部からの圧迫にも弱いため、手足に奇形がでてしまうこともあります。ご両親が悪いわけではなく、たまたまなのです・・・。このような場合、中絶を選ぶことが多いです。将来的なことや現在いるお子さんのこと等、様々な事を考慮して中絶という道を選んだとしても、誰もあなた達夫婦を責めることはないと思います。母体にも負担がかかってきますから、早い段階でどうするかを決めた方がいいと思います。

先生は本を見せながら、私達に説明をしてくれていました。先生は一つ一つ言葉を選んでオブラートに包んで話していたのですが、結果的に中絶をすすめていることがわかりました。
厳しい現実を突きつけられ、私は病院にいる間、涙が止まることはありませんでした。そんな私を見て、上の子供は「お腹痛いの?病院だから大丈夫だよ」と声をかけてくれました。精一杯励ましてくれている姿に更に涙がこぼれ落ちました。家に帰ってからも何も手につかず子供達を寝かしつけた後、一人で泣き続けました・・・。頭が真っ白で何も考えられず、眠ることもできませんでした。
そんな私の側でパパは一人で頑張ってくれていました・・・。パパは医療に携わる仕事をしているため、その病気について名前は耳にしたことはあったそうですが、「詳しいことはわからないから、パソコンを使って色々調べてみるから。」と、夜遅くまで様々な事を調べてくれました。また、パパの知人が様々な産婦人科の情報等を調べてくれたり、子供の面倒もみてくれていました。私がこんな状態でなにもできないので、ほとんどのことをパパがカバーしてくれました。病気について調べた事を私に伝えてくれ、その後パパの意見を話してくれました。

パパは・・・
先生から「旦那さんを呼んで・・・」と言われた時点で、何か異常があることはわかっていたけれど、“障害を持っている”という赤ちゃんであれば生きることができるのだから産んで一緒に育てていこうと言うと思うよ。けど・・・うちの赤ちゃんは腎臓と膀胱という大事な臓器がないんだよ・・・生きて産まれてきたとしても数日しか生きられないし、沢山の管を通されて痛い思いをしなくちゃならないんだよ・・・。俺は赤ちゃんに苦しい思いをさせたくないんだ。産まれてきたとしても、肺が機能しないかもしれない。それにお腹の中で赤ちゃんが亡くなったり、何か異常があればママの命も危険にさらされることだってあり得るんだよ?もしママが亡くなったら今残された二人の子供達はどうするの??きっと、赤ちゃんはママ想いの優しい子だと思うんだ。早い時点で自分の異常を教えてくれ、自分の命を引き替えにママの命を助けようとしてくれたんだから・・・。俺はママの命を優先してほしい・・・。

パパの中では宣告を受けた当日に気持ちは決まっていたようです。きっとパパもつらい決断であったと思います。後から考えれば、赤ちゃんがいかに苦しまないよう、そして私の心身を一番に気遣ってくれていた結果だったのだろうと思います。私の両親にも電話で現状を伝えましたが、両親もパパと同じ答えでした。

私は何も考えられず、自分があの時こうしてれば・・・こんなにストレスを感じていなければ・・・などと何かにつけて自分を責め、ずっと泣き続けました。いくら先生に誰が悪いわけでもないんだよと言われても、私が悪かったから・・・としか考えられませんでした。私の選択によってお腹の赤ちゃんの命が決まってしまうということ、今生きている命を決断によってお空へ還してしまうこと、せっかく望んで授かった子供をここで諦めてしまって本当にいいのだろうか・・・ 色々な事が頭の中を駆けめぐりました。決断を迫られていたため、こんなにすぐに答えを出して本当にいいのだろうか、次の健診には大丈夫になっているんじゃないかと思ったりすることもありました。でも、どう足掻いても現実は何も変わらない・・・
私はもう一度パパと話し合い、人工死産を行うという結果をだしました。人工死産を決断する時にはすごく迷いました。本当はどうにか生かしてあげたい気持ちでいっぱいでしたが、私一人がこの子をこのまま育てたいと言ってもパパや両親や子供達など沢山の人に迷惑をかけ、その間自分の精神状態は普通ではいられない事など、これからのことを考えると、私はこの選択肢を選ぶしかありませんでした。
人工死産を選択し、すぐに処置を行う病院に連絡をいれました。 健診を受けていた病院でも処置が行えるそうですが、入院中子供達を預かってくれる人がいないため私の実家近くの病院に行くことにしました。現状を説明すると受け入れてくれることになり、処置の方法や処置後の話を聞きました。

【18週6日】
紹介状を書いてもらいに病院に行きました。私の担当の先生は本当であれば今日は休みだったのですが、私たちに再度詳しい説明をしてくれました。
処置をお願いする病院にも電話連絡をしてくれました。最後まで本当に親身になって対応をしてくれました。


【19週1日】・・・入院一日目
子供達には「お腹が痛いから入院してくるから、言うことをよくきいて待っててね。すぐに帰ってくるから」と言い残し、母に子供達に任せ、紹介状を持ってパパと一緒に病院へ行きました。
新しい病院でもエコーで赤ちゃんの様子を見ましたが、やはり同じ診断結果でした。先生にも「このような場合、ほとんどの人はどのような結論を出すのでしょう?」と質問しました。先生は「ほとんどの場合、中絶を選びます。赤ちゃんがお腹の中で亡くなってしまえばお腹の中から出てき辛くなってきてしまうので色々な危険性も出てきます・・・」と、私の様々な質問にも丁寧に優しく答えてくれました。
覚悟を決めてきていたので、入院の手続きをすぐに行いました。入院してすぐに子宮の入り口を広げる器具を入れましたが、異物感と腹痛がひどく、少量の出血があったのですぐにベッドに横になりました。夕方になり、また再度器具を入れ直しました。入れる時よりも抜くときの方が痛くてたまりませんでした・・・。でも「赤ちゃんは羊水が少ないお腹の中で窮屈な思いをしてもっと辛いし苦しいんだ、こんな事で弱音はいていてはいけない」と言い聞かせ、痛みを我慢しました。パパは面会時間はずっと側にいてくれました。喜びの空間の中に一人だけこんな暗い気持ちの私がいる・・・。なんともいえない孤独感でした。そして生きられない赤ちゃんを産む恐怖心などが込み上げてきました。こんな状態では大部屋にはいられないと思い、個室を選びました。近くの部屋からは赤ちゃんの声やお見舞いに来ている人たちのにぎやかな声・・・。赤ちゃんとの別れが刻々と近づいてきているのだと考えると、普通の状態ではいられませんでした。
どうしてここにいなくてはならないんだろう、本当なら数ヶ月後には周りのお母さん達と同じような幸福な時間を迎えられたのに・・・。そう思うと涙が止まりませんでした。
赤ちゃんと一緒にいられるのはあとどれくらいなんだろう・・・。一緒にいられる時間は短いのだから、最後に赤ちゃんのためにしてあげられることは何かないかを考えました。急にお別れをすることになったので時間がなくてしてあげられることは限られているけど、自分が出来ることはと・・・思いついたのは、おくるみでした。ママの手編みのおくるみに包まれたまま、赤ちゃんをお空に還してあげようと、入院したその日から白い毛糸で編み始めました。一目一目想いを込めながら編み続けました。編み物をしている時は穏やかな気持ちになり、涙も出てきませんでした。全然眠れなかったので夜遅くまでおくるみを編み続けました。

【19週2日】・・・入院2日目
朝の健診があったので、診察室に向かいました。周りには妊婦さんやお産を終えたお母さん達が数人椅子に座って順番を待っていました。一人だけ暗い顔でお腹のふくらんでいない私を不思議そうに見ている方も中にはいました。その視線は心に痛く突き刺さり、早く自分の病室に行きたいとずっと思い続けていました。
今日から促進剤を使って陣痛をおこさせる処置を行うことになりました。昼過ぎには痛みがましてきましたが、時間が経っても子宮は1㎝ほどしか開きません。頭の大きさは4㎝ほどあるので、まだまだ開きが弱い状態でした。しかし強い痛みは続いているので、パパには病院に残ってもらうことになりました。パパが側にいるだけでとても心強く、夜中にお腹が痛くて辛い時でもパパは体をさすってくれ、ずっと励まし続けてくれました。

【19週3日】・・・入院3日目
朝方になっても開き具合は変わらなかったので、もう一度器具を入れて、子宮の入り口を開く処置を再び行うことになりました。予定であれば、入院して二日目に赤ちゃんを出産する予定でしたが、私の場合子宮の入り口が硬かったので入院が延び、赤ちゃんと一緒にいられる時間は少し増えましたが、複雑な心境でした。
朝の健診時に、再度器具を入れました。病院側が配慮してくれて、健診時に他の妊婦さん達とは会わないようになりました。一日目より痛みはなく、ずっとベッドで横になっていました。おくるみもなんとか編み上がり、2枚のおくるみが出来ました。赤ちゃんの大きさがハッキリと分からないので大小の2サイズを編み上げました。先生は「明日には産まれてくると思うから一緒に頑張ろう」と言ってくれました。パパが立ち会ってくれることができるように看護師さんにお願いしたのですが・・・「赤ちゃんが産まれてくる時にキレイな状態で産まれてくるか分からないし、何があるかわからないから許可できません」と言われ、ずっとパパと一緒に頑張り続けたいと思っていたのでショックで落ち込んでしまいました。
「普通の中絶の場合、夜遅くまで付き添う事は許されていないんです。こちらも様々な特別配慮をしていることを分かって下さい」と言われ、涙が溢れてきました。ワガママばかり言っていたことに反省し、「ワガママばかり言ってすみませんでした・・・」と看護師さんに謝りました。
「色々不安になるのは分かるし、辛いのもよくわかる・・・。でも赤ちゃんのためにもお母さんが頑張らなきゃね」と優しい言葉をかけてくれました。この看護師さんのおかげでしっかりしなくてはという気持ちになり、パパとは最後まで一緒に頑張れないけれど、赤ちゃんのために弱音をあげずに私一人でも頑張らなきゃならない!私が頑張らないと赤ちゃんはいつまでも天国に行くことができないのだからと思うようになりました。
実家に残してきた子供達二人が体調を崩していたため、私とパパが留守中は父母が看病をしてくれました。子供は少しの異変にも敏感なのでしょうか・・・。“自分のこと”、“赤ちゃんのこと”、“病気の子供達のこと”三つのどこに気持ちをもっていったらいいか分からない複雑な心境でした。明日は赤ちゃんとのお別れになってしまうと思うと、今日も薬を飲んでもあまり眠れませんでした。

【19週4日】
朝から促進剤を使用しました。入院2日目の時よりも痛みが激しく、昼過ぎに更に痛みが激しくなってきたので、パパがナースコールのボタンを押してくれました。看護師さんが駆け付けてくれましたが、2㎝しか開いていないとのことでした。あまり力を入れずに陣痛を逃すようにしたほうがいいですよと言われたのですが、なかなかうまくできませんでした。それから一時間後・・・痛みが更に増し、急に股の部分にポッカリ穴があいたような感覚になりました。「産まれる!」そう思い、急いでパパがナースコールを押すと、すぐに看護師さんがきてくれました。「歩いて分娩室に行きましょう」と言われ、なんとか自力で分娩台まで行きました。師長さんと年配の看護師さんが分娩に立ち会ってくれました。力一杯2回ほどいきむと、すぐに赤ちゃんは産まれてきてくれました。師長さんに、「後程パパと一緒に赤ちゃんに会いに来てもいいですか・・・?」と話すと、師長さんは「会うべきか会わないべきかとても迷っていたし、不安な気持ちを今まで聞いていたから、今はパパだけが赤ちゃんに会った方がいいかもしれない」という言葉が返ってきました。
師長さんには、入院してからずっと不安な気持ちを打ち明けていました。“赤ちゃんに会うとショックから立ち直れないかもしれない・・・”、“会うべきなのか分からない・・・”などと赤ちゃんに会った後こみ上げてくるつらい気持ちを話していたため、師長さんは、きっと私の事を考えこのような言葉を話してくれたのだと思います。師長さんは私が病室までずっと一緒に付き添っていてくれました。
病室に行くと、パパが待っていてくれました。分娩室に行ってすぐに帰ってきたので、全然時間がかからなかったのでビックリしたそうです。時間としては20分くらいで処置は終わり、私のお腹から赤ちゃんはお空へ旅立ってしまったようです。
パパとも以前から、会うべきかどうかを話していました。パパも師長さんと一緒の意見で「ママは赤ちゃんに会うと精神的にかなりショックを受け、立ち直れないかもしれないから会わない方がいいのかもしれない・・・」と言われていました。パパは「俺は赤ちゃんの状態を伝えることができる。こんな体だった、こんな感じだった・・・などとママに様子を伝えることはできるから、それを聞いてみてからもう一度考えてごらん」と言い残し、パパだけが看護師さんに呼ばれ、赤ちゃんに会いに行きました。その間どうすべきか考えてみましたが、答えは見つかりませんでした。
パパが戻ってきて、赤ちゃんの事を教えてくれました。赤ちゃんの産まれた時間や体重の他に、赤ちゃんはとても小さく、パパの片手に乗ってしまうほどの大きさで、上の二人の赤ちゃんの時に似ている顔だったよと教えてくれました。性別は男の子で、頚の後ろに大きなアザができていたそうです。産まれてくるときに頭やお尻からではなく、頚の後ろから産まれてきたため、難産になってしまったそうです。難産でしたが、赤ちゃんの体が損傷することはなく、きれいな状態で産まれてきてくれ、胎盤も全てきれいにでてくれたそうです。
亡くなった赤ちゃんの名前をつけてあげることにしました。第一子も第二子も、流産した二人の赤ちゃん達の名前もパパがつけてくれました。しかし、私はずっと考えていた名前があり、パパにその名前をつけたいと話すと、その名前に決定してくれました。赤ちゃんの名前は『優(ゆう)』。名付けた理由は、早い段階で自分の異常を教えてくれ、どこかちぎれたり傷ついたりすることなくキレイな状態で産まれてきてくれた・・・ママの命を助けてくれた・・・等々、最後の最後まで家族想いの優しい子だったので優と名付けました。

入院の際に病院側にお願いしていたので葬儀屋さんが来てくれました。火葬の手続きについてや、位牌、骨箱などを手配していただき、明日の昼過ぎに火葬場で待ち合わせをする約束をしました。初めての事で何も分からず、気持ちも落ち着いていなかったので自分達で手続きはできなかっただろうなと思いました。

実家の両親に電話で、赤ちゃんが産まれたことを伝えました。赤ちゃんは、私の実家のお寺に納めることになりました。「明日は、パパと一緒に赤ちゃんを供養してあげてね。子供のことは心配いらないから。・・・頑張ったね。」と母は言ってくれました。本当は今日が私の両親の結婚記念日でした。そんな記念日に産まれ、お空に還った優の事を私達はずっと忘れないと思います。そして、赤ちゃんが産まれたこの地は、パパと出会った場所です。パパが以前住んでいた所でしたので、私達二人の思い出も多く、入籍の手続きをしたのもこの街でした。そんな私達にとってゆかりのある場所で、赤ちゃんとのお別れを選びました。


【19週5日】
朝までずっと赤ちゃんに会うかどうかを考えていました。会うとつらくなってしまうかも・・・でも・・・私は親なのに会わないでいいの?
色々な事を考え、一つの結論を出しました。悲しみも辛さも更に増すかもしれないけど、後悔しないように最後に一目でも我が子に会おう そう心の中で決めました。

お昼すぎに退院しました。赤ちゃんは他の場所で業者の方が預かっていてくれるので、パパと一緒に火葬場に向かいました。前日に雪が降り、朝から寒い日でした。
火葬場で、小さな小さな白い棺と対面しました。お焼香を・・・と係の人に言われましたが、声を出して号泣しました・・・足はガクガクして、立っているのがやっとの状態で、そんな私をパパが支えてくれていました。
火葬の直前に赤ちゃんと対面しました。棺の中には、安らかな表情の赤ちゃんがおくるみにくるまれて、左を向いて横たわっていました。対面した瞬間に更に涙が溢れ、赤ちゃんに「ありがとう」と「ごめんね」という言葉をかけ続けました。私の好きな色のピンク色の花と一緒に赤ちゃんをお空に還しました・・・。
待合室にいる間、優が授かってくれたことの意味を考えていました。なにか理由があって私達家族の所に来てくれたのだろう・・・と空を見ながら色々な事を考えていました。
小さな小さな骨をパパと二人で拾いましたが、途中で涙が止まらずつらくなってしまったため、パパに残った全ての骨を拾ってもらいました。
その後、私の実家近くのお寺に向かいました。パパが「赤ちゃんにも実家をみせてあげよう」そう言い、実家の前を通ろうとした時、後部座席から赤ちゃんの声が聞こえたそうです。もしかしたら、パパの後ろの席にのっていてくれたのかな・・・。涙は止まることはなく、お寺に到着してもずっと泣いていました。納骨堂へ行き、お経をあげてもらいました。お経をあげていただいている間に、急にスウッと気持ちが楽になり涙が止まりました。お骨を納めた後、僧侶の奥さんが似たような体験をした話をしてくれました。自分だけどうして・・・と思っていたのに、こんな近くに同じような体験をしていたけれど、こんなに前向きに生きているのだと思うと、私も頑張らなくちゃならないという気持ちになりました。
実家に戻ったら子供達がいるので泣き顔はみせられないと思い、パパと二人でいる間は、思いっきり泣きました。実家に着くと、子供達が私を笑顔で迎えてくれました。何もなかったように、心配かけないようにできるだけいつものママでいられるように振る舞いました。数日間離れていただけなのに、とても大人になったように思えました。本当にいつも以上に子供達を愛おしく思い、二人を抱きしめました。「ママ、お腹治ったの?病院行って治ってよかったね」と上の子供が声をかけてくれました。


【3週間後】
健診に行きました。何も異常がなく、今回はたまたま起こったことで、また子供が欲しいと思えば産むことはできるからと先生には説明を受けました。胸の張りが強くて痛みもあったので、しばらくの間母乳が出ないように薬を飲み続けることになりました。私が帰ろうとした時に、中絶の説明を受けている女性がいました。なんともいえない複雑な気持ちになりました。


時折、一番上の子供は不思議そうな顔をして位牌を見つめています。でも、パパや私に「あれは何?」と聞いてくることはありません。月に一度は必ずお寺に行っていますが、なぜお寺にきているかということも聞くこともありません。他のことならどうして?と親を困らせる質問ばかりしてくるのですが、このことについては何も質問してきません。いつか、子供達に質問されたとき、きちんと答えてあげようと思っています。
今は、少しの間お腹はお休みさせようと思います。人工死産の選択が正解だったのかは一生分からないことだと思います。もしかしたら別の選択をしたら奇跡がおきていたかもしれない・・・そう考えることも少なくはありません。私が今できることは、二人の子供達を一生懸命育てていくことだと思っています。二人の子供達が元気でくらしていることがこんなに素晴らしく、無事に産まれてきたことが当たり前に思っていたけれどこんなにすごいことなのだという事を教えられました。人工死産を決断するまでもう少し時間があれば、赤ちゃんにもっとしてあげられること、思い出を残すことができたのだと思います。
この子は私に沢山の事を教えてくれたように思っています。ママ頑張れ!と背中を押してくれたり、何かを伝えようとしてくれたように思います。この子の死を無駄にしないためにも、私は二人の子供達を頑張って育て、いつまでもメソメソせずに強い気持ちで、前を向いてしっかり歩いていこうと思います。パパや子供達、両親や友人など沢山の人のおかげで、私も前のような元気を取り戻しつつあります。赤ちゃんがママを後押ししてくれたおかげで、弱かった心も少し強くなり、ストレスの原因を断ち切ることができそうです。夜にふとあの時の事を思い出し、一人で涙を流し、立ち止まってしまうこともあるけれど、亡くなった赤ちゃんに恥じないように頑張って生きていこうと思います。
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この記事のコメント

はじめまして。とても辛かったでしょう。私は今、涙が出て止まりません。職場なのにどうしよう。私は2才9ヶ月の男子のママです。私は死産は経験したことはないのですが一年半前に2回目の妊娠で流産しました。赤ちゃんが出来たと分かってから実はものすごく不安で仕方ありませんでした。長男の妊娠のときも不安でしたが今度はもっともっと不安でした。家計が火の車のうえに子供を預けるのにはまだ小さすぎると思ったり都会で暮らしてたのもあって保育園が満員だったのもあり仕事も出来ないのに生活費に教育費に医療費(主人のヘルニア)に。だから子供に兄弟が出来たと素直に喜べなくて、結果おなかの赤ちゃんは2ヶ月の地点から一切成長せずその後人口中絶になりました。きっとおなかの赤ちゃんは「ごめんね」って思ってたのかもしれない。それを証拠に中絶の言葉を聞いたときに出血しました。今まで何もなかったのに。絶対聞いていたにちがいない。あの時もっと望んであげたらよかった。産院を変えてなんとかこの世に生まれてこれるように努力してあげたらよかった。手術後とても後悔し今でもやっぱり後悔してます。(今、出来る事は命日に仏壇に手を合わせるくらいです。)それにもう次の妊娠でまた流産?今度は健康に生まれてくれるの?障害を持つ子が嫌とかでなくてハンデを持って辛い思いさせてるのに私は何も代わってあげられないし。とか思うと妊娠すら怖くなって。子作りすら拒否。今はまだ長男が手が掛かりすぎるし仕事も順調なので2人目は望んでいないのが本音だけど、でも兄弟はいたほうがいいだろうってことでいざ2人目をと本当に考えられるのでしょうか?またその時の状況で罰当たりにも妊娠中は不安で出産を望めなくなるのかな?いつだってウチは火の車なのに。子供を授かる資格を神様がもう与えてくれないのかもしれないって思うと沈んでしまうのが悲しいです。ごめんなさい。自分の事ばかり書いて。この記事を読んでパパの優しさにとても感動しました。ママ思いな優しさやママを支えてる強さなど。心が通い合ってる夫婦だなって羨ましくなりました。亡くなった赤ちゃん、きっと短い間でもこんなすてきなパパとママの子供であったことを お空の上で「ありがとう」って何度も言ってくれてると思います。心よりご冥福をお祈りします。サイト内容を全て見る時間がなくて何か誤解してるところもあるかもしれませんが何卒ご了承のほど宜しくお願いします。さあ、涙ふいて何事もなかったように働くぞ!
2007-06-15 Fri 11:14 | URL | 壱ママ #I0/tWzeI[ 内容変更] | top↑
コメント、ありがとうございました。
管理人のおかよと申します。

こちらの<体験談18>をお寄せくださった天使ママさんに、 壱ママさんからコメントいただいたことを伝えました。
とても感激なさっておいででした。

このコメント欄にてお返事差し上げたいと、何度か試みたそうですが・・・うまく言葉にできないと仰っていました。

「私の体験談を読み涙してくれる人がいて本当にありがたいという気持ちでいっぱいです。」

「他の妊婦さんや赤ちゃんを見るのさえも辛い時期もありました、壱ママさんと同じように子供を授かる資格はないのかもしれない等と落ち込んだ事もありました…でも今は、友達の妊娠も素直に喜べるようになり、赤ちゃんや妊婦さんをみていると、落ち着いたらまたパパの子供をまた授かりたいと強く思うようになりました。
パパが一緒に頑張ってくれたから、私も頑張れたと思っています。そして様々な方のおかげで私の心は少しずつ回復しています。人工死産について悲しくなるような事を言われることもあります…今でも1人で泣いてしまうことはありますが、こんな弱い母ではいけないし、しっかりしないとと自分を見つめ直すことが多くなっています。お空に還った子供達に恥じないように、母として強い心を持ってしっかり前を向いて歩いていきたいと思っています。

心があたたかくなるようなコメントを下さった壱ママさんに感謝しています。 」

と、いうコメントをいただいています。

壱ママさん、私からもお礼申し上げます。
ありがとうございました。


2007-06-19 Tue 05:38 | URL | おかよ #-[ 内容変更] | top↑
お返事有り難うございます。なんだかこちらが励まされた気持ちです。みんな一生懸命生きているんだって実感します。一人で悩んでばかりでなくて、たとえ同情に聞こえても、それでも励まし合えるというのは幸せなことだと思います。「あの時こうしてあげたら・・・」私もそうだけど、みんなそう思って自分を責めて泣いて苦しんでいるのですね。あの時の経験は決して無駄ではなかったのですよね。「苦しみを知らない人から何を言われても、それを聞いて嘆いても仕方ない。その人はそういう人なんだって思えばいいんだし、その人の言葉を鵜呑みにしてる自分がアホなんだ」って思えば人を責めないでいいと私は上司から教わりました。そう思えるくらい大きな心を持てるように頑張りましょう。天使になった我が子を抱ける日は、まだまだ遠くてもいいじゃないですか。あと数十年経てばお空に召される日がきっと来ます。いや、それは贅沢かな?(明日かもしれないし)永遠に生きてはいれないのが人間なんですもの。その子の分もひっくるめて、一緒に長生きしましょう。しかし、日本の子育てへの支援金、もっと増やして欲しいですよね。無駄に使うくらいなら、子供たちが安心して生きていけるように、私達女性がためらわず、子供を産めるように・・・
2007-06-22 Fri 14:20 | URL | 壱ママ #I0/tWzeI[ 内容変更] | top↑
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