出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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人工死産体験談<ケース9>

空9


【ケース9】 2006年5月2日    


私は今年の2月に初めての子を前期破水(人工死産)にて娘を亡くしました。
13週から下腹部痛と出血で切迫流産と診断され、その後は仕事を休み自宅安静をとっていました。 

1月31日(16週)
夕方いつもにないお腹の痛みがあり、夕食後テレビを見ていると生温かいものが出ているのに気づきました。
トイレへ行くと、出血が薄まったピンク色の水のようなものがナプキンにずっしりと出ていました。
しかしその時は破水には結びつきませんでした。破水なんてものは産まれる直前に起こるものだと思っていたからです。
ちょうど3日後が受診日だったので、その時に先生に言おうと思い病院へは行きませんでした。
その晩出血が大量で、その翌日もかなり多かったです。今思えばその出血も羊水だったのかな‥と。

2月3日
受診すると、いつも見ている赤ちゃんが見えません。黒く写っている羊水が全くありませんでした。
車で待っていてくれた主人を呼び、先生から説明を受けました。
羊水がないと肺が育たないこと、感染しやすいこと‥ その時はとにかく「厳しいです」の言葉しか頭に入りませんでした。
しかしまれに羊水がまた溜まってくることがあるかもしれないとの事で、入院して様子を見ることになりました。
まずは感染予防の点滴1日2回と、張り止めの内服薬、1日1回の消毒、ベット上での安静が5日くらい続きました。
その間も羊水が溜まってきているか見ながらも、まだ溜まっていませんでした。
そして、抗生剤の点滴は1週間しか使えないそうで、残りあと2日で諦めるよう言われました。そのときの診察は主治医ではありませんでした。そして2日後‥やはり羊水は溜まってきていません。この日は私の信頼する主治医の診察で、「あなたはどうしたいですか?」と、私の希望を聞いてくれました。私はもちろん「この子が生きている以上諦めることはできません」と伝えました。すると先生は点滴をやめ少し弱い抗生剤の内服薬で様子見てみよう、と提案してくれたのです。
私は今日で諦めなければならない‥と絶望していましたから、先生の言葉に光を見つけることができ嬉しかったです。
そしてその日から点滴は外され、内服薬で様子を見ることになりました。
ここの病院は医者がたくさんおり、回診の先生も様々でした。先生によって意見も違います。
感染さえ起こらなければこのままお腹に置いておくことができる‥しかし生まれても呼吸ができない‥障害が残る‥22週まで待って外に出し育てる方法もある‥ 障害が残ることについては、主人と相談し「頑張って愛情いっぱいで育てていこうね」と決めていました。

2月14日
主治医が病室へ来て、今までの経過とこれからのことについて話してくれました。
いつ感染してもおかしくない状態で、感染すると最悪子宮摘出になることを告げられました。この状態で22週まで待つことは母体にとって危険だということでした。この子が無事に生まれてきてくれるのなら、子宮がなくなったって何の後悔もありません。
しかしこの子の生存率はゼロに近いことも説明されていたので、その上子宮まで失い一生我が子を抱くことができない‥と考えると怖くて仕方ありませんでした。「赤ちゃんはお母さんが大好きだから、そんなお母さんに辛い思いはさせたくないはずだよ」と先生に言われました。私は今まで自分のことしか考えてなかったことに気づきました。「何が何でも産みたい!!」としか考えておらず、赤ちゃんにとってどうなのか、赤ちゃんはどうしたのか‥と、考えるようになり「あなたはどうしたい?このままお母さんのお腹にいたい?それとも苦しいから早く外へ出たいの?」とお腹に何度も何度も聞きました。赤ちゃんの意見が聞きたかった‥ 赤ちゃんの意見を最優先で考えたかった。

2月15日
主人、私の両親を呼び、もう一度主治医から説明を受けました。
羊水がないお腹にいる赤ちゃんはいつ見ても身動きとれずとても窮屈そうでした。苦しいんだろうな‥ もし22週まで感染せず外へ出すことになったにしろ、小さな小さな体に蘇生・延命の為にたくさん管を入れられ痛い思いをさせるのはかわいそうだと思いました。それなら楽にさせてあげたほうが
いいのかな‥ 悩んでも悩んでも答えが出ません。しかし先生から「人工死産をするにしても、お腹の中で息絶えてしまうときの苦しみは、赤ちゃんが小さければ小さいほど少ない」と言われ、私はもう迷ってはいられませんでした。それなら1日でも早いほうが赤ちゃんの苦しみが少ないと思い、人工死産を決心しました。説明が終わると、子宮口を広げるラミナリアを入れる処置に入りました。両手両足を押さえられるほど私は痛くて痛くて暴れていました。
最後の夜を主人と赤ちゃん3人で過ごし、そして翌朝‥

2月16日
ラミナリアを抜去し、次は陣痛を起こす薬を膣に入れ陣痛を起こしました。2時間後にもう一度入れ、陣痛は更に強くなり‥ 
息絶えて出てくると分かっている出産の陣痛ほど悲しいことはありません。「死んだほうがましだ‥」と本気で思ってしまうくらいでした。

13時20分 分娩室へ
だんだん薬が切れてきて陣痛の波も軽くなってきていました。いきむことがなかなかできなかった。足が出たところで「早く出してあげよう」と頑張るようになりました。

14時40分 
産声をあげず私の元へ出てきてくれました。
痛みから解放された私はこの現実を改めて感じ泣きじゃくりました。
赤ちゃんはキレイにしてもらい、ガーゼで包んで箱に入れた状態で対面‥ 想像していたより遥かに大きい我が子でした。目も耳も鼻も口も指先の爪までちゃんとできているかわいいかわいい娘でした。18週 265グラム 22センチ‥ 「お母さんのお腹でこんなにも大きくなっていたんだね」と、無事産んであげることができなかったことに「ごめんね‥ ごめんね‥」とひたすら謝りました。主治医の先生は「よく頑張ったね」と涙して言って下さり、私はその涙と言葉にどれだけ救われたことか‥ 本当に先生に感謝しています。

2月17日
「赤ちゃんに会わせて下さい」とナースステーションへ行きました。冷蔵庫に入っていた娘は冷たく赤くなっていました。しかし娘が微笑んでいたのです。
昨日は無表情だった娘が口をにこ~っとして微笑んでいるのです。「お母さん、これで良かったんだよ‥」と言ってくれているかのようで、涙が止まりませんでした。

2月18日
娘と共に退院。実家へ帰り、母親が買ってきてくれた赤ちゃんの肌着を着せ、妊娠中に作ったうさぎさんや写真・花を入れてあげました。
娘を写真に残そうか、とても迷いました。死んでいる写真‥ しかしやはり撮ろうと思い顔だけですが何枚か撮りました。今となっては、微笑んでいる娘の写真は私にとっての宝物であり、毎日元気付けてもらっています。

2月19日
火葬。火葬場まで箱から出しこの手で抱いていきました。
火葬場の人に「早く忘れないと次妊娠できないわよ」と言われ私は「何で忘れなきゃいけないの!!」と怒りでいっぱいでした。
骨は針金のように細かったですが、ちゃんと残ってくれ大事に大事に拾いました。
半分は私の祖父がいるお墓へ、そして半分は家へ持ち帰り毎日親子3人で過ごしています。

あれから2ヶ月半‥
私は仕事を辞め、ほとんど家で過ごしています。外出すれば妊婦さんや赤ちゃんに異常なほど反応してしまい、平常心を保てません。
「どうして私の赤ちゃんはもういないのに、あなたの赤ちゃんはいるの?」と、この現実にまだ対応できません。
インターネットや本で情報を集めまくる日々が続き、だんだん後悔する気持ちが強くなってきました。
あの時あの選択をした自分が許せません。まだ生きていた命を私の判断で‥ と思うと謝っても謝りきれません。
どうして娘の生命力・奇跡を信じることができなかったんだろう‥ 娘は生きたかったのかもしれない‥ 後悔が尽きません。
しかし娘の誕生・死は、とても私たちに与えてくれたものが大きく意味のある’死’だったと思います。
果たして私たち生きてきた人間の死はこれほど伝えるものがあるのでしょうか‥ と、’赤ちゃんの死’は特別だと思いました。
悲しみも想像できないほどに大きいけれど、それに負けないくらいの得るものがあったような気がします。
今はまた新しい命が授かることを願う毎日です。
私は生理・排卵のない排卵障害で、誘発剤にて娘を妊娠しました。一度妊娠するとホルモンの状態もよくなり不妊も治る‥と聞いていたのですが、死産後も不妊に何の変わりもなく治療を再開しました。娘を妊娠したときより更に状態が悪くなっていた結果に絶望しました。
しかし治療をしなければ妊娠はどんどん遠ざかっていく‥と思うと、頑張るしかありません。お空から見てくれている娘を「お母さん頑張って前を向いているよ!」と
早く安心させてあげたいです。命尽きるまで精一杯生き、そして娘に会いに行きたいと思っています。
お母さんはあなたに会えて幸せです。たくさん大切なことを教えてくれてありがとう。これからもずっとお母さんにとって自慢の娘だよ。
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