出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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妊娠21週でお空に還してしまった娘 樹里~2~

何もかも終わったのに眠れなくて、消灯時間が過ぎてからも、ただ・・・眠ったらあっという間に時間が過ぎてしまいそうで窓辺に腰掛けてずっと窓の外を眺めていました。

赤ちゃんは・・今どこにいるんだろう・・・。

私は、なぜ、ここにいるんだろう。
私は、今、なにをしているんだろう。

巡回に来た看護師さんが
「眠れませんか?・・・椅子、持って来ましょうか。」
そう言って折りたたみの椅子を窓辺に置いてくれた。

さっきまで膨らんでいたお腹がぺちゃんこになっている。
あんなにお腹が張って痛くて苦しかったのに、まるで嘘のよう。
・・・・もう、あの子はいないんだ。


1998年5月3日


お昼前、夫がやってきました。
赤ちゃんを火葬してもらうために、手続きを終えて病室にやってきました。
女の子用のベビー服を買ってきてくれるよう頼んでいたのに、幼児用のピンクの帽子や服を買ってきていました。
ただでさえ普通の赤ちゃんより、ずっと小さいのに・・・これじゃブカブカじゃん。思わずイラついたけれどその言葉をぐっと飲み込んだ。きっと夫には赤ちゃんの大きさなんて想像すらできなかったのでしょう。

でも、やっぱりこの服は大きすぎる。
小さい赤ちゃんだから普通のベビー服でも大きすぎるだろう。
だけど、私が自分で選んだ可愛いベビー服、着せてあげたかった。
・・・でも、きっと、彼も初めて買った我が子の服。
色々悩みながら買ってくれたんだろうな・・・。



夫が病室に着いてほどなくして、私は赤ちゃんに会いに行く?と、聞きました。
彼はムッとしてこたえました。「ちょっと待て。今、来たばかりやろう。」。
私は一刻も早く赤ちゃんに会いたかったのです。
だって時間がないのだから。
しかし彼には急かされたように感じたのかもしれない。
まだ一息つくまもなく、心の準備をしていないのに・・・そう言いたかったのかもしれない。

だけど私は少しずつこの時も・・・夫との気持ちのずれを感じていました。

私たちはナースセンターに向かいました。
「赤ちゃんに会わせてもらっていいですか。」
分娩室横の小さな物置のような部屋に通されました。
赤ちゃんは小さな空箱に入れられて、冷蔵庫の中にいました。
看護師さんが箱を開けて顔を見えるようにしてくれました。

途端に、今までせき止めていた感情があふれ出します。
なんてなんて綺麗な赤ちゃん。
頭にもうっすらと毛が生えて、細くて小さい指には爪も生えています。
硬く閉じたその目が開かれることはないとわかっていても、もしかしたら生きているのではないかとさえ思うほど。

「抱かせてください・・・」
420グラムだと聞いていました。
でも、その重みはずっしりと両腕にきました。
・・・体は恐ろしいほど冷たかった。
やはり・・・もう生き返ることはないのです。

抑えていた感情。もう抑えられない。
声を出して泣いた。
「ゴメンね。ゴメンね。」

看護師さんが大きなピンクのお洋服を、私たちの赤ちゃんに着せてくれました。やっぱりぶかぶかでした。ごめんね・・・。

部屋に戻り、赤ちゃんが眠ってる箱の中に花を少しずつ入れていきます。
・・・涙で顔が見えない。
なにもかも、もう、なにがなんだかわからない。
なんでこんなことになってしまったのだろう。
なんでこんなことをしてしまったんだろう。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。

刻一刻と火葬場に入れた予約時刻が迫っていました。

「写真、撮ってくれない?」
私は夫にそうお願いしました。
「撮ってどうする?辛くなるだけじゃないか。」
そこで言い返す気力は私にはありまあせんでした。
でも、このことは今でも後悔しています。
写真を残しておけばよかったと何年も経った今でも後悔しています。

ゆっくりお別れを言う暇もなく、夫が赤ちゃんと病室を出て行きます。

一緒に行きたい。
でもそれは無理なことなんだろう。
今、ここでそう言ったらみんな困るんだろう。。。
だから我慢しました。
でも駐車場まで見送りました。
夫の後姿と、彼が抱えた小さい箱の入った紙袋を・・・。

気が狂いそうでした。
誰でもいいから、傍にいて欲しかった。
外来の方に公衆電話があります。
先月、女の子を出産したばかりの親友にかけました。
「もしもし」彼女の声が受話器から聞こえてきた途端、泣けて泣けて止まりませんでした。
きっと通りかかった人は驚いたでしょう。
でも、そんなことどうでもよかったのです。
親友も電話の向こうで泣いていました。
同じ女の子。「同級生になるね」と、喜んでいたのに。

なぜ、こんなに悲しいことが起きてしまったのだろう。
私はなぜ、娘を護ってやれなかったのだろう。
なぜ殺してしまったのか。

謝っても謝っても許してもらえない。
後悔しても後悔しても2度とは戻らない。
私は壊れてしまいそうでした。


退院してその後・・・

病院からもらってきた薬が無くなって2日ほどしたとき、実家で過ごす私の胸が違和感に襲われました。
突然、「ツーン」として、胸全体が1枚の熱い鉄板になったような感触。
痛い。なんだかわからない。なんなの?
すると、Tシャツに練乳のようなかたまりがついていました。
「・・・母乳?!」
ショックでした。
どんどん胸の痛みは増していきます。激痛でした。
痛くてたまらなくて洗面所に走り、訳わからないまま搾りました。
どろっとした黄色い母乳。
おっぱいを止める薬を飲んでいたのですが、薬が切れてしまったために出てきたのでしょう。

でも、なぜ?
飲んでくれる子がいないのに、なぜおっぱいは出てくるの?
体はちゃんと知っているんだ。赤ちゃんがいたこと。産まれたこと。
その赤ちゃんの為におっぱいは湧き出てくるものなのだ。

このときも泣きました。
泣きながら搾りました。辛くて辛くて・・・悲しくて悲しくてたまりませんでした。

このまま搾乳を続けるのはあまりにも辛すぎました。
妊婦さんや赤ちゃんを見るのは辛いけど、産婦人科に行かなくちゃ・・・・。
この時ほど病院側はどうして待合室を分けるなどの配慮をしないのか恨めしかった時はありませんでした。
薬を飲んで暫くすると、痛みもおっぱいも嘘のようにひいていきました。

寝ても覚めても考えるのは、失ってしまった小さい命のことだけ。
自分を責め、そしてなぜ助からなかったのか、助けてあげられなかったのか・・・そればかりを考える日々。
退院前、主治医からの説明で細菌感染による前期破水だったと聞かされました。
しかし、細菌自体は転院してきてすぐに投与した抗生剤で死んだだろうと言われました。
その主治医の言葉の意味をずっとずっと考えていました。
先に入院していた個人病院でも抗生剤は投与されました。
しかし3日間投与の後、破水したのです。確かにいつ破水してしまったのかは、はっきりとはわからないのでしょう。
だけど、明らかにいつもよりも水っぽい大量の出血だった。
あの時に破水したのだと私は思っています。

では、なぜ?

先に投与された抗生剤が効かなかったのでしょうか?
そんな馬鹿げたことってあるのでしょうか。
総合病院での抗生剤で細菌は死んだ?
じゃ、もっと早くにその抗生剤を投与されてれば破水しなくて済んだのではないのか。
個人病院の医師の判断ミスじゃないのか。
おかしい。納得いかない。
心臓が早打つ。暫く考えたけれど、やはり納得いかない。
私は受話器を取りました。そして個人病院に電話をかけました。

取り次がれて受話器に出てきた医師の声は事務的でした。
返事は「その抗生剤が効かなかったということでしょうね。」でした。

確かに結果から見たらそういえるだろう。
でも、そこで私はなにを期待したのでしょう。
医師に謝って欲しかったのか。泣いて欲しかったのか。
受話器を置いたあとも私の胸のざわめきは消えず、お世話になってる人に電話をかけて泣いてしまいました。
「たとえ医療ミスだとしても、訴えるのは反対だ。莫大な時間とお金がかかる。お前がそれでは潰れてしまう。悪いことは言わない。早く忘れろ。それがお前の為だ。」その人は、そう言いました。
何件か弁護士にも電話してみました。
どこも同じようなことしか言いませんでした。

夫も実母も反対しました。
母はどんな思いでそんな私を見ていたのでしょうか。

このまま胸にそっと仕舞い込んでしまったほうがいいのかもしれない・・・・・。
私は自分の責任を医師に擦りつけようとしているのかもしれない。


実家で1ヶ月ほど過ごしたあと、会社に行き、退職の意を伝えました。
私を可愛がってくれた所長は辛そうな顔をしていました。
もうこんな自分では外回りの仕事なんて出来ない。
笑顔なんて出てこない。
みんなから同情の目を向けられるのも嫌だ。

そして・・みんながどう声をかけていいか迷ってるようなそんな重たい空気の中で頭を下げて会社を後にしました。

周りの友人たちが、出産したという話を聞き、
「もう自分は大丈夫。おめでとうを言える。」と、思って駆けつけたことも何度かありました。
しかし、やはり・・・・赤ちゃんと、その赤ちゃんを抱っこする友人たちを見ると、羨ましくて妬ましくて悲しくて・・・・。
家に帰っては泣いていました。

テレビで流れるオムツのCM。
道を歩く妊婦さん。
赤ちゃんを抱っこしてる母親。

とにかく、そんなものを見ると平常心ではいられませんでした。
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2017-01-05 Thu 11:15 | | #[ 内容変更] | top↑
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