出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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今、思うこと

今、思うこと。。。。


娘はただ苦しい思いをするためだけに、ただ悲しい思いをするためだけに産まれてきたのではないのだろう。・・・と、いうことです。

私のお腹の中にはたった21週しかいてくれなかったけれど、その21週を「生きる」為に存在してくれたのだと思います。

私が、「こんなに辛い思いばかりするのなら赤ちゃんなんかいらない・・・」そう思ったことさえ、娘は全て承知の上だったのかもしれません。

命は男性と女性が愛し合っていれば自然に授かるものかもしれませんが、なぜ受精して様々な奇跡的な経緯をたどり、「人」になるのか思いを馳せる時やはりそこには偉大な力・不思議な力が働いているように思えてならないのです。


私と夫はアメリカでも一緒に生活し、帰国してからも家を借りて連れて帰ってきた猫2匹と共に二人で暮らしていました。
妊娠がわかったのは1998年1月でしたが、入籍したのは3月3日でした。
そして出血したのが3月20日でした。


戸籍上には何も残らない娘。
あれから月日が流れ、3人の男の子に恵まれました。
女の子が欲しくてたまらなかったけれど、なぜか3人とも男の子でした。

不思議なことに・・・
長男の誕生日は2年後の3月20日です。娘を妊娠中に出血して病院に駆け込んだ日なのです。
もしかしたらこの日は、娘が、もう私の子宮から出て行こうと出血することで私に知らせたのかもしれない日。
これは偶然にしてはあまりにも不思議でした。

そして二男は、長男が1歳の誕生日の日に授かった子でした。(そう3月20日!) 

そして三男は、基礎体温表をつけていなかったのでハッキリしたことは言えませんが、どうも3月20日頃に授かったようです。事実、二男とは誕生日が1日違いなのです。。。

1年は365日あります。
それなのに、こんなことってあるのですよね。偶然の連続。。。。
偶然ではなく必然なのかもしれません。不思議だと思わずにはいられないのです。

娘でしたから生まれ変わってもう1度私の許へ来てくれるなら、当然女の子だと思っていました。
でも、もしかしたら・・・女の子だと「生まれ変わりなんだ」という気持ちが強くて大変だったかもしれません。
だから男の子になって生まれてきたのかもしれません。
ううん。
もしかしたら生まれ変わってはこなくて、お空で楽しく過ごしているのかもしれなません。
考えたらわからなくなってくるのですが、それでいいのかもしれません。

まだ不思議はあって・・・
私には妹がいます。2つ下の妹。
人工死産して実家に帰ってきたその日、皮肉にも妹の妊娠が判明しました。
妹に付き合ってる男性がいるのは知っていましたが、結婚は反対だと言っていた矢先のことでした。
「なんでよりによって今日、そんなこと言うの!!」妹を罵倒しました。でも妹は人工死産して苦しみ悲しんでる私の姿を見て、中絶することはできなかったのです。

そして妹の出産予定日は1999年1月だったのに1998年9月7日に23週1日で女の子を出産しました。
1998年9月7日、奇しくもこの日は私の娘の出産予定日でした。
生まれてすぐ保育器に入れられNICUに運ばれる姪っ子を初めて見たのは私でした。
姪っ子は451グラムで生まれてきました。
娘は420グラムだったので一見して大きさはほとんど変わらないように感じました。
娘の姿と重なって、辛くて悲しくて恋しくてたまりませんでした。
それも同じ病院・同じ分娩室で。

そして9月7日に姪っ子が生まれるだろうということを、私はなぜか知っていたのです。
数日前、娘を思いながら夜空の月を見上げ、ふっと感じたのです。予感とも言えばいいのでしょうか。。。
「妹のお腹の子は9月7日に生まれるよ。」・・・私は母にだけ、そう伝えていたのでした。

誰もが姪っ子は助からないだろうと思っていました。
私も無理だろうと思っていました。

でも、とっても複雑でした。
私の娘は21週で「できる限りの努力」もなにもされないで、葬り去ってしまったのです。
でも姪っ子は、あの時の娘と条件はさほど変わらないはずなのにNICUのスタッフが懸命にケアをしていました。

妹にだけは私のように辛い思いはして欲しくない。
どうか姪っ子を助けて欲しい。
・・・・そう思う自分と、
なぜ妹と姪っ子だけがまわりから応援されるのか。助けられるのか。
私はたった4ヶ月前に、同じような条件の娘を亡くしたばかりなのに、なぜ皆は私の前で妹を励ますことが出来るのか。
矛盾した正反対の思いがかわるがわる襲ってきて、私は自分自身が解らなくなって恐ろしくなりました。

しかし矛盾してはいますが、 ただ、唯一救いだったのは・・・

娘を人工死産して4ヵ月後に生まれた超未熟児の姪っ子が、半年後の1999年3月に無事に退院して日に日に可愛らしくなることでした。
同じ姉妹でありながら、私は娘を亡くし、妹は無理だと思われた娘を抱っこしている。
その運命を呪った日々もあったけれど、やはり妹と姪っ子への愛しさは何よりも強いものでした。
娘の出産予定日に生まれた姪っ子。
生まれ変わりかもしれない・・・・そう思いながら時々会うその可愛らしい顔や手・仕草は私を慰め幸せにしてくれました。


そして今、姪っ子は大きな障害もなく元気に成長しています。
確かに医療が進み22週頃に生まれた赤ちゃんも助かる率が高くはなっています。けれど22週に近いほど、重大な障害が残ることも多いし、亡くなってしまう率もグンと高くなるのです。
普通40週で生まれる赤ちゃんは3000グラムほどあります。
姪っ子はその6分の1にも満たない450グラムほどで生まれたのです。

それなのに今は小学生。
日本舞踊も習っておしゃまさん。
ほんのちょっと痩せてはいるけど本当に元気。

私の娘に関わる忘れられない日付が、姪っ子、3人の息子たち全員に関係していることはやはり偶然ではないのかもしれません。きっと4人とも、なにか娘と繋がりがあるのだと私は信じていたいのです。

話は戻ってしまいますが姪っ子の名前を考えていた妹夫婦が、名前は「ジュリ」にしようと思うと、言ってきたとき、私はとても驚きました。なぜなら・・・・私は亡くなってしまった娘に「ジュリ」と名前をつけていたからです。ですがそのことを妹たちに伝えていませんでした。
驚きつつ妹に告げると「不思議だねぇ。でも、『ジュリ』はやめとくね。お姉ちゃんの赤ちゃんの名前だもんね。』
そう言って、姪っ子には違う名前がつけられたのです。

そして夫とのことも・・・
夫婦でありながら「娘」に対する思いも違って、私は本当に孤独でした。男と女ではこんなにも亡くしてしまった子供に対する想いが違ってしまうものなのでしょうか。
父親と母親の違いなのでしょうか?


私は夫や子供たちを通して、本当にたくさんのことを勉強させてもらってるのだとしみじみ感じることがあります。

私は今、幸せなんだと思います。
そしてこの世にこれほど愛しいものが存在するのだということも夫や子供たちに教えてもらっているのだとよく思います。

生き地獄のような苦しみの中にいて、まわりの人を恨んで自分を責めて気が狂ってしまえたらどんなにいいかと思い続けた日々。
時が経過しても娘への想いは決して変わらないけれど、それでも涙する日々は減ってきました。毎日、家事・育児・仕事に追われて娘のことを思い出すことも少なくなってきました。

でも、それはそれで自然の流れなのかもしれないですね。
私は今、生きているのです。どんなに辛いことがあっても生きていくんですよね。
私には今、6歳・4歳・2歳の息子たちがいます。
この子達と2度と戻ってこない今日を精一杯生きていく。
そしてこの子達を授かり、こうして育てていけるのも夫が毎日頑張ってくれているからこそなのです。夫と出会えたことも、今までの数々の試練も全て私の中の肥やしになっているのだと思います。

感謝とは、こういったごく平凡な日常から小さな幸せを見つけることかもしれません。娘は次元の違うところから、きっと私たちを見ていてくれるのだと思っています。

私がこんな悲しくて苦しい思いをしたのも、そこから何かを学ぶ為、経験する為だったのだとそう信じたいと思います。

自分を責め続けるのは・・・決して良くない・・・と今は思えます。
たった一度の人生。
辛く悲しいこともあるけれど、きっと人は幸せになるためにこの世に生を受けるのだと信じています。





そして「何も残さない」お別れをするのではなくたとえ亡くなっても、たった一晩でもいいから赤ちゃんと添い寝したり抱っこしたり臍の緒や手形・足型・写真を残してあげられるよう、これからの病院には配慮してほしいと思います。

勿論、混乱して悲しみの真っ只中にいる疲れ切った母親にはそんな提案さえしにくいかもしれません。しかし、当の母親も家族もその時は戸惑って断るかもしれませんが、あとあと母親が亡くなった赤ちゃんの死を受け入れ、愛し続けていくためにそれが心の支えになっていくのだとぜひ伝えて欲しいのです。

亡くなってしまった赤ちゃんは、「なかったこと」では決してありません。
母親はいつまでも忘れたくないと思っています。
例えこの先、他の子どもに恵まれても亡くなってしまった子のことはいつまでも心の中で抱き続けます。

中絶や流産・死産で、苦しみ続ける人たちに少しでも私の体験が何かお役に立てたら・・・こんなに嬉しいことはないと思っています。

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この記事のコメント

はじめまして。現在20w0dの妊婦です。切迫早産傾向と言われ不安で、あれこれネットをさまよってたどり着きました。(張り止めを8hごとに飲んでいます)
辛い経験をされましたね。
涙をこらえることができませんでした。
そしてふしぎな日付の運命を感じますが、私の誕生日は9/7です。
偶然かもしれませんが…

不安でたまらずネットをさまよってたどり着いた先で、こんなに愛情溢れるブログに出会えて、本当によかったです。

ありがとうございました。
2014-01-10 Fri 01:56 | URL | 川瀬桂 #-[ 内容変更] | top↑
川瀬桂さま

コメント、ありがとうございます。
現在、自宅にて療養中でしょうか?
きっと不安な毎日をお過ごしなんでしょうね。。。
「おなかの赤ちゃんが頼れるのは一心同体の母親である私しかいない」とわかっていても、だからこそ怖いんですよね。
私は今、4人の息子と共にシングルマザーとして奮闘中です。娘の存在があったからこそ、今、地上に4人の息子がいます。
川瀬桂さん おなかの赤ちゃんは今も、温かなママのおなかの中ですくすくと成長されています。少しだけ医療の力を借りてるかもしれないけど、今、まさに頑張ってるママと赤ちゃん。強い絆に繋がれて、きっと近い未来に素敵な出来事が待っていますように。
2014-01-11 Sat 11:51 | URL | おかよ(管理人) #-[ 内容変更] | top↑
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