出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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死産後の母乳ケア

死産後の母乳ケア

『21週でお空に還した娘 樹里』で、死産後に母乳を止める薬を服用していたにも関わらず、退院して暫くしたある日、突然激痛と熱い感覚に襲われて母乳が滲み出てきたことを書きました。
きっと医師は『これぐらいの期間、薬を飲み続ければ母乳は完全に止まるだろう。』と予測して処方された分量だったとは思います。
きっとこれにも個人差はあるのでしょう。母乳育児中の母乳分泌時期と量も、多少なりとも個人差があるように。

私が娘を産んだ病院は大きな総合病院で、県内でも有数のNICUが併設されている病院でした。
産婦人科外来にも、それはたくさんの患者さんが待っていました。
勿論、妊婦さんばかりではありませんでしたが、それでも妊婦検診に来てる方、赤ちゃんを抱っこしたお母さん、
そういった人の集まりの中に私が出向くのは苦痛で苦痛でたまりません。

だからその時は、転院前の個人医院に母乳を止める薬をもらいに行ったのです。
その方がまだ待ち時間も、妊婦さんの数も赤ちゃんの数も少ないと思ったからでした。

私の場合、初めての子が死産でしたのでなにもかも解らないことだらけでした。
死産後の体の変化も、ひとつひとつに驚き、戸惑い、ショックを受けていました。

子宮の回復も本来ならば赤ちゃんに母乳を与えることによって、子宮収縮が促され悪露も早く終わるのですが私の場合は2ヵ月半ほどもダラダラと続いてしまいました。
妊娠中の切迫流産と診断された出血から悪露終了まで、ずっと出血は止まらなかったことになります。
その期間、約4ヶ月。
よく貧血で倒れなかったですよね。

そして死産後の母乳分泌のケアにも、もっと重点を置くべきではないかと思っています。
たしかに飲んでくれる子がいない母乳を持て余し、悲しみが膨らむばかりなのですが
そこですぐに薬を使って止めるという方法以外にも何かあるのでは・・と思うのです。

実際に私が死産後2年で長男を出産した時にも、『今度こそは』と母乳のみで頑張りました。
その病院は出産直後から24時間母子同室で頻回授乳、糖水・ミルクも与えない・・・という方針だったのです。
私はたまたま事前にその病院の小児科医師が共著で名を連ねる母乳育児の本を読んで手元にいつも置いていましたので
なんとか頑張ることが出来たのですが・・・・・。
じつは長男はよく泣く子で、授乳して1,2時間後、また泣く。その繰り返しでした。
まさか母乳が足りないとは思わずに生後1ヶ月検診まで、身も心もクタクタになりながら母乳のみで切り抜けたのです。

ところが1ヶ月検診で大ショック。
長男の体重がほとんど増えていなかったのです。
他に1ヶ月検診を受けに来ていた赤ちゃんたちは、ふっくらして肉付きもよかったのに、
私の長男だけはまだ生まれて間もない頃の、か弱い感じの赤ちゃんでした。

母として、私は、またも、ここで自信を喪失してしまい長男に泣いて詫びたのです。

検診に当たってくれた医師は、超未熟児で生まれた姪っ子の主治医でもあり、私も顔見知りでした。『母乳育児、頑張っておられるようですね。・・・でも、少し出が良くないのかもしれませんからおっぱいマッサージを受けてみられてはどうですか。』と、提案してくれました。

妹も毎日、未熟児の姪っ子の為に搾乳した冷凍・冷蔵母乳を届けていた時期がありおっぱいマッサージに通っていました。

藁にもすがる思いで桶谷式のおっぱいマッサージに初めて行ってみました。
そこの助産師さんは、私のおっぱいの状態を確かめるなり
『ごめんね。このマッサージ、ほんとうは痛くないんだけどね、あなたの場合、胸の根っこの部分がガチガチでとっても硬いの。これをほぐしてやらないと母乳は湧き出てこないから・・・・。だからちょっと痛いけど我慢してくれる?』
そういってマッサージが始まりました。確かに痛かった。
『いてててて。』涙が出ました。
でも、この涙は・・・・ただ痛いからこぼれた涙ではなく、娘と長男に申し訳なくて情けなくて、そして今まで張りつめていた気持ちが緩んだような・・・・そういう様々な複雑な理由からこぼれたものでした。

助産師さんは、一生懸命マッサージを続けてくれました。
しばらくすると母乳がピューッと、溢れてくるようになりとても感動的でした。
私はやっと一言、聞きました。
『私でも母乳で育てていけるでしょうか?』
そして助産師さんは『大丈夫。できますよ。』と、ニッコリ笑ってくれました。
そこでまた涙が止まらなくなってしまったのです。

マッサージ後、長男に乳首をくわえさせました。
『コクン。コクン。』音を立てて飲んでくれました。直後、スケールに乗せると80グラムほど体重が増えていました。
やった、この分だけ母乳が出たんだ!・・・・とても嬉しかったのを覚えています。

その桶谷式母乳マッサージの助産師さんが言うには
前回の死産時に薬で母乳の分泌を止めたから、おっぱいがこんなに硬くなってしっまたということでした。

それならば、ある程度週数が進んで死産したお母さん方には、たとえその時は説明し辛いにしても確かにまだ先の赤ちゃんのことなんて考えられる状態ではないけれど、それでもこれからの治療などの説明について、母乳のケアのことにも言及する必要があるのではないかと思います。

桶谷式のマッサージを取り入れて、徐々に母乳を止めていく方法を患者に伝えるだけでもいいのです。

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