出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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埋めることのできない穴

悲しみはゆっくりゆっくり時間をかけて・・・薄らいでゆくものなのかもしれません。

娘を人工死産という形で亡くしてから暫くは、何を見ても何を聞いても、全てが娘への想いに繋がって辛くて悲しくて自分がどうにかなってしまいそうでした。

怖くて次の妊娠なんて考えられる余裕がありませんでした。
なのに一刻も早く、また妊娠したいという気持ちが強く強くありました。

私はただ信じていました・・・。


娘とお別れするための陣痛をただ独り、真っ暗な分娩室で耐えながら神様に祈り続けていた願い。

『今回はこの子をあなた様の許にお返しします。どうか弱い私をお許しください。願わくば・・・いつか必ず必ず、またこの子を私に授けてください・・・。』

ずっとずっと独り、分娩室の窓からのぞく暗い夜空を思い浮かべながら・・・・ずっとずっと祈っていたから・・・。
きっとその願いは叶えられるだろうと・・・信じていました。

あれから月日が流れ、私は3人の息子たちの母となりました。
息子たちの成長が嬉しく、そして切なくもある普通の母となることができました。

きっと何も事情を知らない人たちは、さぞ私のことをパワフルでいつも忙しそうにしてる元気なママだと思ってくださることでしょう。


でもそれは・・・・

全部娘の樹里が私に与えてくれたものだと思います。
娘を抱くことをいまだに許されないまま・・・・
その意味を考えてしまうこともありますが、息子たち3人は私の全てを差し出しても護りたい大切な宝物です。


だけど・・・
娘がいない淋しさは決して埋めることのできない穴なのだと気づいています。

長男が生まれたときも
次男が生まれたときも
三男が生まれたときも

その寝顔に娘の面影を探し、やっぱり違うんだとわかったときの淋しさはやはり大きなものでした。
神様は・・・そして娘は、2度と私の許へやってきてくれることを許してはくれないのだと思いました。

・・・でも

それは違います・・・ね。そうですよね?

娘を失った悲しみは大きく、たとえ時間が経過して薄らいでいっても
私たちが21週という期間、ともに生きた時間は私の中に・・・私の子宮に心にちゃんと記憶として残っています。

失ったものは大きくても与えてくれたものの方が多いと気づきました。

それは2004年7月中旬にウエブサイト『泣いて笑って』を立ち上げて徐々に確信に変わってきました。

様々な人との出逢い。

それは私に温かさ・優しさ・思いやり・希望・夢を与えてくれました。

掲示板でいつも支えてくれる方々。
メールを送ってくださる方々。

そして私をいつも陰で支えてくださる方々。

本当に皆さん、ありがとう。。。

これからも『泣いて笑って』を通して、沢山の出逢いがありますように
皆さんとともに歩いてゆけますように。


いつまでも悲しみ続けることは、けっして自分を責め続けることでも卑下することでもなく、私たちが愛することをやめたくないからこそ・・・いつまでも憶えていたいからこそ・・・失いたくないからこそなのだということを、やっとやっとわかりかけてきた気がします。。。


2004年11月13日
(同じ天使ママからメールをいただき、その中の言葉に気づかされ
救われた気持ちでした・・・・ありがとう。Yさん。)
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