出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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長男受胎 その不思議なメッセージ

娘を人工死産した時、医師は最悪のケースも説明しました。

「最悪の場合は子宮を摘出しなければいけないかもしれません。」

私は怖くて怖くて、今、お腹にいる赤ちゃんを諦める上に子宮まで取られてしまったら、私は2度とこの腕に赤ちゃんを抱くことは出来ない。。。
今はまだ「次の子」なんて考えられないけど、でもどうか子宮は無事に残してください。

そう願ったのを覚えています。

娘を人工死産して1年後、1度目の命日が来た日、パートで働いていた私は出先で一人、出産した時刻の午後2時14分、目を閉じて娘を想いました。
声を殺して泣きました。

願わくば、もう1度、あの子を抱きたい。
もし目を開けたらどんな顔だっただろう。
笑ったらどんなに可愛かっただろう。

私は、ずっと自分の心の中に娘のことをしまっていました。
話せば、周りの人は困ったような顔をしたからでした。
そして誰もが励ましたのでした。

「そんなに悲しんでばかりいたら、亡くなった子も浮かばれないよ。」
「まだ若いんだもの。すぐ次の子が出来るよ。」

きっと、みんな精一杯考えて私を元気付ける言葉をくれたのだと今は思えます。
でもあの時は、そんな言葉の一つ一つに深く傷つきどんどん孤独になっていったのです。

話せば話すほど娘のことを汚されるようで嫌でした。
だから私は娘のことは話さないようにしてきたのだと思います。
話しても事実を淡々と話すだけで、もう誰も私と娘のことを引き離さないで欲しいと強く願っていました。

夫とも、その後色々とあり、離婚寸前までいきました。
別れる方が簡単だったかもしれません。
けれど、やっぱり私は夫のことを愛していました。
彼もまた、私を深く傷つけることで私への愛情を再認識したようでした。

許すこと

・・・それは決して簡単なことではなかったけれど、誰かを恨み続ける人生なんてなんて悲しいことだろうと思いました。
私たちはお互いに激しい性格で、よくぶつかり合いました。
こんなにも憎いと思った人はいなかったほどです。
そして・・・こんなにも愛してると思う人もいなかったのです。

彼を許そう。
そして私自身も許そう。
もう1度、希望を持って。

私は食事に気をつかい、環境にも気をつかい、赤ちゃんを迎え入れる準備をしようと思いました。
赤ちゃんがやってきてくれた時に居心地がいいように、できるだけ楽しい事をしようと心がけリラックスして過ごしました。
基礎体温表もつけて、体の中の声にも正直になろうと心がけました。

そしてある日、私は夢を見たのです。
後姿が美しい髪の長い女性が、とても可愛い赤ちゃんを抱っこしていました。
その赤ちゃんは、ちょっと離れた所に立っている私を見つめていました。

私は思うのです。
「いいな・・・羨ましい。」
すると頭の中に突然声が響きました。
「近い将来。きっと。必ず。」
そこでハッと目が覚めました。その声の主は誰だか今でもわかりません。
だけど余韻がいつまでも残っているような不思議な感覚。
瞬間、私は何か強い予感のようなものを感じました。
赤ちゃんを授かったのだと。
その時は、まだ生理予定日の1週間前でした。
祈るような気持ちで1週間待ちました。

そして生理予定日。
朝から下腹部に鈍痛があるのです。
もしかして生理が始まるのかと緊張しました。
いても立ってもいられずドラッグストアに走りました。
妊娠判定薬を買って、はやる気持ちを抑えながら家にたどり着きました。

説明書を読むと、「生理予定日から1週間後ぐらいに検査してください。」と、あったのですが。。。
え?そんなに待つの?
待てない!えい!やっちゃえ。
判定窓の色を息を殺して見つめます。
みるみる窓に陽性を示すサインが浮き出てきます。
「やった。やっぱりあの夢は、お告げだったんだ。」
最近の判定薬は精度も高く、生理予定日当日でも判定できるようです。

うれしかったです。
ただ、ただ、嬉しかった。
私の体に新しい命が宿ってくれたのです。
大きな力強いパワーが体の内から湧き上がってくるような不思議な感覚でした。

ありがとう。来てくれて。
ありがとう。会いたかったよ。

これほど待ちわびた瞬間はありませんでした。
とてもとても誇らしかった。
本当に本当に幸せな瞬間でした。

その夜、帰宅した夫に判定スティックを見せました。
「おお~マジ?!やったな~。・・・でもちゃんと病院で見てもらうまでは安心できないな。」
彼は私のように思いっきり喜んではくれませんでした。
確かに私も不安はあったのです。

また悲しい思いをするのは嫌だ・・・・。


だけど、心のどこかで確信に近いものがありました。
「この子はきっと生まれてきてくれる。」

だってあのメッセージは
「近い将来。きっと。必ず。」だったから。
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