出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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長男出産まで

1999年夏に長男の妊娠がわかってからも、パートの仕事は続けていました。
働くことは好きだったし、大変だったけどやりがいもあったから。。。

けれど「妊娠は病気じゃない」から妊娠したという理由で仕事に支障をきたす事は避けたいと思っていました。
だけど、自分でも気付かないうちに時間に追われる仕事でしたので、やっぱり無理をしていたようです。

妊娠4ヶ月に入ったばかりの頃、突然の高熱に襲われました。
腰もだるいような重苦しい感じでした。

まさか今度も赤ちゃんに何か起きるのではないかとビクビクしながら受診しました。
最初、風邪かと思っていたのが熱以外には他の風邪症状等がないことと、高熱・腰(腎臓のあたり)の痛みから腎盂腎炎と診断され「入院しようか。その方が安心だし。」と、主治医が言いました。

病棟に行くと顔馴染みのスタッフも何人かいて少し安心しました。

しかし。。。。

腎盂腎炎の熱は辛い!!!
40度近くまで上がる熱は大人になってから初めての経験でした。
入院したのは残暑が残る9月でしたが寒気がして震えが止まらないのです。
ガクガクガクガク・・・歯の根が合わなくてちゃんと話せないぐらい。

たまらなくなって看護師さんに座薬を入れてもらいました。
「寒い寒い。」と訴えて、毛布を3枚も重ねてもらいました。

尿の濁りもひどくて驚きました。

でも・・・・

妊娠してからトイレが近くなって何度も何度も職場でトイレには行っていたのに。。。。

でもここ数日は、なんだか1回の尿の量が減り回数も妊娠前と同じぐらいに減っていたのを思い出しました。
「あれ?」と、思ったのは確かですが仕事の忙しさに紛れて忘れてしまっていたのです。
たぶん知らず知らずのうちに尿意を感じても我慢していたのでしょう。
結局、私は娘を死産した時の教訓を忘れていたのかもしれません。
「妊娠したら無理はしない。」ということを。
赤ちゃんは、今、一人では生きていけない状態で必死に私のお腹にしがみついているのに・・・。

結局、その入院を機に仕事を辞めました。

私は自分で解っているんです。
どうしても頑張りすぎてしまうところ。
無理を重ねてしまうところ。
でも、それは私一人だけなら全然OKなんだけど、新しい命が宿っている時は、絶対にしてはいけないこと・・・・なのですよね。

妊娠中、とにかく心安らかに決して無理しないで過ごすこと。
そう肝に銘じました。

退院してから後は比較的順調に過ごすことが出来ました。


胎教とかそんなものに興味があったのは確かでしたが、図書館から借りてきた本の多くはそれに関係するものだったのだけど。

元々面倒くさがりの私。

私が毎日、美味しい物を食べたり感動したり笑っていれば、それでいいんじゃない?
。。。てな感じで過ごしていました。

ただ、無事に生まれるまで安心はできない・・・と、怖かったのも事実です。
今回こそは大丈夫だという思いと、ひょっとしたらまた今回も駄目かもしれない・・・と、いう思いと。

そしてそんな時に通販で子宮内の音が聞ける(赤ちゃんの心音も)道具を見つけました。
そしたらこれでいつでも好きな時に、赤ちゃんの無事を確かめられると思ったし、私自身が安心できるなら買ってしまえ~!とも思いました。
でも、結局買わなかったのです。

そして胎動がわかるようになって暫くしてくると、大体決まった時間にポコポコ蹴ってくれるように感じました。
パパが帰宅する10分ほど前に、なぜか良く動くような気がしました。
「あ、パパが帰ってくるんだね。」そう言いながら、晩御飯を温めなおしたりしていたのです。
暫くすると夫が愛車で帰ってくるから不思議でした。
・・・・・ま、たまには外れる(?)時もあったけど。そこは大目にみてあげよ。(笑)

出産予定日は2000年4月の2週目頃でした。
段々予定日が近づくにつれ、不安と期待とで興奮した精神状態になることもありました。
36週に入って、もういつ生まれてもいいんだと思ったら、覚悟が決まって意外にもにド~ンとしていました。

そしてここに来てムシがいいというかなんというか・・・
お腹の子にお願いを始めた私。
もう男の子だとわかっていたので夫に似てるかな?私に似てるかな?
そんなことを考えながら、お風呂に入る時にお腹に手を当て話しかけていました。

「もうすぐあなたと会える日が来るんだね。もしね、今、体に具合が悪いところがあったら全部治してから出ておいでね。そしてね、パパのお休みの日は今はまだわからないんだけどね、パパもきっと真っ先にあなたに会いたいと思うんだ。だからパパのお休みの日に生まれてきてほしいなぁ。」

そして出産予定日頃のパパのシフト表が決まったら、またまたお願いしました。
「あのね、パパのお休みはね3月20日と4月○日だけど、できれば2800グラムぐらいで生まれてきてくれると助かります。そしたら4月に生まれてくるよりも3月20日の方がいいのかな・・・?でもね、あなたが生まれたい日を選んで生まれてきてね。パパがお休みの日に・・。待ってるからね。」
そう3回ほどお願いしたのです。


そしたら。。。
生まれたんです。
驚くことに3月20日。2790グラムで。

胎児は、ちゃんと母親とコミュニケーション取ってるんだな~と実感しました。
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