出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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入院中の記録~手帳から~

私が娘を妊娠中、初めて出血したのは妊娠15週4日の時でした。安定期だと一般に言われる5ヶ月(16~19週)に入る直前のことです。仕事から帰ってきていつもより疲労感があり腰もだるく重たいような感じでした。そしてトイレに立った際、下着に茶色の出血を発見し、夜間でしたがいつも受診していた開業医である産婦人科に連絡して診察してもらいました。
薬をもらって帰り自宅安静を1週間。その間、トイレに行く度に出血を確認。
量もどんどん増えていきます。軽い腹痛もずっと続いていました。しかし妊娠中は出血が起こることもあるということを知っていましたので、「まさか私に限って」という思いも手伝ってそこまで深刻にはなっていませんでした。ただ関係ないのかもしれませんが、出血して3日後に37,7℃の発熱。その翌日には38,5℃まで上がりました。心配して訪ねてきてくれた妹に促され再受診したのが16週4日の時。出血してから1週間後でした。
受診すると胎盤の位置が低く、お腹も規則的に張っている為、切迫流産と診断されて即入院となりました。荷物を取りに自宅へ帰ることも許可してもらえませんでした。
早速ウテメリン(子宮収縮抑制剤)の点滴が始まりましたがその日の夜は、ずっとお腹が張っていて寝苦しく何度も目が覚めました。


1998/3/28
入院2日目(16週5日)

ウテメリンの副作用からか動悸と吐き気に何度も襲われ、生理痛のような痛みが今までで一番強く感じられた。食欲もなし。

入院3日目(16週6日)
夜中0時と朝7時 点滴を入れ替え
朝7時過ぎ とても大きな血の塊がズルズルと出る。
夕方4時・5時に嘔吐 夜中に発熱

入院4日目(17週)
朝からまた吐き気 出血も止まらない 夜にまた発熱。

入院5日目(17週1日)
シャワーの許可が下りる。
ただし点滴はつけたまま。お腹の張りもまだある。

入院6日目(17週2日)
吐き気もお腹の張りも相変わらずだ・・・・

入院7日目(17週3日)
朝からお腹の張り 夕方6時過ぎ重い生理痛のような痛み 
抗生剤の点滴30分 今日から5日間この点滴を受ける

入院8日目(17週4日)
朝食の後すぐに吐く ほとんど全部吐いてしまう 
シャワーの許可下りず

入院9日目(17週5日)
朝、やっぱり吐く 果物しか食べたくない

入院10日目(17週6日)
吐き気が少し落ち着いてきた 出血の量も少し減る 
色も薄くなってきた気がする

入院11日目(18週)
出血の量も少し減る 色も薄くなってる

入院12日目(18週1日)
向かいの部屋に切迫早産で入院していた友人が、夜中に無事に赤ちゃんを出産した。会わせてもらった。小さくて可愛かったー。

入院13日目(18週2日)
午睡の後、具合が悪い。夜7時半、おへその右下あたりが20分間痛む

入院14日目(18週3日)
朝起きてトイレへ行くとナプキンいっぱいに出血していた。どうしてだろう。良くなってきたと喜んでいたのに。
診察を受ける。胎盤の位置は大丈夫みたいだけど出血の原因はまだわからない、とのことだった。
お昼前、胃液を吐く。

入院15日目(18週4日)
出血の量は落ち着いている 
お腹の上からエコーをとってもらった 
羊水とは違う液体の影が子宮の下の方に映し出されていた
医師にもこれがなんなのか判断できないようだ

入院16日目(18週5日)
朝、お腹は張らなかったけれど、それとは違う何かを何度も感じた。
これが胎動かな・・・と初めて思った。
ウテメリンの量が少し減った。
シャワーの時、太ももに蕁麻疹を見つける。

入院17日目(18週6日) ウテメリンの量が減ったからか食欲が少し出てきた。
お腹は夜に1回張ったようだった。
蕁麻疹が手のひらにまで出てきた。ほんの少し痒い。

入院18日目(19週)
朝食の後、トイレへ行くと薬指の爪の大きさぐらいの血の塊が出た。
赤ちゃんを出産した友人が退院していった。
赤ちゃんは黄疸のため、あと1日入院だとか。

入院19日目(19週1日)
夜中2時過ぎ頃からお腹がつるような痛みに何度か見舞われた。
朝一番に調べてもらったら微弱な張りが何回か確認されたみたい。
少しだけ点滴の量が減る。
午前中少しだけ出血があった後は、おりものに色がついている程度だった。

入院20日目(19週2日)
(この日は夫に対する愚痴ばかりを書いてました。記録はナシです・・・)

入院21日目(19週3日)
まだ友人の赤ちゃんは黄疸が治まらなくて入院中だって。心配だ。。。

入院22日目(19週4日)
昼過ぎと夕方にお腹の張りを感じる

入院23日目(19週5日)
お腹の張りは昨晩から少し落ち着いているようだった

入院24日目(19週6日)
点滴が漏れる 
本とエコー写真を見ながら胎盤の位置がどうなのか何度も確かめる

入院25日目(20週)
ウテメリンの量が少し減った。しかしトイレの度に、どうしても出血を確認してしまう。
友人が赤ちゃんを連れて授乳室に来ていた。
黄疸がひどいので赤ちゃんだけまた入院するそう。

入院26日目(20週1日)
朝4時半に点滴が外される。エコーではやはり影が映し出される。
午後4時・5時・8時半・10時とお腹が張る。出血も増える。

入院27日目(20週2日)
夜中2時半 出血が多めに出たような気がして気になってトイレへ。
確認してみると多い日用のナプキンを取り替えなきゃいけないぐらいの量だった。だけど色は少し薄い。
【今思えば、この水っぽい出血が破水だったのではないかと考えています。】
朝、起きてしばらくするとまた出血しているのがわかる。外来の診察が始まる前に先生に診てもらう。
「羊水が少ない【羊水過少】かもしれない・・・。出血の原因も不明です。」と言われる。
先生も難しい顔をしている。部屋に戻り涙が止まらない。
「私はあなたに会いたいよ。。。」お腹の赤ちゃんに語りかけながら泣いていた。

入院28日目(20週3日)
市内の総合病院へ転院。
看護師さん一人と実母が付き添ってくれ、タクシーで移動。
久々の外の空気。だけど移動中もずっとお腹が張っていた。不安。。。
産婦人科外来に到着。大勢の患者さんに驚く。
しかし私はすぐに診察室へ通された。
診断の結果、子宮頚部にポリープのようなものがいくつもあってそこから炎症を起こして破水した可能性が高いということ。
このポリープが癌の可能性もあるという。
最悪の場合は子宮を取ることになるかもしれないと説明される。

診断後、すぐに4人部屋に入院。ずっとずっと呪文のように唱えていた。
「大丈夫。大丈夫だからね・・・。」
子宮収縮抑制剤は錠剤で、抗生剤は点滴で開始される。
トイレはポータブル。シャワーは禁止。食事以外は絶対安静。

追記:
妊娠が判明した頃、子宮頸ガンの検査は受けていました。その時の結果は正常。それからわずか2ヶ月後に出血が始まりました。出血が始まった時点でポリープができていたのかどうかはわかりません。初めに入院していた開業医の所では何も言われませんでした。今となってはこのポリープが妊娠前からあったのか、妊娠後にできたのか・・・どちらなのかわかりません。なにしろ医師からはポリープのことは一切聞かされていなかったのです。ポリープが感染を起こし子宮内にまで影響を及ぼしたのが前期破水の原因なら、決してポリープを侮ってはいけないという証なのではないでしょうか。私と同じようにポリープから感染を起こし愛しい赤ちゃんを亡くされた体験を紹介されているhiyokoさんのページはこちら。更に子宮頚管ポリープについてへの意見をこちらのページでも紹介されています。
また、ポリープ=ガンだとは限りません。良性のポリープの割合の方が多いですし。
ただ、私はアメリカロサンゼルスで生活していた時(1992~95年)体調がおかしくて受けた検査で子宮頚部に異常細胞が発見されたことがありました。その時の検査結果はクラスⅢ.医師に進められたのは患部をレーザーで焼く又はフリージングして取る方法があるとのことでした。しかし私は当時、まだうら若き23歳。恥ずかしさと恐怖心の方が勝っていました。それで外科的治療を選択せず、漢方・ヨガ・気功・健康食品など試せるものを試しました。更に別の産婦人科で受けた検査で小さな子宮筋腫・卵巣嚢腫・子宮内膜症もあるのではないかと言われました。
普段から性交痛があること、下腹部に鈍痛があることなどからピルやホルモン療法による治療も受けました。しかし薬が合わなかったのか、更年期障害のような症状が出ました。めまい・動悸・激しい不安など。一気に医療に不信感を抱いた私は産婦人科での治療を一切やめました。
またその時の子宮頸ガン検査でヒトパピローマウイルス(HPV)が発見されました。おそらく1992年ごろの日本では子宮頸ガンの検査をしてもウイルスが発見されたか否か、またその種類などの説明はなされていないと思います。私が検査を受けたアメリカでは検査結果は詳しい冊子と共に検査所から直接送られてきました。ワケがわからない専門用語ばかりで辞書と首っ引きで調べまくったのを覚えています。そのときわかったことはヒトパピローマウイルスは子宮頸ガンの原因になるということです。またこのウイルスは性感染します。性交渉でうつるのです。感染予防のためにはコンドームを使用するしかありません。このウイルスは細かく分けると何十種類にもなり、このうち将来ガンを引き起こす可能性が高いタイプのウイルスとそうではないタイプが存在するのです。私が感染していたウイルスがどちらのタイプであったのかはわかりません。しかしこのウイルスに感染した人全てがガンになるというわけではありませんが、ガンになる可能性が高いタイプのウイルスの方が多いそうです。ですから将来妊娠を希望されている女性は必ず恥ずかしがらずに検査を受けてください。もし万が一、ガン細胞が見つかっても発見が早ければ、子宮を摘出されることはありません。妊娠・出産も可能なのです。


入院29日目(20週4日)
朝から腹痛。午後3時20分ごろ主治医が来て、まだはっきりとした診断はできないと説明される。
私は信じようと思った。少しでも赤ちゃんが楽に過ごせるように蒼い空の下、青い海に、私が赤ちゃんを抱いてプカプカ浮かんでる姿をずっとイメージして過ごした。

入院30日目(20週5日)
朝から切ない夢を見た。夫が他の女性と結婚して赤ちゃんまでいる夢だった。
風がとても強くて霧雨。腹痛もある。今日も頑張ろう。
テレビから流れた言葉が心に響く。
【奇跡が起こすアンビリーバボー。あなたの身に起こるのは明日かもしれない】

入院31日目(20週6日)
目覚めの時、腹痛はなかった。しかし血の塊は相変わらず出る。
久々に洗髪してもらった。ハイリスクな妊婦さんがここには多い。
転院して初めて夫が見舞いに来てくれた。
仕事着のまま。顔を見て手を握ると途端に嗚咽が漏れた。

入院32日目(21週)
夕方6時半 
主治医から説明を受ける。夫、実母、実父も同席。
終わった時は夜8時を過ぎていた。確実な診断はまだできないそうだ。
だけど赤ちゃんの腎臓はエコーで見る限り異常はなさそう。
それは破水の可能性が濃厚なことを意味する。
しかしまだこの週数で破水したとなると赤ちゃんの肺が成熟できないままになる。
例えこのままお腹の中でもたせて大きくなって出産できたとしても、産声を上げられず肺呼吸が出来ずに亡くなってしまう可能性が大きいと・・・。
たとえ呼吸がかろうじて出来ても障害が残るでしょうと説明がある。
出血もずっと続いているし、仮に赤ちゃんが出た後でもこのまま出血が止まらないようなら、子宮全摘もありえること。
22週に入ってしまうと赤ちゃんに重大な障害が残ってしまうことがわかっていても、もう堕胎することはできない。
最終的にどうするのかは私たち夫婦で決めてください。
21週の今ならまだ間に合います。と説明がされる。

入院33日目(21週1日
夜中、ずっと眠れなかった。赤ちゃんはどうなってしまうのだろう。
怖くて不安でたまらなかった。
朝から出血量は少なめ。しかし腹痛(張り)は頻繁。
何がベストな方法なのか。考えても考えてもわからない。考えたくない。

入院34日目(21週2日)
今朝は少し眠れた。腹痛もあまり感じない。
午後5時過ぎ、エコー検査。やはり羊水はほとんどなかった。
赤ちゃんと子宮壁の間、一部分にほんのちょっとだけ映し出されただけだった。
だけど破水の証拠もつかめないままだ。

入院35日目(21週3日)
私に判断することなんかできない。本当に赤ちゃんは助からないのか。
考えても考えても答えは出ない。持参した健康保険証に無料相談ダイヤルの番号が記載されてあったのを思い出し、こっそり部屋を抜け出して公衆電話から電話をかける。
まだ早朝だった。電話口に出た人は女性で保健師か看護師の免許を持った人だった。
医師に告げられた内容と症状を説明する。
やはりここでも「今回は諦めたほうがいい」と言われた。
誰か一人でもいいから「大丈夫」だと言って欲しくてかけた電話だったのに、私はこれで絶望の淵に突き落とされたような気持ちになる。
夕方4時頃、またエコー検査。やはり羊水はほとんど無い状態。このままもたせてもリスクは大きい。覚悟しなければいけないのか。
見舞いに来てくれた人の前で思わず涙かこぼれる。

入院36日目(21週4日)
決心した。赤ちゃんを神様の許にお返ししようと。
夫の同意がいるという。しかし夫から病棟に連絡が入らないということだった。
しばらくして仕事を早退し駆けつけてきてくれた。もう1度医師からの説明。同意書にサイン。
午後から子宮口を広げるための処置が始まった。ラミナリアを挿入される。突き刺されるような激痛。
夜の消灯時刻を過ぎてしばらくして温かいものが下りるのがわかった。
瞬間的に破水だと思ってナースコール。当直医は若い女医さん。
「破水ではないと思います。」と、言われた。

1998/5/2 入院37日目(21週5日)
注:母子手帳にはなぜか21週4日で死産と記入されています。
夜中1時前から規則的にお腹が張るようになる。
波が来るとまるで硬い岩のように子宮が収縮するのがわかる。陣痛促進剤は入れていないのに・・・。分娩室へベッドごと運ばれる。
真っ暗な分娩室で、陣痛に耐えながらずっとずっと祈り続けて夜が明ける。朝から一旦、部屋に戻る。陣痛も遠のいていた。
昼食をとり、陣痛促進剤を座薬で挿入。途端に陣痛が襲ってくる。
あっという間に間隔が狭まり分娩室へ。
そして午後2時14分 28センチ420グラムの女の子を出産する。


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