出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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人工死産体験談<ケース1>

こちらはメールでお寄せいただいた人工死産の体験談を紹介させていただくページです。

流産・死産の体験談はポコズママの会でご覧いただくことができますが【人工死産】という体験に関しましては躊躇されるママが多いことも事実です。

それは人工死産が中絶だからです。

そして中絶だと言ってしまうことにも大きな抵抗があるのです。
人工死産を体験されたママたちは実は私の予想以上に多くいらっしゃることを知りました。
しかしながら、ご自身の体験談を公開することはまだ決心ができない方がやはり多いのです。だからこそ人工死産を体験なさったママたちは、他の流産・死産なさったママたちよりも予想以上に自分自身を責め続け苦しまれる方が多いように思います。

こちらのページで人工死産に限定して紹介させていただくのは、そういったママたちに一人で苦しまないでいてほしいからです。

引き続き人工死産の体験談を募集しています。こちらのページで紹介させていただく場合はハンドルネームは表示いたしません。

もし今、このページを読んでくださっているあなた様が同じ人工死産の経験者でいらっしゃるなら、体験談を寄せいただけませんか。
体験談はメールにてお待ちしています。  lapisspacemoon@yahoo.co.jp

体験談をお寄せくださったすべてのママさん方
本当に本当にありがとうございました。

本来ならお一人お一人にお礼のメールを差し上げるべきなのでしょうがこの場を借りてお礼申し上げますことをお許しください。 
空1


【ケース1】2005年1月28日  

「羊水過少」と告げられたのは妊娠18週5日の5ヶ月検診を受けた2004年9月21日。妊娠14週からお腹の張りがあり、張り止め薬を飲んで自宅安静の日々を送っていた。16週に入る頃には強い張り、出血もあったがエコーにはいつも力強く鼓動を打つ赤ちゃんが見えた。
不安な毎日を送る中で赤ちゃんの心音を確認出来る事ほど安心する事はない。
次第にお腹の張りと出血は治まっていき、安定期の5ヶ月にも入ったことで安心していたところだった。そんな矢先の出来事だった。

5ヶ月検診を受けた産婦人科では対処出来ないからと周産期センターを紹介され、そこで羊水過少と告げられるた。羊水過少とは羊水量が異常に少ない状態をいい、一般的に羊水量が100ml以下のものと言われている。羊水量減少により胎児の胎動が制限され、肺低形成をはじめとしてさまざまな発育不全が起こる。
原因として大きく2つにわけた場合、赤ちゃん側に異常がある場合(尿産生障害や尿路狭窄)、もう1つは母体側に異常がある場合(前期破水)。
羊水過少のままある程度大きく育って生まれて来たとしても、肺低形成による呼吸不全で長く生きられないか、もしも呼吸が出来たとしても機械に繋がれた状態になる可能性が高い。いずれにしても良くない状態である事に違いはない。医師から説明を受けるが、今、自分と赤ちゃんの身に起こっている事がよく理解できないでいた。それから医師は最悪の事も考えとかないと…と言った。リスクを抱えた妊娠を継続するかどうか、選択するのなら22週まで、と。「え?どういう意味ですか?」と思わず聞き返した。医師は原因がわからないと話が出来ないから、とにかくまずは入院して精査する必要があると言った。

9月22日。
不安な気持ちを抱えて入院する。いつもは看護する側の自分がされる側になるのは変な気分だった。
入院初日、エコー検査を念入りにした後医師から次の検査の説明があった。人工的に色をつけた羊水を腰椎麻酔下で注入するという検査だった。そんな検査を受けて赤ちゃんは苦しくないのかと聞くと、針を刺して羊水を注入する時に赤ちゃんに刺さってしまう可能性はあるけど、検査自体に苦痛は伴わないということだった。
検査は2日後。
その間も赤ちゃんは1日1回の心音確認で元気な心臓の音を聞かせてくれた。でも5ヶ月になる私のお腹は羊水がないためか、ほとんど出っ張っていない。胎動だってほとんど感じない。もうわかってもいい時期なのに。羊水がほとんどないお腹の中で赤ちゃんは窮屈だろうな…せまくて苦しいのかな…どうか破水が原因でありますようにと祈り続けた。もし赤ちゃんに膀胱がない場合は出生後ほとんど生存出来ないといろいろ調べた夫から聞かされたからだ。

9月24日。
手術室に運ばれ、はっきりとした意識の中で検査は行われた。室温が低いため寒くて寒くてがたがた震えていた。お腹には布が被せられ、医師が何をしているのか全くわからない状態。側で手を握ってくれていたスタッフに時々今何をしているのか聞いていたら、私が聞く前に教えてくれるようになった。そういった細かい説明があることで少し不安が軽減した。患者の不安を和らげるのはこういった小さな事なんだと実感する。無事に検査は終了し帰室。だんだん麻酔が覚めてくるとそれまで感じなかったお腹の張りがよくわかるようになった。検査後はお腹の張りが起こると説明を受けていたが、どんどんひどくなっていく様だった。おまけに羊水が流れてきているようだった。私は破水が原因であって欲しいと思っていたため、この時はそれで良かったと思い込んでいた。破水が原因なら赤ちゃんには異常がないんだと。

夜中あまりに痛むため当直医に見てもらうことになった。その時の当直医は担当医ではなかったが、一通り診察を終えて破水している事を教えてくれた。私の様なケ-スではまず無事な赤ちゃんは生まれないことを。
今起きているお腹の張りもどうしようもないと言うため、張り止め薬は使わないのか聞いても、どうしても、と言うのなら考えるけど…今だけお腹の張りを止めたところでどうしようもない、というような返事だった。私の赤ちゃんにはお腹の張り止め薬すら使ってくれないのか、普通なら張りを止めるために点滴や薬を飲むハズなのに…担当医は無事に生まれてくる可能性もちゃんとある事を話してくれていた。
何より私自身が産もうと思っていた時なのに、それなのにこの医者は…!とすごく腹がたった。「もういいです…我慢します…」情けないのと腹立たしい気持ちで涙が溢れてきた。
お腹が張ると子宮が収縮して赤ちゃんも苦しいだろう。私はひたすらお腹に手をあて赤ちゃんにごめんねと謝った。一晩お腹の張りは続いたが朝が来る頃には治まってきた。それとともに羊水も全部流れていったようだった。

9月25日。
エコー検査で確認をするとやはり羊水はほとんどない元の状態。わずかではあるけどちゃんと膀胱におしっこも溜まっている様だし、通過障害もなさそうだから赤ちゃん自身に異常はない様子。これで原因は破水によるものだった可能性が高い、という説明を担当医から受ける。原因は解ったけど…状況は変わらない。羊水のない状態はやはり良くないということを再度医師から説明される。この時初めてどちらにしても良くない状態だという事を理解出来たように思う。赤ちゃんに異常がないから良かった、のではなく、羊水のない今の状態が良くないのだ、と。

9月27日。
再度医師から今後についての説明が行われた。このまま妊娠を継続するかどうか。出来るかどうかもわからない。生まれて来て良かった例もあれば残念だった例もある。決めるのは親である私達だから僕は何も言えません、と。もしも今回諦めるのなら22週までと法律で決まっているから21週までには答えを出してきて欲しい。
1つだけ、僕が言えることは、どちらの選択肢をとってもその結果が赤ちゃんにとってもご両親にとっても良い方向を向くということです。迷いながら諦めるのだけは止めてください、と。
1週間後に答えを出すということでその日退院した。

検査の結果は私の望むものだった。
それなのにどうして?諦めるって…中絶?何で何で何で…?
考えても考えても答えなんか出ない。
とにかく情報収集しようと思い立ちパソコンの前に座った。羊水過少で検索してみる。いろんな事が書いてある。ふと辿り付いたサイトに同じ羊水過少で赤ちゃんを失った人の体験記が載っていた。
読み始めると、今私に起こっていることと同じ…この人も医師から命の選択をせまられている…。途端にこらえていた涙が溢れてきて止まらなくなった。今の自分を見ている様で途中から読めなくなった。夫とも一晩話あったが答えなんか出ない。
次の日もう1度同じサイトを開き、体験記を読んだ。私と同じ体験をしたその人は自身の決断で赤ちゃんを亡くした。涙が止まらなかった。待ち望んでいた我が子を自分の決断で失う。こんなつらい選択があってもいいの?
私は何度も何度もお腹の赤ちゃんに問い掛けた。
「どうしたい?やっぱり産んで欲しいよね?ママは決められへんからあなたが決めて…」それまでほとんど感じなかった胎動をその日は2度3度と感じる事が出来た。
赤ちゃんもつらいんだろうな。生まれてきたくてママの所に来たのにどうしてって。

9月28日。
夜、突然息が苦しくなったかと思うと激しい腹痛が起こった。同時に破水していた。
不規則だったが間隔を開けて腹痛は続き出血している…陣痛さながらの状態。
もう赤ちゃんはだめになったのかもしれない…病院に電話し、行く準備をした。
今度帰宅する時にはもうこの子はいないんだろうな、と思うと涙が止まらなかった。
どうにかこうにか病院に行き診察を受けると切迫流産の状態だということだった。
エコーでは赤ちゃんの心臓が元気よく動いていた。このままお腹の張りが治まらなければ流産するかもしれないが張り止めは使わずそのままで一晩様子観ると医師から説明があった。
もしもこのまま流産して赤ちゃんを失うとしたら、悲しいけれどこうなる運命だったのかと諦められるのかな。そんな事を想いながら、駆けつけた夫と供に1晩過ごした。
そして朝を迎える。出血はしていたが流産は進行しなかった。悩みに悩んで夫と出した結論、悲しいけど…諦める…
その事を医師に告げる。
医師も何度も迷っていないのか私達に問い返す。その都度、気持ちは揺れたが答えは変えなかった。望んだワケではないけど…私達は自らの選択で赤ちゃんを失う事を選んだ。

そしてその夜から処置が始まった。
処置がどういうものなのかは仕事柄理解していたし、前述した体験記を読んでいたこともあり一連の流れはわかっていた。子宮口を開くためのラミナリア処置は痛くて痛くて涙が出た。5本入っていると医師から説明があった。泣いていた私に医師は痛み止めを出してくれた。本当ならきっと飲むべきではない。明日になれば赤ちゃんはもっと苦しくてつらい思いをするのに…そう思ったが明日のことを考えると飲まずにいられなかった。
それから8時間後、下腹部の痛みに目が覚め、看護師を呼ぶ。
赤ちゃんに申し訳ない気持ちだったが、もう1錠痛み止めをもらい分娩室に移室。

9月30日。
分娩室で朝を迎え、朝食が出される。赤ちゃんと一緒に食べる最後の食事。
こんな時に食事なんてと思ったが、せめて今だけでもしっかりと赤ちゃんに栄養が行くようにと涙ながらに食べた。

AM9時。ひとりぼっちの分娩室で医師の診察を受ける。
子宮口は十分開いたからと陣痛誘発の座薬が入れられた。自分で決めておきながら今すぐにでも逃げ出したかった。赤ちゃんはどんな気持ちなんだろう。何も言えないで…どんなにつらく悲しいだろう…。
しばらくすると陣痛のような痛みが始まったがまだ我慢できる。お腹をさすりながら赤ちゃんに話し掛けた。私がママとして今この子に出来る事をしようと思い、まず名前をつけた。それから、ちゃんと生まれて来た時に歌ってあげたかった歌を歌った。
お腹をさすり、名前を呼びながら、涙で声にならなくてもずっとずっと歌った。赤ちゃんがママの歌声を聞いて少しでも寂しくありませんように…。不思議と歌っている間はどんどん強くなる痛みも和らいだ。

AM11時。2度目の座薬を追加。痛みがさらに強くなる。
私のお腹が痛む度に赤ちゃんは苦しいのだろう。歌を歌いながら何度も何度も神様にお祈りした。「どうかこの子が少しでも苦しまずあなたのもとへ行けますように…。」

PM12時を過ぎた頃からはあまりの痛みに歌も歌えなくなっていた。私の様子を見に来た担当の助産師さんが私の腰をさすってくれた。何も言わずただひたすらにさすってくれた。何の声かけもないのにニーズが満たされていった。看護するとはこういう事を言うんだと思った。夫も遅れてやって来て、一緒に腰をさすってくれた。
だんだんと陣痛は本格的になり、痛みの波が押し寄せてくる。

PM1時30分頃からいきみたくなり分娩台に上る。
陣痛に合わせて何度も何度もいきむが赤ちゃんはなかなか出て来てくれない。痛みと過喚起で朦朧とする意識の中ひたすらに神様に祈りつづけた。
「赤ちゃんをこれ以上苦しめないで…早くあなたのもとへ…」
側には夫と何人ものスタッフがいて手を握ってくれていた。もう限界と思えるほどいきんだがまだ赤ちゃんは出ない。だけど、私が今がんばらなくては…と思い切りいきんだ。
PM2時12分 静かに赤ちゃんは出て来てくれた。
「赤ちゃんは…?」と思わず聞く。「出て来てくれたよ」と助産師さんが言ったとたん涙が溢れてきた。声を上げて泣きじゃくった。私の足元で小さな赤ちゃんが見える。ぴくりともしない。お腹の小さな膨らみももうなかった。赤ちゃんは本当にもういなくなったんだ。激しい自責の念にかられた。

スタッフの1人が赤ちゃんを抱き綺麗にしてきますと部屋を出た。今にして思えば、まだ温かいあの子をすぐに抱いてあげればよかった。その後胎盤がゆっくり剥がされた。分娩後の処置が行われ、しばらくして赤ちゃんに会いますか?と助産師さんが言った。はいと答えた後、白い小さな箱に入った赤ちゃんが来た。
母子手帳とへその緒と手形足型を取ったカードと一緒に。232g 24センチ  小さな小さな手形足型会える喜びが大きかったからなのか涙は出なかった。小さいけど立派なかわいい男の子だった。
肌に触れるととても冷たかった。こんなにも冷たくなるものなのかと思うほど…。顔はパパにそっくりだった。特に唇がそっくりで思わず夫と2人で笑った。じっくりと2人で赤ちゃんに触れた。

それから小さな箱に入った赤ちゃんと一緒に部屋に戻り、夫が買ってきてくれたスタイとおもちゃを箱に入れる。必要時以外ナースは入って来なかったが、入ってきたナース達は入ってくるなり赤ちゃんを見せて欲しいと言った。そしてかわいい赤ちゃんねと言ってくれた。嬉しかった。普通なら遠慮するような事なのにすすんで赤ちゃんに会ってくれたこと。その夜はあまり眠れず、赤ちゃんの箱を抱いてまた歌を歌ったり、一緒に夜空を眺めてすごした。

10月1日。
朝、医師が来て赤ちゃんに会ってくれた。「笑ってるみたいやなあ」本当に笑っているみたいな顔になっていた。診察の結果、退院の許可が下りる。医師と話した結果、赤ちゃんを解剖に出す事になった。今後に役立つのならと、夫とも決めていた。
赤ちゃんが解剖に連れて行かれている間にスタイに名前を刺繍した。心を込めて刺繍した。ママとして私が出来る最後の事だから。
赤ちゃんは2時間ほどして戻ってきた。傷は思っていたよりひどくない。夫が来られないため諸手続きを業者に頼む。義父と義母が花束を持ってやってきた。その花をひとつずつ赤ちゃんの箱に入れていく。
詰め所にちょうど医師がいたので一緒に花を入れてもらえる様お願いする。しばらくして来た医師は手にいっぱい折り紙を持っていた。「今看護婦さん達と折ったんやけど、よかったら」男の子だからと兜まで折ってくれていた。涙が出そうになった。
こんなに良い医師は他にはきっといない。本当に良い医師だったと改めて思った。
それから赤ちゃんと一緒に病院の霊安室に行き、お焼香をした。
お世話になった医師や看護師さん達がやって来てくれた。また折り紙を持って来てくれた看護師さんもいた。そして赤ちゃんを抱いて火葬場に向かい、最後のお別れをした。


今。
私は看護師として働いている。今回の事を通してよりいっそう患者の気持ちに共感することの大切さを学んだ。もちろん今までも自分なりに看護師の仕事をこなしてきたつもりだ。でも今振り返ると、まるで出来ていなかったように思う。
患者の気持ちに寄り添うのに、特別な言葉はいらないこと。ただ側で見守るだけ、手を握るそれだけでもどんなに心強いかを身を持って体験した。
また、亡くなった赤ちゃんと十分過ごす事が出来た私は本当に幸せだったと思う。
とてもつらいけど、赤ちゃんと過ごす事で赤ちゃんの死を受け入れられる時間が持てたし、何より赤ちゃんと触れ合えた事で赤ちゃんの死と向き合える事が出来たと思うから。
また赤ちゃんの写真や病院側の配慮で取ってくれた臍の緒や手形足型は今でも宝物。こういった物がある事で赤ちゃんの存在を形として残せた事に満足している。今回私がお世話になった病院では、私のように残念だった場合の対応は十分に行えていたと思うが、しいて言うならば退院後のことについては何もアドバイスがなかった。
病院を離れ1人になった時に襲う深い哀しみ、自責の念…こういったメンタル的な部分へのサポートを今後の課題としてもらえたら、と思う。
それから、ネットで偶然見つけたサイトの体験記が私に大きな影響を与えたのはいうまでもないが、今はそのサイトが私の支えになっている。同じ哀しみを持つ者として話す事でどんなに哀しみが和らいだか知れない。哀しみを共有出来る場所がある事で、哀しみを受け止める事が出来るのだと知った。そして世の中には同じ哀しみを持つ人が多いことも知った。
流産、死産は決して珍しいことではないけど、その事がどれほどの影響を与えるのか、人生さえも狂わしてしまう程だという事。それを医療従事者にはもっと理解してもらいたい。私は今回の出来事を通して医療者側、患者側どちらの立場からもたくさんの事を知る事が出来た。これらは全て赤ちゃんが私に残してくれた大切なものだ。ずっと大事にしようと思う。

管理人おかよ注:
文中にある「ネットで偶然見つけたサイト」とは当サイト「泣いて笑って」のことだとご本人から聞かされました。このことを知って私はWEBの世界で体験を載せるということは、こういう出会いも運ぶものなんだと少し恐ろしくもなりました。だけどそれと同時に感謝の気持ちで一杯です。私たちの天使に。そして出会えた全ての天使ママたちに。  
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