出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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妊娠20週での破水 22週未満の選択

赤ちゃん(胎児)が子宮の外で生きていくのが可能になる前に、妊娠が中断されたり終了になる場合を流産とよびます。
流産には早期流産(妊娠12週未満)後期流産(妊娠12週以降~22週未満)に分けられます。この22週未満という定義は1993年に日本産婦人科学会が決めたものです。1993年以前では1979年に妊娠24週未満の場合を流産と定義されていました。更に1979年以前では妊娠28週未満でした。
これはNICUと呼ばれる新生児集中治療室による医療技術の進歩などで助かる赤ちゃんが増えてきたため、線引きが前倒しになったのだと思われます。しかし現在でも22週に達していれば確実に助かるのかと言えばそうではなく、最先端の治療が受けられてはじめて生存の可能性が高まるというだけに過ぎません。

私が1998年5月に21週で娘を死産した総合病院にはNICUがありました。もし仮に娘が21週の終わりではなく22週で生まれてきていたら、きっと蘇生・救命するためにNICUで全力の医療処置と看護が受けられていたと思います。しかしそれで確実に助かっていたのかといわれれば・・・それはおそらく無理だったのではないかと思っています。そう思ったからこそ、私は娘を神様の許にお返しする決心をしたのです。
NICUのスタッフにしても、きっと毎日葛藤の中で仕事に励んでおられるのだと思います。結果が良くても悪くても、今、目の前にいる赤ちゃんを助けるために最大限の努力をされているはずです。「救いたい」「助けたい」その気持ちひとつだけだと思います。しかしその中で迷いというものも必ずあるのではないでしょうか。様々な器械につながれて小さな体が苦しそうな状態にあるのを目にする時、「私が行っていることは正しい」と完璧に自信を持って言える医師や看護師のほうが少ないのではないかと思います。ひとつの小さな命と向き合う時、これが正しい・これが正解だといえるものなどないのかもしれません。全ては結果論なのかもしれません。

私のケースと同じように妊娠20週前後の前期破水などで、赤ちゃんの予後がほとんど絶望的だと考えられる場合、22週に入る前にその妊娠を継続するか否かの選択を迫られることになると思います。
前期破水などで羊水の量が十分に無い場合、肺低形成や様々な発育不全が起こるとされています。胎児の肺の中に満たされるはずの肺水が、羊水の流出などにより減少します。そして肺が押しつぶされた状態になり肺の形成がうまくいかなくなるのです。特に羊水の流出・減少などの発症時期が私のように妊娠20週以前では肺低形成となる可能性が高まるそうです。また羊水が十分に子宮内を満たさないままの状態が長く続けば続くほど更に危険な状態になることが心配されるのです。

羊水過少と診断され、まず可能性として考えられることは
【1】赤ちゃん側に異常がある場合 
腎臓や膀胱が無い・ちゃんと機能していないなど(尿産生障害や尿路狭窄)
【2】母体側に異常がある場合
前期破水など

羊水過少であっても、胎内で成長することは可能ではあります。しかしある程度週数が進んで生まれてきたとしても、肺低形成による呼吸不全で長く生きられないか、もし呼吸することが可能だとしても人工呼吸器などに繋がれた状態になる可能性が高いのです。

また妊娠22週で赤ちゃんが生まれ、その赤ちゃんの状態が良かったとしても、生存率は50%を下回るとされています。もし生き延びることができても、その後、なんの障害も無く無事に成長できる可能性は高くはないのです。なぜかと言えば、この時期に早産になる場合、子宮の中の状態が正常ではなかったことを意味しているからです。
このような状況を踏まえて考えてみると、妊娠22週未満で破水した私の場合も同様に、赤ちゃんの命が非常に危ぶまれる状態の妊婦を受け入れる医療機関にとっては、やはり難しい判断を迫られることになるのだと思います。産科とNICUの連携が必要であるし、その両科の信頼関係のもとに、赤ちゃんを助けるための治療をするか、またはしないかの決定が産科側の意見も取り入れられるならば、たとえ22週を超えて生まれてきても、展開が変わってくるのかもしれません。

やはり22週未満では中絶するという選択肢もあることを、医師は伝えなくてはならないのでしょう・・・。私は暗に中絶を勧められたと感じていました。決して押し付けられたわけではないのに。
ただ・・・私が考えても考えても答えが出せなくて悩んでいる時に、当時主治医の下で働いていた若手の産科医に「もし、先生の奥さんだったらどうしますか?もし先生の赤ちゃんだったら・・・?」と、尋ねたとき、悩みながらも言葉を選んでその医師は答えてくれました。「俺だったら…今回は諦めると思います。」と。
今思い返してみても、その言葉が私の決定に最終的に深く影響を与えたと思っています。夫婦で話し合って決めてくださいと言われたことは、勿論私たちが親であるのだから当然ですしそうあるべきだと思っています。しかし、もしあの時、その医師にも「自分にはわからない。」と答えられていたら・・・?私はこの選択をしなかったのでしょうか?
・・・きっとそれは考えても仕方がないことですね。
その医師は精一杯、正直に、誠実に、答えてくれたのだろうと思います。

結論を出したのは私と夫。それは紛れもない事実。その事実が娘を喪ってもうすぐ7年という今でも、私を自責の念に駆りたてます。
もし羊水過少の原因が赤ちゃん側の異常だったとしたら、「健康な体に産んであげられなくてごめんなさい」と、やはり私は自分自身を責めるでしょう。しかし私は母体側の異常で、しかも娘を諦めることを選択したのです。なんてひどい母親でしょうか。もしあのまま、出血が止まらなくても子宮を取られることになっても、娘と共にたとえわずかな時間でも共に生きることを選ぶべきだったのではないかと・・・いつもいつも考えています。
しかしそれは娘を長く苦しめることになったのかもしれません。また結果論でしかありませんが、もしそうなっていたら私は今、現在そばにいる愛しい息子たち3人を授かることはなかったのです。私にとって娘も息子3人も大切な我が子に変わりはありません。結果としてこういうことになってしまった。それはもう受け入れて認めるしかありません。ただ、あの時こうしていれば、ああしていればという後悔はいつまで経っても消えません。

私はこのHPを立ち上げてから、私と同じ週数・近い週数で赤ちゃんを空に返されたママたちと出会うことができました。
ママたちの体験の中にはあまりにも惨く悲しすぎる内容もありました。22週以前で生まれてきた赤ちゃんには救命措置は施されないことはわかっていましたが、私自身、そんな週数で生まれてくる赤ちゃんは分娩の最中にきっと亡くなってしまうのだろうと考えていました。そう思い込もうとしていました。
私の娘も産声は上げませんでした。未だに怖くて聞いていませんが、また今更聞いても担当医と助産師は忘れていると思うのですが・・・赤ちゃんの命の火が消えるのはいつなのでしょう。。。
ある一人のママは21週で分娩後、赤ちゃんが生きていたのを確かに見たと仰っていました。しかし、赤ちゃんは別室に移され自然に息を引き取るまで放置されていたことがわかったのだと・・・。それは流産や死産ではない。生きたまま生まれ、亡くなっていったのだと。それならばせめて、自分の腕の中で逝かせてやりたかったと。また、戸籍に載らないなんて納得できない。我が子は確かに生まれてきた。その存在を認めてほしいと。
私はこのお話を聞いて胸が張り裂けそうでした。しばらくは激しく自分を責め続けました。

あの時、私の娘はどうだったのか?産後すぐに銀のトレイに移されて、娘は私の母と対面したそうです。引き剥がされた胎盤にも母は会ってくれていました。それを考えると、きっと私の娘は産まれた時には亡くなっていたのだろうと思います。だけど、どうしても重く苦しい思いは私の胸の中にいつまでも残っています。きっと・・・これからも、ふとした拍子に思い出しいたたまれなくなると思います。
7年前の出来事を、私は何度も何度も繰り返し経験しています。私自身の心の中で。いつもいつも、はっきりとドラマを見ているように思い出します。だけど繰り返し繰り返し、何度そのドラマを再生しても『正解』は見出せないままです。
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