出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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母体保護法と胎児条項 『障害』に思う

以前、別Blogにて2004年12月20日に書いた記事なのですが、ここに一部転載した上で加筆させてください。    
    
今朝の新聞・・・『子供の治療を拒否』に自分を重ねて。


新聞受けから新聞を抜き取り、そしてすぐに第一面に飾られた文字が目に飛び込んできました。まだぼ~っとしてる頭が目覚めてしまいました。

病気の子供に必要な治療を親が拒否する『治療拒否』の割合が18パーセントだという記事でした。
また拒否後に死亡した子供の割合は、医師がもともと救命困難だと予測したケースの約2・8倍ということも書かれていました。調査は2~3月、小児科(新生児科含む)がある全国の566病院を対象に実施され、2003年度中に治療拒否にあったケースの有無や内容を尋ねるもので、回答があったのは328病院とされています。そのうちの60病院が、拒否事例があったと答えているそうです。
子供達の主な病気として、染色体異常による内臓奇形・水頭症・心臓病・脳障害・白血病などで、そのうち0歳児が58パーセントとされています。

~中略~

誰だって目の前で苦しむ我が子に、望んで『治療は受けさせない』という親はいないと信じていたいです。命が大切なのはもっともなこと。この治療をすれば、この手術をすれば、この子は必ず助かるのだという保証がないのならば・・・ましてや助かっても障害が残る可能性が高いといわれれば・・・将来を悲観し絶望する親がいても・・その気持ちはわからないとは決して言えません。
私も男の子3人の母親です。もし、息子達の誰かが突然事故や病気に見舞われたら・・・?回復も困難だと言われたら?そこに一筋の希望を見出すことに必死になるでしょう。だけどその裏には、必ず絶望感を抱く私も存在すると思います。でも、きっと・・・諦めることはしないと『今』ならば・・・思います。

人は未経験の出来事に関しては、自分で想像することしかできません。この私の今の思いも単なる想像だといえます。しかし、私はずっとずっと心に抱えたまま、忘れられない我が子がいます。妊娠20週ごろに破水したため、このままお腹にもたせることができたとしても、きっと重い障害が残るだろうと宣告された娘です。人工死産という形でお別れすることを選んでしまったのは私なのです。今でもそのときのことを思い出すと自分の勇気のなさに腹が立ちます。激しい後悔に襲われます。いつまでも引きずるのは良くない・・・とは思いつつ。。。時々こうしたニュースなどを目にすると心がざわついてしまうのです。そんな時は、無理をせず静かに自分のこと・娘のことを考えられるようにしたいと思っています。
きっと私のほかにも、同じような理由で我が子を亡くされたママ達は、このニュースを知ったなら心を痛めていることでしょう。。。

たとえ重い障害があろうとも我が子であることにかわりはありません。

だけどそこに生じる経済的・身体的・精神的負担が重くのしかかってくる現実をどうにかしてもらえるなら・・・・その責任を親だけに押し付けられるのでなければ、もっとこの数字は下がってくるのではないかと思います。
またたとえ親であっても、子供が生きる権利・治療を受ける権利は奪うことができないということも、もっと法整備していくべきだと思います。また一番大切なのは、子ども自身がどうしたいのかということですよね。幼い子供達に意思表示を求めても・・それは無理な話なのでしょう。だけど・・・我が子が今こうしていて幸せなのか・・・それはどの親でも考えることだろうと思います。治療を続けることで更に苦痛を強いられることになるのならば・・・積極的な治療を望まない親もいることでしょう。


~中略~

・・・治療を拒否する親の中には、子供に会いに来なくなった親もいたと今回の調査結果にも書かれています。なんてひどい親だと思う反面、その気持ちを思うと辛くなります。

『今』の私なら・・・もう1度あの時に戻って、娘をどうするかと聞かれたら・・たとえ私の出血が止まらなくても感染値が高くなろうとも・・・このままお腹に入れていてあげたいと思うでしょう。
今回のこの調査結果が虐待なのか 親の勝手なのか・・・色々なケースがあるだろうけど、私がここで考えてもきっと答えは出ないけれど・・・。
だけど障害があっても、さまざまなサポートを受けられる体制が整えられれば・・・それは切に願うことです。

超未熟児で生まれた姪っ子も、週に1~2回、障害のある子や未熟児の子どもたちの会に出席していました。メンバーは同じ悩みを持つ母親同士、子供同士、そして専門家など・・・妹が救われた部分は非常に大きいと思います。
人は他人の苦労話に感動し涙するものですが、いざ自分がそうなったら、どうなってしまうのか・・・・。それはその時にならないとわからないものだと思います。一概にこうすることが正しいとは言えないけれど・・・・。

でも助かるべく命は助かってほしい。また助けてあげてほしい。 

【転載終わり】


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ニュースに載っていた記事は、『母体外に出ても生きていける子供たち』の場合です。
0歳児が58パーセントという結果から見て、未熟児・新生児の割合が多いのではないかと思います。

ここで私の頭に浮かんだのは母体保護法胎児条項についてです。


母体保護法とは
人工妊娠中絶を規定している日本の法律です。
1996年に「優生保護法」から改正されました。刑法に堕胎罪があるため、【母体保護法】で規定されている理由がなければ中絶はできないことになっています。
関連した条項は以下の通り。

第二条(定義)
(2)この法律で人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保持することのできない時期に、人工的に、胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。

第十四条(医師の認定による人工妊娠中絶)
(1)都道府県の区域を単位として設立された社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。

一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの




もし胎児に重い病気や障害があったら・・・?
胎児の病気や障害を心配して出生前診断(羊水検査・超音波検査・絨毛検査・母体血によるトリプルマーカーテスト )を受ける人が増えてきました。賛否両論が叫ばれていますが実際には胎児の【病気】や【障害】を理由にした中絶は行われているのです。こうした中絶は、「身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれ」という母体保護法の条文(第十四条(1)の一)を該当させて実施されています。ただし、通常の中絶と同じで、妊娠の継続が母体の生命を明らかに脅かすような例外的な場合を除き、22週未満にかぎられています。

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出生前診断やその後の中絶に関してきちんとしたガイドラインを作るべきだといった意見を聞いたことはないでしょうか?これは母体保護法に、【胎児条項】を作ろうという論議とは異なっています。しかしこれは、『きちんとしたガイドラインを作ろう』→だから【胎児条項】が必要だという論議にすり替えが行われているようです。

【胎児条項】以下の2つ が論議されています。
■胎児に異常があった場合に中絶出来ることを法律に明記すること
■現在妊娠21週6日までしか中絶は認められていないが、胎児に異常がある場合に限ってもっと遅くまで週数が進んでも中絶が出来るようにすること


母体保護法では中絶可能な時期は妊娠21週6日までです。それが胎児の体外生活が不可能な時点とされています。つまり、これを過ぎて22週に突入した時点で胎児は生きて生まれてくる。→これは新生児と同じ。→だから胎児の命を奪うことはできない。
という考えです。これは日本だけでなく多くの国でも採用されている考えです。
もし【胎児条項】が作られれば、十分に母体外生活が可能な胎児であっても、異常が発見されれば中絶されることになります。現実にイギリス、フランス、ドイツでは、胎児条項の有無に拘らず、障害胎児の人工妊娠中絶妊娠時期はいつでも可能になっているのです。
ヨーロッパのある国ではダウン症胎児のかなりの数が妊娠28週を過ぎて中絶されているそうです。こういった方向を日本でも目指そうというのが【胎児条項】なのです。もし仮に妊娠40週で中絶に至った場合、娩出させるだけでは胎児はそのまま生きているでしょう。その先に待っている行為を考えるとゾッとします。それは殺人でしかないと思います。こうした行為が許されることになれば、それは日本という国をあげての差別でしかありません。殺人行為であり間引きといわれる所以です。母体保護法に胎児条項を入れることは、そういう意味があることを覚えておきたいと思います。

障害や病気といっても様々なものがあります。ダウン症やその他の染色体異常などです。生まれてきてもほとんど自由に動くことも食べることもできない重い障害から、制限はされますが比較的普通に生活できる障害まで、その程度は様々だと思います。

たとえば、今まで申し上げていませんでしたが・・・私もある障害をもっています。
と、いっても外見上は普通の健康な人と変わりはありません。障害といっても軽いほうです。命に別状があるわけではありません。
ただ、この症状は加齢と共にじわじわと進むかもしれないし、無理が重なれば突然重くなってしまう危険もあります。また私の障害は遺伝性です。実父とその兄弟姉妹全員と、祖母にこの障害があります。祖母はもう亡くなってしまいましたが・・・。
勿論、遺伝性ということから娘を授かるまでは『子供は作らない』と決めていたように思います。私もかなりこの障害のおかげで悔しくて悲しい思いをしてきたからです。だけど、それで両親を恨んだのかといわれれば、そうではありません。やはり産んでくれたことに感謝しています。今、こうして生きていることが幸せだと思えます。
私の障害が発症したのは中学生の時でした。そしてその後18歳の時の診断で、もしかしたらあと3年程で普通に生活することはできなくなるかもしれないと言われました。

しかし私はそれから15年経った今も元気です。

元気だけれど、その生活を維持するためにある人工的な物の力を借りています。私が家族や社会の中で普通に生活していくためにはかけがえのないものです。
また私の障害は出生前診断では見つけることはできない類のものです。私がそうだったように、今現在、健康に暮らしている幼い息子たち3人にも、いつかこの症状が出るのかもしれないし、出ないかもしれない。それは今の時点ではわからないのです。

もちろん医学の目覚しい進歩によって、息子たちが将来発症する可能性を調べることはできます。実際、自治体が行っている子供たちの定期健康診断で相談したところ、大学病院で調べることができると言われました。しかし、まだ私にはその決心ができません。子供たちにもし私と同じ症状が表れても、私が今、こうして子供たちの前で元気にしていれば、きっと子供たちも絶望はしないだろうと信じています。また子供たちが大きくなる頃にはもっと素晴らしい方法が開発されるかもしれません。
私は次男を出産後、死産や流産など悲しいお産をされたお母さんたちの支えになれるような助産師になりたいと願って看護学校を受験しました。
その時も悩み迷いました。私のような障害を持ってる人間でも看護学生になることはできるのか。また看護師として助産師として働いていくことはできるのか・・・と。
情報が欲しくて今現在はありませんが、某有名看護系サイトの掲示板には毎日たくさんの看護関係者から投稿があり、そこに思い切って書き込みをしたのです。
『私のような障害があっても看護師・助産師になれますか?』と。次の日、レスがつきました。『命を預かる現場にあなたのような障害があれば、どのようなことになるのかお分かりでしょう。』と。想像はしていましたがショックでした。やはり助産師は諦めようかと思いました。だけど、またレスがつきました。『私は助産師です。そしてあなたと同じ障害を持っています。頑張ってください。』と。

そして受験したい学校3校に願書を取り寄せる前に電話をして、私の状況を説明し、それでも受験させてもらえるのか確認したのです。そして受験、合格となりましたが入学式前日に妊娠が判明し、赤ちゃんも助産師も諦めたくなかった私は悩みましたが・・・今私に課せられた仕事は授かった新しい命を無事に育み、この世に送り出すことだと思って休学はせずに入学そのものを辞退することにしました。

今、またそのとき授かった命である三男も成長して、色々と思うこともあるのですが再チャレンジは見送っています。息子たち3人が幼すぎることと、経済的な理由と・・・そして私のこの障害がやはり一番の壁になっています。だけど諦めることはしたくないので、道は違っても目標を持つことは諦めないつもりでいます。

ちょっと話が横道にずれてしまいましたが・・・(仕切りなおして・・・と)

『障害』がその生を危ぶまれるほどのものなのか または そうではないのか、で当然違ってくるものなのかもしれませんが・・・・

娘が22週を超えて生まれてきたとしたら・・・もっと苦しんでいたのでしょうか?・・・娘も、私も。

私の姪っ子も妊娠23週1日で生まれてきて、誰もがきっと駄目だろうと思っていたのに、今こうして元気に成長する姿を見せられてこの7年間考えてきました。娘が助からない運命で、姪っ子は助かる運命だったのはどうしてなんだろう?・・・と。そしてどうして、私と妹が、娘と姪っ子がこのような経験をしなければならなかったのだろうと。

姪っ子のように23週で生まれてきても元気に育つ子もいれば、26週や28週で生まれてきても障害を持ってしまう赤ちゃんだっているのです。
医療には厳密に割り切ることができない・線引きができないファジーな部分というのがあるのですよね。ほとんど可能性はないと思われるケースでさえ、奇跡にしか思えないことだって起きますし、またその逆だって起こるのが医療の世界。

今現在の法律でも中絶は可能です。しかし、胎児に異常が発見された場合に、『中絶をするのが当たり前』という形で法律でそれを保護する必要はあるのでしょうか。これは社会や国家が出生前診断・選択的中絶を促進することになりかねないとは思いませんか。【胎児条項】は、憲法で保障された人権を侵害する可能性が非常に高いのです。     
(このページに関してはあくまでも私個人の考えです。今後、修正する可能性もあります。それだけ命というものを考えた時、答えというものは決してひとつではないということを思います。)

2005年3月11日

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