出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

メインサイト http://www15.ocn.ne.jp/~nikomama/

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告
∧top | under∨

後悔しないために~これから赤ちゃんとお別れされる方へ~

128sou_600.jpg


私が1998年当時、娘を人工死産した際に病院側からは、赤ちゃんとのお別れについて何も提案がありませんでした。今でこそ、赤ちゃんとの思い出を残してくれる病院も少しずつ増えてきているようですが、まだまだその数は少ないのが現状です。


今、このページをご覧になっている方は、人工死産でお別れする日が近づいていて、いてもたってもいられなくて検索しまくり、やっとここに辿り着かれた方もいらっしゃるかもしれません。
可能性は低いけれど・・・もしそんな方が、このページを今、読んでくださっているのなら、どうしても私はお伝えしたいことがあります。

私が娘を喪って何年も経過し、その間に息子たち3人を授かってもなお、娘への想いが苦しすぎるほど胸の奥にくすぶっていたその一番の大きな理由は、やはり娘とのお別れが納得できたものではなかったからだと思っています。


病院側を困らせてはいけないという遠慮
または
当然してくれるものだと思っていたケア
などが受けられず、気がつけば赤ちゃんは突然自分たちの前からいなくなっていて
「確かに愛しい我が子が存在した」という証拠も思い出も残せなかったということになってしまうことだってあります。

それはあまりにも悲しいことだと私は思います。

どんなに混乱していても
どんなに現実を受け容れるのが困難でも
自分の意思とは反対に物事は進んでいきます。
時間は流れていきます。

赤ちゃんが子宮から出ていってしまったら・・・
その後に必ず待っているのは赤ちゃんとのお別れなのです。

人工死産の場合、そのほとんどは12週以降になります。
12週以降の赤ちゃんは火葬に出すことになります。

葬儀社が手続きを代行するところもあるようですが、私たちの場合は夫が病院側から出された書類を持って市役所に行き、火葬許可をもらってきました。
そして夫一人で娘が火葬されるのを見守っていました。

私は自分も火葬場に行きたいけれど、それは申し出てはいけないものだと思っていました。
21週での人工死産。
またそれまで1ヶ月以上も出血していたこともあり、かなり体力も落ちていました。ベッドの上で絶対安静の日々を過ごしてきたせいで足の筋力も落ち、歩けばひざがガクガクと笑うほどでした。
ですから「行きたい」なんて言ってもどうせ許可されるはずがない。わがままを言ってはいけないと思いとどまったのです。
しかし今思えば・・・我が子なのに何を遠慮していたのだろうと・・・後悔しています。

また、もうひとつ肝心なことは火葬の前の赤ちゃんとの思い出づくりです。

残すことが可能なものとして

・へその緒
・髪の毛
・写真
・手型・足型
・エコー写真
・母子手帳
・ビデオ


などがあります。

重ねて言いますが、まだまだこういった思い出づくりをしてくれる病院は残念なことに少ないです。
ですからパパやママから「こうしたい」と病院側に伝えることも大切です。

日本では亡くなってしまった赤ちゃんのことは「早く忘れた方がいい」「なかったことにしよう」という考えが根強いように思います。ですから思い出を残すことにパパやママでさえ迷ったり悩んだりされるかもしれません。

実際に私たちもそうでした。
私が娘の写真を撮ってほしいと夫にお願いしましたが「写真を撮ってどうなる?かえって辛くなるだけじゃないか。この子のことは俺たちの心の中に残しておくだけでいいじゃないか。」と。
私もそこで強く反論できるほどの気力も体力も残っておらず、それもそうだね・・・とあっさり引き下がったのです。

でも、今だからこそ言えます。
それは間違っていたんだと。

もし思い出を残しておいてあとで必要ないと思えば、その時にあらためて考えればいいことです。

また他にも思い出はつくれます。
それは、赤ちゃんと一緒に過ごす時間そのものなのです。
赤ちゃんを部屋に連れてきてもらって抱っこしたり 添い寝したり
お風呂に入れてあげたり・・・。
それに他にもお世話してあげたり・・・・。

赤ちゃんはもう亡くなっているのにそんなことをしても・・・。
そう思われますか?
だけど私はそういう時間がかけがえのない親子の時間であり、またパパやママが現実を受け容れ、優しく温かな思い出を残すのにもっとも最適な方法だと思います。


私は娘とゆっくりお別れする時間さえありませんでした。
火葬場に送られる直前の約30分ほどしか娘と一緒にいられませんでした。それが今でも悔やまれるのです。

また火葬場では「これぐらいの週数だと骨は残りませんよ」といわれることも多くあります。
私の夫もそう言われたそうです。
だけど夫は見届けるのが役目だと思って待っていたそうです。

出てきた娘は、もうそこにはいませんでした。
ただ細い細い・・・たぶん大腿骨であろう骨が2本、そこにはあったようです。少し揺さぶるとあっという間に崩れた、と。
夫はその骨をやはり持ち帰ってきてはくれませんでした。

病院で待っていた私は火葬に出すということは骨が残る。骨が残るということは当然、その骨は私の元に戻ってくると信じて疑わなかっただけに・・・手ぶらで戻ってきた夫の姿を見て愕然としたのを・・・今でも忘れられません。

たとえ週数が少なく小さい赤ちゃんでも、骨は残ります。
わずかでも・・・きっと残ります。
そしてその骨を持ち帰ることだってできるのです。

ゆくゆくは自分たちで供養したり他にも様々な方法で、我が子をそばに置いておくことだってできます。
たとえばジュエリー(ペンダントやリング)にして身に着けることもできます。


~~~~私の想い~~~~~
私と同じように赤ちゃんとの思い出を残せなかったママやパパもいます。
きっと諦めざるをえなくて・・・でも諦められなくて、いまだに後悔したり淋しくなったり辛くなったり苦しくなったり。そんな方も多いのではないかと思います。

私はもっとあの時、情報があったならと思いました。
もっと何かアドバイスしてくれる人がいれば・・・とも思いました。

このページをご覧になってくださる方全てが、赤ちゃんとの思い出づくりに前向きになって下さるとは思いません。
私としても強制はできません。
ですが、こういう方法もあるんだな。こういうこともできるんだな。
と、選択肢があって自分でそれを選び納得できるのであれば、それが一番いいと思います。

私にとって娘の思い出は
母子手帳と数枚のエコー写真だけ・・・。
私にとって娘は大切な大切な宝物です。
スポンサーサイト

別窓 | これから赤ちゃんとお別れされる方へ | コメント:28 | トラックバック:0
∧top | under∨
<<自助グループを紹介されたときの私の経験から | 出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】 | 死は決して悪いものではない>>

この記事のコメント

おかよさん、また電波が飛んできたからやってきました^^
私も同じ気持ちです。
子供が亡くなったことでなにもできなくなるからこそ、出来る限りのことをしたかったと今でも思っています。
私はエコー写真と火葬した証明書だけしかないです。いろいろ残してあげたかったな・・・
2006-05-21 Sun 18:22 | URL | hiyoko #Qp82v3Oo[ 内容変更] | top↑
”思い出作り” ‥これって、本当に大切だと思います。
私も、死産した後インターネットで調べてみてそこで初めて”こんなことができるんだ‥”と知りました。もっと早く知りたかった‥ でももう火葬してしまうと何も思い出を作れません。
手形・足型・臍の緒‥欲しかったな‥
添い寝したり、いっぱい抱っこしたり、お風呂に入れてあげたかったな‥ 1番の後悔はお腹から出てすぐに抱いてあげれなかったことです。娘の温もりを感じたかった‥
でも私は写真だけは迷いましたが残しました。
私もおかよさんと同じで、「見るとかえって辛くなるだけだから‥」と言われました。確かに死産してしばらくは現像するのが怖くてできませんでした。それでも時間が経てば何でもいいので娘の生きた証が欲しいと思うようになりました。
そして写真を現像し、飾るようになりました。
”撮っておいてよかった‥”と本当に思います。
しかし今でもどうしても見れないものが一つあります。それはエコー写真です。娘が生きている写真‥ 
自分の愛する娘の写真なのに見れない自分が許せません。どうかなっちゃいそうで怖いのです。
こんなことがあってはならないのですが、この先もこのような悲しいお別れをされる方がいらっしゃるのなら、本当、おかよさんのおっしゃる通り、思い出を一つでもたくさん作って欲しい‥
そう願います。
2006-05-21 Sun 19:28 | URL | まーちゃん☆ #x065qL82[ 内容変更] | top↑
おかよさん、サキです。こちらにもお邪魔いたします。
これから大変な務めが待っているママに、言いにくいかもしれないけれど、本当に本当に大切なこと・・お話しをするきっかけを作ってくださってありがとうございます。

私は1/31に出産し、2/4に退院、火葬しました。
「赤ちゃんに会いたかったらいつでも言っていい」
「火葬には外出で行ってもいいし、退院の日に合わせてもいい」・・そう言ってくれた病院側の配慮にとても感謝しています。
看護士さんに「赤ちゃんを連れてきてもらっていいですか・・」と遠慮がちに言った時、「もちろんいいに決まってるでしょう。○○さんの赤ちゃんなんだもの。」という温かい言葉に号泣した私。けれど、それは紛れもない事実。
私の赤ちゃん、母親は私・・遠慮することなんてないんですよね。

私は娘が産まれてきたら何か添えてあげたいと思い、指人形と花を用意しました。
日中は病室にヘルパーさんの出入りが頻繁にあったので、娘は病院に預け、夕方~朝方まで連れてきてもらいました。その代わり昼間は毛糸で娘に帽子やマフラー、おくるみを編んで・・娘に身に着けてあげた時、本当に嬉しかった。
夜は(部屋の冷蔵庫に出し入れしながらですが)抱っこして子守唄を歌い、病室から星空や明け方の空、鳥を眺め・・いっぱいいっぱい話しかけて抱き締め、頬ずりしました。
最後の晩は冷蔵庫に入れなくてもいいと言われたので、添い寝して・・・悲しいけれど、幸せな一夜でした。
写真も手形も足型もないけれど、一緒に過ごした“時間”があったこと、娘との大切な思い出です。

どうぞ、これから悲しいお別れをするママの皆さんに、赤ちゃんとの時間を大切に過ごされますよう心から願っています。
2006-05-21 Sun 22:06 | URL | サキ #-[ 内容変更] | top↑
おかよさん、こんにちは。
思い出作り。私もしたかったです。手形や足型、臍の緒・・・残したかったな・・・私の手元には幸いにもお骨は残りました。でも火葬には主人も行けなかったそうです。周りに「親が火葬場に行くと情が残ってしまうから・・・」と言われて。今思うと両親に見送ってもらえなかった息子が可哀相でなりません。
そして私がなにより後悔しているのは、息子を自分の手で抱いてあげなかったこと・・・
正直、抱くのが怖かったんですよね。自分の子どもなのに。
出産直後に「逢いますか?」と助産師さんに聞かれて、すぐに返事ができなくて。そうしたら「ご主人と一緒に逢いますか?」と聞きなおしてくれて、その時にやっと「はい」と返事ができました。病室に戻り、棺に入った息子と対面した時には「棺から出して欲しい」とも言えず・・・結局、棺越しにしか抱くことができませんでした。今でも時間がもどるなら戻して抱きしめたい・・・そう思うと涙か止まらなくなってしまいます。

これから赤ちゃんとお別れをするパパ・ママには私のように後悔して欲しくありません。本当は子どもを見送らなければならないパパ・ママが居なくなって欲しいのですが、きっと現実としてそれは無理なのかもしれません。だから、なおさら赤ちゃんとのお別れ・思い出を大切にして欲しいと思います。
2006-05-22 Mon 10:51 | URL | 優々 #-[ 内容変更] | top↑
こんばんは。
いつもいつも、本当にありがとう。

ここにはもういない我が子。
何も、もうしてあげられない。
・・・ほんとうに、そうですよね。

「肉体」をもっている私たちだからこそ
どうしてもこだわってしまうのかもしれない。

我が子との思い出がないから・少ないからって
愛情が減るわけでもない。
だけど、これから先、生きていく私たちにとって
なによりも愛しい・・・なによりも大切な宝物ですよね。

ここにはいない我が子との思い出って・・・。
2006-05-22 Mon 23:44 | URL | おかよ #DUyx3tDA[ 内容変更] | top↑
こんばんは。
大切な大切な想いを、聞かせてくださってありがとうございます。

>時間が経てば何でもいいので娘の生きた証が欲しいと思うようになりました。

全くその通りですよね。
私もそうでした。
時間が経つにつれ・・・恋しくて会いたくてたまらなくなりました。

今はエコー写真が見れないんですね。
なんだか・・・そのお気持ち、わかるような気がします。
私も長い間見れませんでした。エコー写真。

現実を受け容れようとしている自分。
現実だと認めたくない自分。
エコー写真は、幸せだった頃の思い出がどうしても戻ってきますよね。
初めて胎嚢が確認された時。
初めてキューピーさんのような可愛いお人形さんの形をした姿に会えた時。
検診の度に大きくなっていく我が子の姿。

・・・確かにいたんだよね。
私たちの子宮に。
・・・共に生きていたんだよね。

まーちゃんさん、無理しなくていいんですよ。
いつか、きっといつか
エコー写真を見てみたいと思うときが来るかもしれない。

ご自身の心の声に、ただ従っていればいいのですから・・・。
2006-05-22 Mon 23:54 | URL | おかよ #DUyx3tDA[ 内容変更] | top↑
こんばんは。

サキさんの貴重なご体験を聞かせてくださってありがとうございます。
悲しい現実の中にも素敵なスタッフ・環境に恵まれたことは、今後もサキさんにとって心の支えになられることでしょうね。

サキさんが過ごされた娘さんとの時間が目に浮かぶようです。
胸がいっぱいになります。

このようなお別れの仕方ができることが、あたりまえになっていってほしいなと心から思います。

冬生まれの娘さん。
サキさんが編んでくれた帽子やマフラー、おくるみ・・・とっても似合って可愛らしかったことでしょうね。

本当に素敵です。

2006-05-23 Tue 00:04 | URL | おかよ #DUyx3tDA[ 内容変更] | top↑
優々さん、こんばんは。

よかった。
お骨、残ったんですね。
よかったー。

抱っこしてあげられなかったこと・・・
それは本当に後悔なさっていらっしゃるのですね。。。

私は、恐る恐るだったけれど・・・抱っこはできました。
だけど420グラムがあんなに重たいとは思わなかった。
そして初めて触れる我が子が・・・あんなに恐ろしいほど冷たいなんて・・・ショックだった。

「時間が戻るなら」
本当に私たちは何度も願いますよね。
だけど、きっと・・・
過去と現在と未来は繋がっています。

またいつか、きっと会えますよね。
親子になれた私たち。
今は生きる世界が違っていても、親子である縁は永遠だと私は信じているから。
2006-05-23 Tue 00:17 | URL | おかよ #DUyx3tDA[ 内容変更] | top↑
おかよさん、お元気でしたか?
お久しぶりです。

嫁は、昨年の流産に続いて、今年の3月25日、死産を体験しました。

男としての自分から見た嫁の姿、死産というものに対して感じたことなどをブログ内で一度だけ記事にしました。

http://silverwingsdiary.blog44.fc2.com/blog-entry-25.html

どう支えればいいのか、支えてやれているのか、
これで良いのか?
俺としては、本当に手探りです。
2006-05-26 Fri 12:43 | URL | Jun@Silver Wings #j/FnetGM[ 内容変更] | top↑
とてもショックです。
2月中ごろにお知らせをいただいて、私も楽しみにしていました。本当に残念です。

奥様はきっと、想像以上に苦しみ悲しんでいらっしゃるのでしょうね。上のお子さんがいると泣きたい時に泣けないことも多いもの。かえってそれがいい時もあるし、だけど自分の気持ちを解放してやることができないのも、また辛いですよね。

私たち夫婦の場合は・・・娘を失った後は互いにすれ違い傷つけあってきたように思います。
お互いに戸惑い、Junさんと同じように手探りで・・・。

男の人は自分は強くなくちゃいけない とか
逆に悲しみに蓋をしてしまうようなところがあって・・・それが妻にとってはたまらなく淋しい時だってあります。

本当の強さってなんでしょう。
それは弱さを隠すものでしょうか。
男の人だって悲しんでいいんですよね。

支えになろうとか励まそうとか元気付けようとか
そんな構えは全く必要なくて、ただそばにいる。ただ、相手が話したい時は聞いてあげる。寄り添って 泣いたっていい。そう思いますが、男の人にとってはなかなか難しいことなのかもしれませんね。

Junさん
どうか心のままに・・・。

乗り越えるのでもなく 立ち向かうのでもなく
今はただ、やっと生きている状態であってもいいから・・・
時々ご自身をもてあますこともあるかもしれないけれど、それでいいんだと思っていてくださいね・・・。

私も奥様のことが心配です。
どうかどうか・・・お体、大切に。

どのいのちも、確かに生きるために生まれてきたのだから。
2006-05-26 Fri 22:02 | URL | おかよ #DUyx3tDA[ 内容変更] | top↑
何もしていない、だから今のままでいいんですね。

今までも、知らず知らず支えあってきたんです。
だから、特別なことは何もいらない。

嫁は今も時折思い出して、泣いています。
でもそれで、いいんですよね。
泣かないように支えるのではない。
心を同じところにおいてあげればいいんですよね。

今までと同じように、心のままに。

***************

昨日、同じく子宮内胎児死亡と診断され、
月曜日に入院を控えた21歳のお母さんから、
ブログにコメントを頂きました。21週目だったそうです。
今の自分なりのメッセージをそえ、
「泣いて笑って」を紹介させていただきました。
愛さんと言います。
もし、サイト内で見かけたならば、よろしくお願いします。
2006-05-27 Sat 10:19 | URL | Jun@Silver Wings #j/FnetGM[ 内容変更] | top↑
Junさん
お返事遅くなりました。

私にとってJunさんとの共通項は

・京都
・アメリカ
・写真
・Junという名前
・来夢というネーミング
そして
・我が子の喪失

ですね・・・。
あの日、あの時、Junさんの写真に呼ばれたのは偶然ではなかったのでしょうか。

知っていることと
経験して識ることは・・・やはり大きな差がありますね。
できれば、このような悲しすぎる経験はしたくないし、してほしくない。
だけど何よりも愛しいはずの我が子を・・・それも胎児の時に、突然失ってしまうという運命は、いったい何のためにあるのでしょうか。

どんなに考えてもわからない。
頭の奥ではなんとなくわかってはいても、「どうしてそれが私たちだったのか」がわからない。

きっと

この世に誕生し、成長が楽しみな中で突然事故や病気、事件などによってこの世を去っていかれたお子さんたちの親御さんの悲しみは、もっともっと深いものなんだろうな・・・。
だけど、戸籍にも残らずある日突然いなくなってしまった小さい我が子のことだけは・・・やっぱり不憫で申し訳なくて、そして自分を責め続けるのに値すると思ってしまう。

だけど、Junさん

小さい子って
赤ちゃんって

その小さいおててを精一杯伸ばして抱きついてくるよね?

どんなにパパやママがプンプン怒っていても
やっぱり「大好き~♪」って抱きついてくるよね。

だからきっと桃太郎君も、今は肉体を持つことで得られた喜び、そして苦しみから何かを経験して・・・そして帰っていかれたのだと思います。

Junさんご夫婦は、選ばれたパパとママ。
桃太郎君は、ずっとずっとそばで見守っていてくれると思います。そしてきっと「大好き」だっていうメッセージを送り続けてくれてるはずです。


2006-05-28 Sun 01:13 | URL | おかよ #DUyx3tDA[ 内容変更] | top↑
おかよさん。私は10日前に20週の赤ちゃんを人口流産しました。重い染色体異常で生まれてきても生きる見込みはほとんど無いと言われての決断でした。

このページを見て、何で娘を失う前にこのページに出会わなかったのかと悔やまれます。私もおかよさんとまったくといっていいほど、同じ経験をしてしまったからです。あまりにも物事が早く進んでしまい、後悔を残すことになってしまったのです。

自分で火葬に立ち会ってお骨をひろってあげたいと思っていたのに、病院と提携している葬儀屋の方に「それをするにはあと10数万円かかります。」とめんどくさそうに言われ、そこまでする人はあんまりいませんよといった冷たい態度を示され、くじけてしまいました。自分の身の上におこっていることをまだしっかり受け止められずにいた私には、じゃあ自分でしますと言えなかったのです。それにおかよさんのように病院や周りへの遠慮もありました。夫にさえも、仕事が忙しいんだからと遠慮してしまいました。あかちゃんを病室に連れてきていただいたときも、少しのあいだ夫と私とあかちゃんの3人だけにしてくださいと言えなかったのです。唯一してあげられたのは、お兄ちゃんのお気に入りだった小さなタオルを体にかけてあげ、赤ちゃんが生まれてきたらあげると言っていたおもちゃを入れてあげることだけでした。たった一人で本当にさびしく天国に旅立たせてしまったことを後悔しています。

これから同じような経験をする方々が大事な決断をするまえにこのサイトに出会うことを願います。
2008-01-24 Thu 12:04 | URL | めい #R5QgXBlk[ 内容変更] | top↑
明日19wまで一緒にすごしてきたお腹の赤ちゃんを
お空にかえすために入院します。
夫婦で悩んで悩みぬいて出した決断なのに、
今の今まで悩んでこのサイトにたどり着きました。

ずっと不妊治療を続けてきて初めての妊娠だったでした。
今後また赤ちゃんができるのか分からないし、不安だらけです。
わが子との思い出の品をそんなにとっておけるなんて
知りませんでした。
できるだけ要望を伝えて短い間だったけれど母親だったということを忘れないでおきたいと思います。
2008-06-17 Tue 17:06 | URL | シホゴン #lRfFlTdM[ 内容変更] | top↑
めいさま

今更・・・なのですが
こちらにお書き込みをいただいた後、すぐにmixiのコミュにも参加していただき、ありがとうございました。
その後、お気持ちのアップダウンと共にいかがお過ごしでしょうか。
激しい自責の念に苦しまれておいででしたよね。
でも、ようやく、やっと5ヶ月ほどが過ぎただけなんですよね・・・。

天使になった赤ちゃんが
なぜこのようにしてまで、ママのもとに来てくれるのか・・・。

本当に涙は涸れませんが
それでも、今、ここにある確かな何かを
私達は伝えていきたいと思います・・・。
2008-06-21 Sat 13:26 | URL | おかよ #-[ 内容変更] | top↑
シホゴンさま

今日はもう21日ですね。
病院からはお戻りでしょうか・・・。

悩んで悩んで悩みぬいて出したつもりの答えでも
決してそれは納得の上ではないんですよね・・・。
本当に、これでよかったのか?
・・・その思いは、やはりどうしても燻り続けてしまうものだと
私は感じています。

たとえ肉体はなくとも
母子の絆は消えずに強く繋がったままであるということも
きっと感じられることと思います。

今はまだ悲しみも深くお辛いことでしょうね・・・。
もしよろしければ、またいつでもいらしてくださいね。
2008-06-21 Sat 13:33 | URL | おかよ #-[ 内容変更] | top↑
16週の健診前日に出血があり、
2週間の自宅安静の指示をもらいました。

2週間後、診断書が切れるので受診したら、
エコー写真の子どもの周りに羊水がなく、
破水しているようだと言われました。
そういえば、検診直前に思い当たることがありましたが、
少量ずつ出て行ってしまったようです。

18週ではどうにもできない。と今後に起こるリスクも説明を受け、
話し合い、今回はあきらめるしかないと
納得したつもりだったのですが、
それでもどうにかできないか?
今おなかの中で動いているこの子を助けることはできないのか、
行ったり来たりしながら考え続けています。

明日、入院予定です。
本当にそれで良かったのか、この子がいなくなっても
考え続けるのでしょうか?
苦しくて仕方がないけれど、
わたしが、受け止めなくてはいけないことなのでしょう。

ばたばたもがいている時に、このサイトに出会えて
わたしだけじゃないんだと、気付かされました。
2008-06-22 Sun 18:59 | URL | ふわり #-[ 内容変更] | top↑
おかよさん

コメント本当にありがとうございます。

入院した翌日6月19日に小さな命はお腹から天国へ旅に出ました。
その翌日には退院、昨日22日には火葬とあわただしく過ごしてまいりました。
ふと、昨日入院時の説明書類を見ていたら赤ちゃんの状態欄に「胎児水腫」とありました。
そこまで病状が悪化していたんですね・・・。天国に送ってから気がつくほど動転していたんですね・・・。まだ浮腫みは消える可能性があるんじゃないか・・・って思いながら、迷いながら分娩台に乗っていたんです・・・。

何もすることがなくなってしまった今日、ただただボーっとするばかりです。
何もする気が起きずとりあえずPCの電源を入れてみたところです。
mixiのコミュニティでも大変お世話になっております。

決断が正しかったのか、間違っていたのか・・・この先もずっと悩むのでしょうね・・・。

同じように悲しい思いをしているのに、昨日も今日も仕事に出かけて行かなければならない旦那様を気遣ってあげられない自分も嫌いで・・・。
早く元通り元気になりたいと焦るばかりです。

こちらの方は本当にあたたかいです。
甘えて色々吐き出してしまってすみません。
いつの日か皆さんのように悲しみを受け止めて前に進んでいけるようになりたいです。
2008-06-23 Mon 12:20 | URL | シホゴン #-[ 内容変更] | top↑
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008-06-27 Fri 21:12 | | #[ 内容変更] | top↑
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008-08-20 Wed 18:52 | | #[ 内容変更] | top↑
mixiの泣いて笑ってに参加したいのですが携帯からなのと、初めてなのでどうやって参加したら良いのかわかりません…

一昨年、妊娠22週で水頭症の我が子を人工死産しました。
2010-05-11 Tue 10:11 | URL | ちひろ #-[ 内容変更] | top↑
ちひろさん

コメントありがとうございました。
メールアドレスを表示していますので、そこからクリックしてメールをお送りいただければ、私からご招待もできます。
ただ、現在、mixiはどなたでも参加が可能ですので
http://mixi.jp/home.pl にアクセスしていただいて登録いただいてから、mixi内のメッセージでお知らせいただければコミュニティには参加ができるかと思います。

22週でのお別れは、お辛かったことでしょう。
コミュニティでお話ができることを願っています。
2010-05-11 Tue 10:25 | URL | おかよ #-[ 内容変更] | top↑
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-31 Mon 10:46 | | #[ 内容変更] | top↑
先月14日、胎児水腫を告知され、大きな病院を紹介され、羊水検査を受けたり、エコーで何度も診察して、泣いて泣いて泣いて、悩んで中期中絶を決めた後も、やっぱりお腹においておきたいと思ってしまったり。
それでもこの1ヶ月の間に、羊水検査でターナー症候群で、女の子だったってことがわかって、何度もラミナリアを入れて、辛く悲しい陣痛に耐えても何の見返りもないことが辛いと思ってたんですけど、
私達には時間があって、検査結果を待つことも出来たし、赤ちゃんにお洋服も作ってあげることが出来ました。
おかよさんのおかげで、思い出つくりも出来ました。
医師にも臍の緒欲しいって言えたし、白い箱に入ってからだったけど抱っこ出来ました。
全身水膨れで、首の後ろは特にデロンデロンで、
エコーでみた通りだったから、かえって冷静に受け入れることができました。
生まれた日の空の写真も撮りました。
こうしてちゃんとお別れできるのも、おかよさんのおかげです。
思い出つくりの提案ありがとうございました。
これから退院して、午後火葬してきます。
2011-12-18 Sun 08:08 | URL | 星になる #-[ 内容変更] | top↑
私は生理不順のため妊娠週数をはっきりさせるために
2度目に内診を受けたら赤ちゃんの心拍がなくなっていました。2週間前は元気に動いていたのに…。
だいたい8週~9週くらいです。
小さすぎて何も残らないのでしょうか?
弔う方法もわかりません。
赤ちゃんのために何ができるのでしょうか?
2012-01-22 Sun 21:43 | URL | chocola #-[ 内容変更] | top↑
死産ではないのですが、24週目に600gで産まれ、20日間生き来てくれた息子が今日火葬されます。
死後6日経ちましたがまだ自分に起こった現実が本当か疑います。
火葬後、息子の牌をどうしてあげたらいいか毎日考えるなかでおかよさんのブログにたどり着きました。
そして、私も思い出づくり。同じ意見です。
私は、イタリアで出産しましたが、息子がnicuで亡くなり始めて我が子を抱いた喜びきっと忘れられないでしょう。
亡くなってるのに、寝ている息子を抱いている気持ちだったように思います。ただ、動かない息子に涙が止まらなかったです。その後、安置所に移されましたが係りの方が何時でも会いに来てくださっていいのですよ。自分の息子なんだから。と言ってもらって、お葬式までの2日間、お洋服を着せてあげたり、抱っこしたり、歌を歌って聞かせたり、写真と髪の毛を少し残しました。だんなさんと3人で過ごしました。
ちゃんと産んであげれなかった。。と申し訳ない気持ちと母親になるべきではない人なのか私は。。。とごめんね。ごめんね。。との言葉しか今は出てこないけれど、息子との短かかったけれど一緒に入れた時間は宝物です。


2012-06-29 Fri 13:47 | URL | ヒラリ #-[ 内容変更] | top↑
mixiからたどり着きました昨日大切な息子を死産しました。明日お別れです。ここを読み今ナースコールをして赤ちゃんの足形をとってもらえないか頼みましたダメかもしれませんが後悔したくなかったのでお願いしました。ここを読まなかったら足形を取ることをお願いする私はいなかったです。ありがとうございました
2013-07-11 Thu 21:48 | URL | 460☆24 #-[ 内容変更] | top↑
このコメントは管理者の承認待ちです
2014-01-21 Tue 15:59 | | #[ 内容変更] | top↑
∧top | under∨
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック

∧top | under∨
| 出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。