出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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人工死産体験談<ケース11>

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2006/2/27人工死産をしました。
ことの始まりは2004年5月から9月までの間勤めた会社で、私には持病により障害があるということを隠して仕事をしていたところ、仕事のミスから障害がばれてしまい、それが元で胃潰瘍になったことです。
その胃潰瘍は大きく入院を勧められましたがすぐ治るものだと過信し、飲み薬で経過をみていましたが一年かけても完治せず、11月、妊娠に気がつきました。
胃潰瘍を見てくれていた町医者は、持病もあるし胃潰瘍もまだ完治していないしそのうえ妊娠となると手に負えないから持病で通っている大学病院に委ねる。と言われ、薬も安全なものにして帰りました。


産科初診のときから毎回超音波で赤ちゃんを見ると、うれしくて涙があふれました。
そして12/26吐き気がして、つわりが9週目にしてきたかと思い、吐いたものは血でした。
最初は血だなんて思いませんでした。だって、黒かったから。
そのまま倒れこんでしまい、翌朝救急車で近くの救急病院へ。妊婦につける薬なしといわれ、そのまま実家へ。その晩も2回吐血しました。
翌朝、タクシーで持病でかかっている大学病院へ。重症性悪阻といわれ、入院。そしてまた、吐血。周りがにわかに騒がしくなり、胃カメラ。私はそのときのことは意識が朦朧としてよく覚えていません。その1週間後また吐血。年末年始ということもあり、そのまま1ヶ月絶飲食。輸血と、点滴と、胃薬のみの生活。
毎晩、また血を吐くんじゃないかという恐怖と、誰もいない個室の不安と、寂しさと、なにより食べて赤ちゃんに栄養をあげられない悔しさで泣いて、睡眠薬なし(産科で出してくれていたので赤ちゃんに影響ないといわれました)では眠れませんでした。そして、ようやく食べれるようになり、胃潰瘍だけならもう退院してよしとなり、持病の薬も赤ちゃんに影響の少ないものを最小限にしてそろそろ退院というとき、13週目くらいから赤ちゃんの格好が変だというのです。
首が反り返っている。
3週間ほどこまめに超音波でみていきましたが、変わらず。おかしい。そんな矢先、持病の薬が薄くて体が思うように動かず、車椅子や、人の支えがなければトイレにさえ行けない私を見て、父が赤ちゃんをあきらめろといいました。ふざけないで、私たち夫婦が結婚して10年もの間ずっと心待ちにしてきた子をなぜ今更、と、訴えました。縁を切ってでも産む、その気持ちでした。しかし、赤ちゃんの首のことが気がかりでした。主人と一緒に超音波を見ました。そして、主治医の口から「こ
れだけこまめに見てきて、今日で17週目、なのにこのままということは、致命的かもしれない。このままでは、生きて生まれてくることも生まれても長生きできないかもしれない。生まれても重い障害が残るかもしれない。よく2人で話し合って決めてください。」言葉になりませんでした。主人は「治す方法は?」とききましたが「今の段階ではなんともいえない」
都内の一等地にある有名な大学病院です。そこでも手に負えないだなんて。
そして、今、おなかの中で羊水をうまく飲めずに苦しんで、お腹をすかせていて、成長できずにいるなんて。早く決断しなければ、22週まで日がない。
これからできていく脳や中枢神経にも影響し、生まれてすぐに管をつながれ、、だれより赤ちゃんが辛い一生となってしまうなら。
決断するしかありませんでした。主人と2人で声を上げて泣きました。
そして、子宮口を開く処置。痛くて、辛くて、泣いていました。
金曜、土曜と陣痛促進剤を投与してもなかなか出てきてくれませんでした。ごめんね。ごめんね・・・・
持病の薬が効かず体中が痛くて、そのうえ喜びの待っていない陣痛。
9週目から病院にいた私は、当然母親学級にも行っていません。いきみかた、痛みの逃し方、何一つ知らないのです。なかなか開かない子宮口。最終手段、子宮に小さな風船を入れ、ふくらまし、子宮口を開く方法。それでもだめで。何時間かおきの診察で、赤ちゃんの袋をひっぱるらしく、内臓をひっぱられる感触。
分娩台の高いこと。ずっと座っていられないクッションの悪さ。何度、「もうやめて、どんな子でも産み育てるから!」言いそうになるのを我慢しました。今の時期なら、赤ちゃんはこれからも苦しまず、今も苦しまずにお空に帰れる、そう言った看護師さんの言葉を信じて。

18週3日 2/27、17:45 破水。
こんなにもたくさんの水が、と思うほどの羊水でした。そして、産道を四つんばいで出てくる感触。

17:51 死産 
男の子でした。

すぐに「じゃあ、きれいにしてきましょうね」と連れて行かれ、私は処置をするため麻酔をかけられ、気がついたら陣痛室のベッドの上でした。そこは個室になっており、隣の声は聞こえませんでした。そして、入ってきた看護師さんに「赤ちゃんは?」ときくと、「お連れしていいですか?」「はい。」そう言って連れてきてくれたのは、小さなかごに入って白いガーゼがかけてある、小さな我が子でした。「だっこしていいですか?」「いいですよ。よかったね~だっこしてくれるって!」そう言って私に手渡してくれました。小さくて、信じられないくらい冷たくなった「つよし」。涙が止まりませんでした。12週まで、順調と思われ、「強い子だから、つよし、だね」と、リハビリの先生が勝手につけた名前だけど、語呂がいいし、つよく、やさしい子になってほしいという願いをこめて。
その後看護師さんの話によると、「一見、五体満足に見えるが、首だけでなく、手は開きにくく、足は足の裏が向き合っていてまっすぐにならず、手足が月齢にしては小さく大きさもアンバランスで明らかに奇形」だったということでした。
妊娠期間が終了ということもあり、持病の薬が再開されみるみるうちに元の体に戻り、
3/4 それまで車椅子生活だったとは思えないほど自力で歩いて、退院。
3/11 火葬、そして水子供養寺へ。
4/5 お寺の合同墓地へ。
毎日泣かない日はありませんでした。そして、7/28。出産予定日だったので、7/29お参りをしてきました。

今は、まだ、妊婦さんや赤ちゃんを見ると辛い日々です。
今年で私も34歳です。もう余り時間がないのですが、持病は原因不明の難病。治らず、一生薬を飲まなければなりません。
今回は胃潰瘍で吐血したことが原因かと思うのですが、どうしても、今はまだ今度は健康な子がという自信がありません。幸い両親とは縁を切らずに済みましたが、これからも持病が治らない限り、私の妊娠は喜んではくれないでしょう。
主人はたかが10ヶ月くらい、俺が自宅でできる仕事さがしてお前のめんどうみてやるといいますが、そんなことをしたら主人の体が心配です。
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