出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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母乳育児を目指した理由

人は哺乳動物なんだから、私だって母乳育児は出来るはず。可愛い我が子に美味しいおっぱい、絶対に飲ませ続けるんだ!

・・・そう決心して頑張りました。
でも最初は不安だし辛いし。初めての母乳育児。わからないことばかりでした。
2006年7月現在、四男を母乳育児中ですが、これまでの私なりの考えなどを。



長男が生まれる2年前に、女の子を人工死産してしまった私は、母乳を止める薬を一定期間服用したにも関わらず、おっぱいが突然熱と激痛を持って張り、わけがわからないまま戸惑っていました。しばらくすると練乳のような母乳が滲み出てきて、それでなくても辛いのに更に追い撃ちをかけられたような気持ちでした。
21週での人工死産だったので胎盤も完成しており、後から考えたら、母乳が出るのは当然なのですが、その時はただ驚き、そして母乳を飲んでくれる子はもういないのだとあらためて気付き、泣きながら詫びながら搾乳しました。

ですから私の「母乳」に対する思い入れは相当強かったと思います。そしてもう一つ、母乳にこだわる理由があります。
私の実の妹が、それから間もなくして超未熟児の女の子を出産しました。妊娠23週1日で生まれた451グラムの姪っ子。たくさんのチューブに繋がれ痛々しいその姿。彼女が助かったのは、彼女自身の強靭な生命力・・・若しくは生命欲というべきか。「生きたい」という強い思い、NICUスタッフの懸命なケア、そして母親である妹の毎日運ぶ母乳のお蔭だと、私は思います。
生まれて直ぐ保育器に入れられ、直接授乳することは許されなかったものの、妹は姪っ子の写真を側に置き、毎日3時間おきに手で搾乳を続けました。胸には指の痕が痣のようについていました。
妹の代わりに何度か私がNICUまで母乳を運びました。母乳バッグに満たされたわずか数十ccの白い液体が、まさかここまでパワーを持っているなんて、なんて母子の繋がりは深いのだと感動しました。

姪っ子の命をつなぐ母乳。
妹親子を見ていて、母乳に対する思いはどんどん強くなっていったのです。


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