出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援について考える【泣いて笑ってBlog】

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流産・死産体験談

++まみさん 妊娠10週  稽留流産++

半年前の1月に初めての子を稽留流産で亡くしました。妊娠が判明してから、わずか5週間ほどの命でした。子供が欲しくてたまらなくて、妊娠がわかったときは夫婦二人で涙ぐむほど喜びました。
そんな中、検診で赤ちゃんが育っていないと言われました。なにがなんだか訳がわからず、ただただ先生の言葉にうなずくだけで精一杯でした。仕事中の夫に電話をかけ泣き崩れました。取り乱して泣く私を心配して手術当日には付き添ってくれました。でも、手術台で待ってる間も本当はなにかの間違いなんじゃないか・・・本当は生きてるのではないかと祈っていました。寂しくて悲しくてこのまま死んでしまいたいとさえ思いました。あれから半年が経ちますが、まだ悲しみは突然襲ってきて・・・・ひとり枕を濡らすこともあります。まだ怖くて次の赤ちゃんを考えられないでいます。

(メールにて2004/7/23にいただきました。)




++こころさん 妊娠18週++

私には、3人の子供がいます。今年5月に4人目の子供を18週でお空に還しました。今までの3回の妊娠は、多少お腹が張ったりということはあったのですが、比較的順調で満点妊婦だったと思います。ちょっと体重が増えすぎたこともあったけど3人とも安産でした。
そして4回目の妊娠。正直戸惑って素直に喜ぶことが出来ませんでした。やっと産む決心がついたのはそれから2ヶ月ほどしてからでした。妊娠5ヶ月になって検診に行った時に、先生に「ん?予定日がずれてる。」と言われて注意深くエコーを見つめる顔が・・・一瞬時間が止まったように思い出されます。
赤ちゃんはお腹の中で死んでいました。でも「死んでいる」という表現をしないので、なかなか理解できませんでした。「どーいうことですか?」と何度も尋ねましした。もう安定期に入ったのだと安心していた矢先のことです。家に帰ってからも上の子たちに悟られてはいけないと普段どおりに家事をこなし笑っていました。
夜に主人が帰宅してから声を殺し胸を借りて泣きました。子供たちにも話そうかどうしようか悩みながら、やはり話せないまま出産になりました。これほど苦しく悲しい出産は初めてでした。お見舞いに来た子供たちは、みんな泣きじゃくり家族みんなで泣きました。
あれから2ヶ月。表面上は今までと変わらない落ち着いた日々を取り戻しています。でも私もおかよさんがそうだったように、赤ちゃんを連想させる全てのものに傷つき泣いています。子供たちが心配するので隠れて泣いていますが感受性の強い長女は気付いているようです。このままではいけないと思いつつ・・・悲しみはまだ癒されていません。

(メールにて2004/7/24にいただきました)




++としさん 妊娠15週++

15週で子宮内感染が原因で死産しました。 このサイトを訪れたときに自分の経験と重なっているようで涙が止まりません でした。  

私は7週に入ってすぐに黄疸を伴うほど妊娠悪阻が悪化し、即入院になりました。水もうけつけないほどでどんどん痩せていき、ついには鎖骨下に中心静脈栄 養のカテーテルが挿入されて高カロリー輸液療法が開始されました。 身体は非常にだるく、吐くものは無くとも一日何回も吐き、ほんとうに苦しくて まるで出口の無いトンネルをさまよっているような日々が続きましたが、「つわりは子供が元気な証拠なんだ」と信じ、また自分にそう言い聞かせてきました。  
しかし、11週に出血し、トイレのみの安静になり内服が開始されました。そして、1週間後、多量の出血で絶対安静になり、子宮収縮剤の大量投与でつわりのうえにさらに激しい嘔気嘔吐と動悸がおそってきました。そしてその2日後、 39.0℃の発熱がみられ、抗生物質の点滴が開始されました。  
腹痛、腹満が持続し、抗生物質を投与し、その内容を変更してもに37.5℃ からは解熱しない発熱状態が継続しました。そして、13週目にまた出血。今度は膿がまじった赤茶色から赤色にかけての出血が継続し、尿管をいれてのさらなる絶対安静になりました。
また39.0℃の高熱がみられ、さらにひどくなる膿 混じりの出血の増加。腹痛、嘔吐、動悸、貧血、倦怠感の増強・・・しかし内診時に超音波にうつるわが子の元気な姿と医師の「赤ちゃんは元気です。」の言葉 を支えにどんなに苦しくとも頑張ろうと心に決め歯をくいしばって耐えました。  
1ヶ月は重症妊娠悪阻と戦い、一ヶ月は子宮内感染の切迫流産と戦いましたが 、再度39.5℃発熱し、なかなか38.0℃をきらずに2日が経過し、抗生物質の変更で37.0℃台に熱はさがりましたが、CRPが16.0になっており 、このまま妊娠を継続するのは私の命の危険があるために医師より堕胎を迫られました。
ずっと苦しくて、悲しくて、今までこの子のために頑張ってきたのに・ ・・なぜ・・・まだ・・・このうえにおなかの中で元気な子を自ら諦めることを 決断することまでもしいられるのであろうか・・・。  家族は泣きながら医師の指示に従うようにと私にすすめましたが私は、決断することができず・・・泣いて泣いて3日すごしました。そして医師は決心できず 苦しむ私に、「内診してみようね・・・」と内診することをすすめました。そして内診台にあがるといつもはモニターで元気に動いているあの子は静かで、亡くなっていました。
医師は静かに「ママがよく頑張って、苦しんでいるから赤ちゃんが結論をだしてくれたね・・・。」と言いました。
翌日に膣剤を使用して堕胎予定でしたが夜中に陣痛が始まり、14センチ50グ ラムと小さめの男の子を死産しました。感染で胎盤がボロボロになり、胎盤を出すのがものすごい痛みでしたが、痛みを感じることが生きて生まれてこられなかったわが子に申し訳なく・・・涙が止まりませんでした。 本当にまだまだ苦しくて悲しくて・・死産後に体調も悪く心身ともに苦しいです。

(2005/09/21に、メールでいただきました。)
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